>伊勢白道山さんのこの記事なんですが、”自分を信じる者は救われる”
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/4dbbae825c710dd813bd6f79a903ee1d#comment-list
特に ”霊的な感染の被害は、他人との霊的エナジーの交流を起こす、気功・瞑想伝授・ヨガ伝授” ここなんですが。やはり、気功や瞑想、ヨガみたいなものは霊的な側面が強いということなのでしょうか?
私は実際に魔界のようなところと2・3回、繋がったことがあります(若い頃のことです。自分を見失い、ほとんど寝れず、毎日浴びるようにお酒を飲んでましたので、波動が下がっていたんだと思います。しかし、これはこれで貴重な体験をしたと思ってます。いろいろなことを体得できましたから)
伊勢白道山さんのおっしゃられていることはよくわかります。
いみみさんはどう思われますか?
あと、いみみさんはガイド拝見や、過去世拝見をしないと書いてありましたが、こういう理由なんですか?
よろしくお願いします。
気にする必要はありません。大切なのは、他人がどう思うかではなく、自分がどう思うかです。
何事も体験してみないとわかりません。
「誰が何と言おうと、俺はヨガをやりたい!」と思えば、やったらいいわけです(笑)。
ヨガというのは、もともとは古代エジプトにおいて秘儀参入者になるための秘儀として伝えられていたものらしいです。シュタイナーが確かそのように言っていた気がします。
瞑想もそうです。ただ「瞑想」は多くの場合、「迷走」になってしまうおそれがあります。私も必要性を感じるとき以外はやりませんし、やったとしてもせいぜい10分程度です。日常生活を犠牲にしてまでやる必要はありません。ピラミッドも不要です(笑)。
ヒーリングについては、私は以前から、自己ヒーリングのみにとどめるべきであって、自分以外のだれかにエネルギーを与えてもらう必要はないという立場をとっています。
去年の暮れにOWメンバーの中でかなりもめたんですが(笑)、その根底にあったのは、ヒーリングに対する見解の相違があったように思います。
ですが、ヒーリングに関しては、様々な見解があるでしょうし、現に、私もツインソウルとの間で見解を異にしています。
でも、それでいいのではないかと思います。
大切なのは、他人がどう考えるかではなく、自分がどう考えるかです。
ご自分の考えを大切にされてください。
ご自分が正しいと考えられるのであれば、ご自分の責任でヨガやヒーリング、瞑想、気功をやってもかまわないと思います。
なぜなら、多次元的・霊的視点を突き詰めれば、すべての物事は「自分自身とその宇宙との関係でしかない」からです。
ただ、すでにご存じの方も多いとは思いますが、霊的観点について何も知らない無知の素人に対して、眷属を用いてあらかじめ憑依させたうえで、占いや除霊、ヒーリングといった目に見えない力を対価に高額な金銭を要求する悪質な人がおられるという事実があります。
霊的磁気の問題も大きいですが、何の罪もない人がそのような悪質な人の餌食にならないようにといった配慮から、伊勢白山道さんはおっしゃっているのではないかと思います。
私も先日ご紹介いただいた伊勢白山道さんの記事を読み、部分的にコメント欄も拝見しました。いつもはコメント欄までは拝見しないんですが。コメント数がとても多いですからね。
私も初めて知ったんですが、伊勢白山道さんは、ご著書を何冊も出版されていますが、印税は税金を納めたあとはすべて寄付されているそうです。
これはなかなかできることではありませんよ。
私は伊勢白山道さんは信頼できるメッセンジャーの一人だと考えています。
あと、たまたまコメント欄で目にしたんですが、イエスのヒーリングについてです。
これについては、私は伊勢白山道さんとは別の見解を持っています。
一言で言うと、人知を超えたところでの計画性というものが感じられます。
いかなる場合であっても、本人(高次も含めた)の同意なくしては高次はその者に関与できません。
高次の存在が普通の人に関与する場合、多次元的視点から見れば、かならずその関与されるもの、そしてその者のハイアーセルフの同意があって初めて関与が許されます。
そういった意味からすれば、イエスのようなものがデモンストレーションとしてヒーリングをした場合、それは、あらゆる観点から見て、事後的に霊的な埋め合わせ(それはたいてい進化の促進という形でもたらされるようです)があるように必ず取り計らってくれます。
加えて、今地球上にいる多くの人に蔓延している「死」に対する誤解も見受けられます。
前々回くらいにご紹介した、セスの語る「死」についての記事をご参照いただければと思います。
霊的見地からすれば、死は存在しないのです。
本人及びその高次の同意、ヒーリング後の埋め合わせ、そして「死」に対する誤解、これらが合わさって、イエスのヒーリングにまつわる見解の相違が生じているように思います。
なお、私がガイド拝見・過去生拝見をしない理由は、単に私個人のポリシーの問題です。
そういうことに決めているといった感じでしょうか。
これについても、ご本人がやりたければやったらいいと考えていることは、以前申し上げた通りです。
要は、好きにしたらいいわけです(笑)。
繰り返しますが、スピリチュアルな世界においては、いかなる場合においても、他人の意見が大事なのではなく、自分の意見・気持ち・方向性が最優先されるということです。
それはとりもなおさず、究極的にはすべての事象は「自分とその宇宙との関係」に突き詰められるからです。
ご自分がどのような宇宙を創造したいのか、その素直な気持ちに従われるといいかもしれません。