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はじめまして。imimiです。このブログは、へミシンクという技術を使って、リトリーバルをはじめとする様々な出来事を綴っていくものです。
私は、へミシンクを約1年続けてきました。その間は、一言でいえば平坦な道ではありませんでした。初めて基礎セミナーに参加したときは、まったく何も見えないし、聞こえないし、感じられませんでした。周りの参加者にはすごい人がいて、次から次へと映像が見えてきたとか、地球コアまで行ってきたとか、信じられないようなことを言っているかたがいらっしゃって、正直言って「嘘だろう」と思いました。でも、多くの人がへミシンクの体験本を出すようになり、また、理系ご出身である坂本さんやブルース・モーエンさんが、あれだけすごい内容の本を出していることからすれば、「もしかしたらひたすら継続していけば自分でも何かが体験できるかもしれない」、そう思ってとりあえず始めてみました。でも、ひたすらへミシンクを聞き続けるという単調な作業のみで何の体験も得られないことが多い日が続きました。しかし、いろいろな人との出会いがあり、少しずつ自分の持っていた可能性が開花していきました。そんな中、自分でも信じられないような体験が続出するようになり、これは自分の中だけにとどめておくのはもったいないと思い、ロバート・モンローさんやブルース・モーエンさんのお力添えもあって、自分が体験した内容をブログとして公開することにしました。これが、私がこのブログを開設した動機です。 私は、へミシンクを始めてちょうど1年後の今年(2008年)の11月下旬に初めてリトリーバルを体験しました。それを体験したのは、日本在住のモンロー研レジデンシャル・トレーナーであるケヴィン・ターナーさんの「死後意識の探求・魂の救済コース」でした。まずはその時体験させていただいたものからご紹介したいと思います。 セミナーは連休を利用して3日間にわたり開催されました。はじめにお話しするのは、最終日に体験した出来事です。 ケヴィンさんから、これからグループ・リトリーバルをすると言われました。ここでいうグループ・リトリーバルとは、数人でチームを作って、ターゲット(救出予定者)のところに向かい、協力し合って救出活動を行うというものです。私のチームは、自分を含めて4名でした。やり方は以下のような手順で行います。まず、C1(現実世界)で実際に起こった事件で、それが起こった国名、日時、時間だけが書かれた紙がそれぞれのグループに配布されます。その事件はそのグループだけに与えられたもので、他のグループはまた別の事件を担当します。私達は、この国名、日時、時間を覚えておきへミシンクを始めます。そしてF21のブリッジ・カフェでグループのみんなで集まったあと、それぞれのガイド(非物質の友人)の助けを借りながら、救出する現場へと向かいます。その現場は、救出すべき人々が多く存在していると思われる非物質的な場所ですが、実際に起こったC1の場所と状況が似ていると思われます。 私達のグループに与えられたのは、次のような情報でした。「ブルキナファソ、ボロモ市近く、2008年11月15日」。要するに、この情報だけを頼りに、これから共同でリトリーバルを行おうということなのです。早速、私達はF21のブリッジ・カフェで集合し、みんなで輪になって手をつなぎエネルギーを集約させた後、現場へと向かいました。現場に着くと私は、外国のどこかの路上にいます。あたりは静まり返っている感じで、車の激しい往来はありません。道端のところどころに人がうずくまっているようです。まず目に入ってきたのは、道路わきに腰掛けてうなだれている2人です。私は、ガイド(黒服の男性。トムという名前です)とともに、「ここにいたら風邪をひきますし、あぶないですよ。安全な場所に移動しましょう。」と呼びかけ、F27までお連れしました。すぐに現場まで引き返してみると、女の人が赤ちゃんを抱きかかえてこちらに向かってくるのが感じられ、私に話しかけてきました。女性は赤ちゃんがぐったりしているのがとても心配なようです。そこで私はもう一人のガイド(若い西洋人のシスターで、今回のセミナーで私がリトリーバルした後すぐに卒業してガイドになりました)に医者に変身してもらって、その女の人が抱きかかえている赤ちゃんを見てもらうとともに、「ここにいては設備も何もないので、ちゃんとした治療のできるところまで行きましょう」と女の人に告げて、女の人と赤ちゃんをF27までお連れしました。 すぐに再び現場に戻り、同じグループだったNさんの下に駆け寄り、Nさんと一緒にある人物をF27までお連れしました。またすぐに現場に戻り、同じグループのYさん、Hさんと協力して3人である人物をF27までお連れしました。この時点で、現場には、かなりの人数がいたような気がしました。 ここら辺で、私は現場で何が起こったのか状況整理してみました。まず、現場に着いた途端に私には、瞬間的にバスが一瞬見えたあと、事後の原因が爆発だったのではないかと直観的に思いました。次に感じられたのが、大勢の人が突然亡くなっているという印象でした。さらにリトリーバル中に現場にいた幼い女の子(彼女も無事救出しました)に、現場で何があったのか聞いてみると、「大きな音がドーンてしたの。気がついたらここにいた。」と言われました。その他に、現場で救出活動にあたっている時に、その場に漂っていた深い悲しみが伝わってきました。これらの情報を総合して、私は、現場で車が爆発し、多数の人が一瞬でなくなったのだと結論づけました。 リトリーバルを終えて、グループ間で情報を共有し合った後、実際に会った事件当時の新聞が配布されました。すると、次のように書かれてありました。「西アフリカのブルキナファソで15日、バスとトラックが衝突し炎上する同国最悪の交通事故が発生し、少なくとも66人が死亡した。…96人が事故に遭い、うち66人が死亡したと発表した。