三屋裕子の「批判は甘んじて受ける」に違和感
日本バスケットボール協会(JBA)の三屋裕子会長が30日、米プロNBAの八村塁によって協会や男子日本代表のトム・ホーバス監督が批判されていることを受け、都内で騒動後では初めて取材に応じた。八村との間に「コミュニケーション不足があった」と反省。今月13日の1度目の批判発言から17日が経過しての対応に「皆さんから『遅い』と言われると十分分かっていた。本当にすみません。批判は甘んじて受ける」と謝罪した。この中の「批判は甘んじて受ける」というくだりに違和感を覚えた。特に「甘んじて」という所に。そこで「甘んじて」という言葉を調べてみた。「甘んじて」「甘んじる」とは、「(不本意だが)仕方なく受け入れる、(不十分であるが)仕方なく認める」という意味を持つ言葉です。「受け入れる」「認める」のどちらの意味で使うにしても、「こちらは満足していない、十分ではない」という意思表示をする際に使います。 仕方なく相手の要求を飲むようなシーンでも使われ、「相手の提案や提供したものに満足していない、不足である」という意味が強いことから、使用するシーンや相手によっては失礼にあたるケースがあるため注意が必要です。対応は遅かったし、反省はしているとしながらも、会見の中身はスカスカ。会長としての役務に見合った対応としては全く不十分と言わざるを得ない。それで報酬を貰っているのだから、まるっきり給料泥棒だよな。批判されて然るべしじゃんかよ。にも拘らず、批判を(不本意だが)仕方なく受け入れる、(不十分であるが)仕方なく認めるなのかよ。これが拙者の覚えた違和感の正体だった。一方、「甘んじて」には、こんな意味合いもあった。「甘んじて受け入れる」は「大人しく受け入れる」「反論せずに受け入れる」と、反省の意を表す言葉として使用されることもあるのです。「甘んじて」「甘んじる」だけでも「受け入れる、認める」といった意味を持ちますが、「甘んじて受け入れる」と表現することによって、「どんなことであっても逆らうことなく、大人しく受け入れる」という意味合いにもなります。つまり、「甘んじて受け入れる」は相反する二つの意味で使用される言葉なんだって。拙者は、前者の意味で受け取り、三屋裕子は後者の意味で言ったのかもしれない。どっちにしても、批判はきちんと受け入れて、本件を早期に的確に対処して貰いたい。