カタカムナ文明は、物理学者の楢崎皐月(ならさきこうげつ)が提唱した、先史時代の日本に存在したとされる超古代文明です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%8A%E6%96%87%E6%98%8E
楢崎皐月の弟子に宇野多美恵(うのたみえ)という人がいます。
この宇野多美恵に師事していたという人物と、今からもう20年近く前に知り合ったことがありました。
何事もそうですが、直接話を聞くとリアリティがあります。
カタカムナ文明についてはいろいろ言われているみたいですけれども、私個人は真実ではないかなと思っています。
カタカムナ文明の時代に、日本にアシア族という民族がいたそうです。
今から12000年くらい前です。
その文明が、中国に渡り、中国文明のもとになったという話があります。
それについて面白い説を紹介されているブログがありました。
時々拝見させていただいているブログなんですが、『真理探究と歴史探訪』というブログです。
で、中国文明のもとになったアシア族というのが、古代日本の九州は芦屋に由来するのではないかという説です。
以下、その記事をご紹介したいと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/201206110000/
もう30年前になろうか、当時は東京に住んでいて、「サイ科学会」に出入りしていた関係もあり、宇野多美恵女史が主催していた、「カタカムナ」を研究する「相似象学会」に出席したことがあった。
その「カタカムナ」とは「上古代語」で、その起源は5千年以前に遡るとされ、「上古代民族の直観」に基づく「物理」を表した「コトバ」なのだそうだ。
その表記となる「カタカムナ文字」は、幾何学的な円と直線からのみ成り立っていて、「八鏡文字(はっきょうもじ)」と言われている。
その「カタカムナ文字」で綴られた「カタカムナ文献」は、昭和24年 楢崎皐月(ならざきこうげつ)が兵庫県六甲山系で、「金鳥山」の穴に籠り大地の電気の測定していた場所に、カタカムナ神社の宮司 平十字(ひらとうじ)から見せられたことで世に広まることになったとされる。
以下は、参考URL(カタカムナ文明・Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%8A%E6%96%87%E6%98%8E
私も昨年、縁あって〔神戸の芦屋〕にある「カタカムナ」所縁の「金鳥山」の中腹にある保久良神社等を訪ねたことがあった。しかし前々から、その「芦屋(アシヤ)」とは〔九州の芦屋(福岡県遠賀郡芦屋町)〕ではないかと、私なりに感じていた。
そこで最近、その〔九州の芦屋〕に住む知人から、ある「カタカムナ」の研究家が「カタカムナ」は〔九州の芦屋〕が本家ではないかと注目しているということを聞いた。
その研究家の話では、中国の「道教」の古伝によると、日本にはその昔「アシア(アシヤ)族」という種族が存在し、「八鏡文字」を使って「特殊の鉄」を作るなど、様々な生活技法を開発する高度な文明を持っていて、それが神農氏らによって伝えられて「中国文化」の元になったと、密かに伝わっているとのことである。
また、この「アシア族」がいた場所は、当初は〔神戸の芦屋〕かと思っていたが、〔神戸の芦屋〕には「鉄」を作るという歴史もなく、平安時代の前には違う地名だった・・・これに対して〔九州の芦屋〕には、茶の湯釜で聞こえた「芦屋釜」という製鉄文化があり、この土地こそ「アシア族」の末裔が住んできた地域ではないかとのことだ。
今まで私も何度か〔九州の芦屋〕に足を運んでいるのだが、ごく最近知ったことに、この地域には「エビス」という発音の神社が六社あることだった。その「エビス神社」の六社の当て字は、「蛭子」が四社と「恵比須」が二社とのことで、加えて同地域には粟嶋神社も鎮座している。
昨日のブログで取り上げた『宮下文書』では、「蛭子」を「エビシ」と読むルビも振られていたことも加えて、やはり「エビス」はイザナギの次男「栄日子」という美称が、本来の当て字として相応しいと思われた。
また、上述の楢崎皐月に「カタカムナ」を伝授した平十字の言い伝えでは、これを記したのは「芦屋」に住む「アシア族」の族長である「アシアトウアン」で、その昔「天孫族」との戦いに敗れて「九州」で亡くなったということである。
・・・などということを考え合わせると、勝者側の「天孫族」によって編纂された「記紀」の系図からは、敗者側の「栄日子命」の海人族の系譜は削除された可能性が高いということではなかろうか・・・。
加えて、「芦屋」とは〔九州の芦屋〕が大元であり、エビス神社が六社も鎮座する芦屋地域は、太古から住んでいたであろう「アシア(アシヤ)族」や、時代が下っては「栄日子」系の海人族の拠点ではなかったか・・・と、そのように感じ始めた今日この頃である。
ここで言われている天孫族というのは、今の天皇家のルーツにあたるのでしょうか。
九州には天孫降臨伝説がありますし、歴史もあるところですから、そういたアシア族のルーツが九州にあったとしてもおかしくはありませんよね。
また、12000年前に栄えたとされるカタカムナ文明ですが、12000年前というと、ムー大陸との関連も連想させます。
いずれにしても、カタカムナ文明が真実であるとすると、超古代に存在したとされるアジア地域の文明の発祥地は、ここ日本(ムーの一部)が拠点であった可能性もあります。
今の日本列島がムーの一部であった可能性もありますし、太平洋に存在したムー大陸が沈んだ後に、船によって日本列島に渡ってきた可能性もあります(海人(アマ)族)。
私はどちらかというと、後者の立場をとっています。
つまり、ムー大陸が沈んだ後に、海人族が伊勢の伊雑宮や島根の出雲、九州の高千穂、四国などに移り住んだのではないか?ということです。
まあ、私の妄想です(笑)。
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