55人の遺体は完全に炭化していたという。現在30人の入院が確認されている。初期捜査の段階では、トラックの運転手が居眠り運転をしていた可能性が疑われている。…現場の道路わき12メートルのところに穴が掘られ、周辺の村の住民や犠牲者の遺族によって遺体が埋葬された。」 グループ・リトリーバルは、一人で救出する時よりもより多くのエネルギーを共有することができると言われています。しかし、それにしても驚くべき結果でした。このことは、次にお話する出来事と相まって、私がへミシンクで体験した内容が真実であるとの確信を深めるのに十分すぎるものでした。 ケヴィンさんのセミナーのどこかの時点で、次のようなインスピレーションを誰かから受け取りました。「自分が見たもの感じたものは、すべて真実。疑いを捨て、すべてを受けいれること。つねに楽しむことを忘れずに」。そして、この言葉を裏付けるようなことが、以前お話ししたバスの衝突事故のリトリーバルの前にもありました。セミナーの2日目のことです。 ケヴィンさんは、参加者全員に、自分だけが知っているターゲットをそれぞれ選んでもらい、その人物の名前だけを書いた紙を提出させ、それをシャッフルした上で、一人一人に1枚ずつ配布しました。これから行うセッションは、自分がまったく知らない人物と向こうの世界で会い、その人物に関する情報を聞き出し、必要があればリトリーバルまで行うというものでした。 私は、ある人物の名前が書かれた紙を手渡されました(仮にその人物をKさんとします)。早速、私はへミシンクを聞きながらF12でガイドと合流しました。私はガイドに、Kさんに会いたい旨を告げ、二人でF15、F21とフォーカスレベルを上がっていきました。F21の癒しの場でエネルギー・チャージした後、いよいよF23以降の世界に突入しました。私は最初、KさんはF23あたりにいるのではないかと思っていました。そこでガイドにそのような思念を送ってみると、ガイドはKさんがF27にいると言い切りました。自分はターゲットがF23にいる気がする。しかし、自分のガイドがF27だと強い感じで言う。私は最終的に自分のガイドを全面的に信頼することにしました。そこで私達は信念体系領域を通り抜け、まっすぐF27を目指しました。 F27に着くと、公園のようなところの遠くの方に一人の男性が見えてきました。近づいてみると、スーツ姿できちっとした感じです。私はその男性が直観的にK三ではないかと思い、挨拶しました。すると、背中にゾクゾクとした感覚が走りました。男性は髪は短くすっきりした感じで、年齢は30代前半から中盤くらいに見えました。中年ではなく、青年といった若い感じです。早速、私は彼がどういう人物なのかを探るためにいろいろ質問しました。それによれば、Kさんは今元気でやっているとのことで、好きな食べ物はスイカやメロンといった果物みたいです(特にスイカ、メロンという印象が強く感じられました)。次に私は、あなたを特徴づけるメッセージのようなものはなんですか?と聞いたところ、白いドームのようなものが見え、どこかの町並みがちらっと見えました。そして、いつ頃亡くなったのかと聞くと、25~26年前という印象があり、子供の顔が浮かびました。さらに、どのような亡くなり方をしたのかと聞いたところ、「自動車事故」だと言われました(これを聞く前に、私は直観的に、Kさんが病気もしくは事故で亡くなったような気がしていました。それを確かめるためにこのようなことを尋ねました)。以上で私の向こうの世界でのKさんとの接触は終わりました。 その後、その人物の探索を依頼した参加者に直接聞き、私が体験した内容の検証を行いました。それによれば、Kさんはその参加者の大学時代の友人らしく、Kさんは大学卒業後、仕事でタイに転勤したそうです。その後、何年かして現地でバイクに乗っているときに、車と衝突して亡くなったそうです。この時点で、私はKさんと本当にF27でお会いしていたのではないかと感じ始めました。さらに、意見交換のときにケヴィンさんから指摘されたですが、タイはフルーツが非常に豊富で路上の店先には南国のフルーツがたくさんあるらしいのです(言われてみればそうだとは思いましたが、へミシンク中は全く気づきませんでした)。確かに、Kさんは私に、数あるフルーツの中でも比較的南国をイメージさせるスイカやメロンが好きだと言いました。他方で、白いドームや見えた町並みについては、依頼者に次の日にもセッション前に確認をとってみましたが、結局何を意味しているのかわからないとのことでした。また、25,6年まえに亡くなったというのは事実ではなく、10数年前に亡くなっていました。しかし、Kさんには子供がいたかもしれないとのことでした。これらの情報を総合的に検証したとき、私は、KさんとF27で確かにお会いし、彼から情報を受け取っていたと確信しました。偶然にしてはあまりにも整合的だと思ったからです。 バスの衝突事故、そしてF27でのKさんとの出会い。このきわめて高い整合性がとれた事実から、私の信念は大きく変わり始めました。私がへミシンクによって体験したことは、単なる空想ではなく真実であったのだと思うようになりました。 このブログでこれから日々お話しすることは、私がへミシンクを通して得られた体験をそのまま述べさせていただくものであり、一切の誇張や情報の編集はありません。私自身の生の体験をそのままお伝えします。しかし、このことは、私の体験のすべてが客観的にみてすべて真実であることを裏付けるものではありません。あくまで私個人の体験にすぎないものです。そのことをご理解ください。 なんだか長々とした文章になってしまいました。だいたいこんな感じでブログを書いていこうかなと思っています。それではまた! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.03 19:38:42
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