今日は家族でプラネタリウムを見に行って、その後、弥生から古墳時代にかけての墳墓群(公園になっています)やその近くの神社に行き、帰りに温泉に入ってきました~
プラネタリウムでは、プレアデスの重要性を再確認し、古墳群ではいつものようにリーディングを行い、公園では木や岩・石とエネルギー交換をし、帰りの車の中では月読命とつながり・・・といったような、スピリチュアルな休日でした~
それにしても、シリウス、オリオン、プレアデスは、夜空を見たときに左から順にシリウス、オリオン、プレアデスの順に並んでいるなんて、はじめて知りました~
シリウス、オリオンは夜空に見える位置としては近い位置にあることは分かっていたんですが、プレアデスもすぐそばにあったんですね。
しかも、ギザの三大ピラミッドの並びと深い関係にあるとされるオリオン座の三つ星とほぼ同じ位置関係にシリウス、オリオン座、プレアデスも配置されているんですね。規模の違いはありますが、方向的というか位置関係がですね。
このような小と大の相似象の関係は、スピリチュアル的にみて深い関係にあると私は考えています。
ピラミッドとかかわりが深いのはシリウス、オリオンというのはよく言われるみたいですが、プレアデスも相当深い関与があるように感じます。それは、以前何度か記事でご紹介させていただいた通りです。
ですから、なおのこと、シリウス、オリオン、プレアデスの位置関係には興味をひかれるものがありました。
あと、驚いたのは、北極星を見たときでした。
私は、天之御中主神社で北極星を感応して以来、北極星から強くエネルギーを受けるようになりました。そのせいなのか、プラネタリウムで北極星を見たときにも、強いエネルギーが感じられました。
もちろん、プラネタリウムなわけですが、思うに、北極星のもつ象徴としての意味それ自体が大事なんだと思います。夜空に見える北極星を実際に見るかどうかではなくてですね。
やはり私には、北極星にはアマテラスと同質のエネルギー、それもかなり強いエネルギーを感じます。あえて挙げるとすれば、以前もお話しましたが、伊雑宮(いざわのみや)で太陽意識と感応した時に感じたエネルギーです。
私はもともとエネルギー的なものには敏感ではありませんでした。もともと霊的なものには敏感ではありませんでしたし、ヘミシンクを始めてからも、それほど大きな変化は最初の頃はありませんでした。
ただし、今は違います。低次元のものは見えませんが、高次元のエネルギーには敏感に反応するようになりました。
おそらくそれは、チャクラの活性化ともかかわっている可能性があります。
本当は書きたいことももっとあるのですが、今は書けません。
ですが、総合的に見れば、私は様々な導きによって、様々な訓練をC1や非物質界で受けることによって今の能力を獲得したということだけは言えます。
もちろん、多くの人の助けがあったからこそです。ありがとうございます。
ところで、私は、日常生活でも自然との交流を欠かしません。
エネルギー的な交流です。
木から感じるエネルギーは、木によってかなりの差がありますが、地球そのものからのエネルギーを感じやすいです。
同様に、石や岩もそうです。
今日もある公園に行ったんですが、そこに巨大な岩がモニュメントとして置かれていました。
それに触ってみますと、強烈な地球からのエネルギーを感じました。
そのような岩というのは、触れなくてもそばに行って見ているだけでエネルギーを感じ始めます。
触れるというのは本質的なことではなく、「つながる」ことが大事なんですね。
つまり、ここにもホログラム宇宙としての本質が表れていたりします。
岩に触れるという行為は、岩と自分とを同化・一体化させるための象徴的行為であり、一種の儀式にすぎないのだと思います。
ですから、岩には触れることなく意識を向けるだけで、エネルギー的につながることができます。
実は、これと同じことはヘミシンクワークにも言えるように思います。
ヘミシンクは、極論すれば不要なのです。
それが必要だと感じるのは、それが必要であるという信念を持っているからにすぎません。
意識的な変化や、体感覚として生じる変化、そういったものは本質的なものではないわけです。
私は、進化とは日常生活の中にあると考えています。
進化のために必要なことはすべて「日常生活の中から」得られると、私は考えます。
なぜ今我々がここにいるのかと考えますと、それは我々が「今ここ」での体験それ自体を求めているからにほかならないと感じざるを得ません。
もちろん、それは、「今ここ」の「C1」においてです。
生きていることの喜びは、生かされていることの喜びに通じます。
地球のエネルギーにふれ、様々な人とのかかわりがありその人のエネルギーや感情にふれ、様々な体験を積み重ねていきます。
それは、そういった交流自体が生きる喜びにつながり、我々が「今ここ」に存在する意義でもあります。
この現実世界に勝る体験はありません。
他方で、私はヘミシンクをやめるつもりもありません。
ヘミシンクが好きだからです。
ただそれだけです。
私の自己探求の旅は、まだまだ続きます。