藤井聡太王位が解いた「200年前の詰将棋」に残されたナゾ Part2
更に盤上には一つの謎が残った。それが玉方(後手)の「7二歩」の存在。詰将棋は必要最小限の駒で作るのが原則。しかし7二歩が詰め手順に影響しない。藤井王位も不審がって確認しましたが、やはり不要駒という結論に至った。この歩に込められた意図が判明したのは、その夜。鍵は、図面の脇に「文化午」とともに書かれた「大小」の2文字にあった。当時は、月の満ち欠けを基準とする太陰暦が用いられていて、年によって30日まである「大の月」と、29日までの「小の月」が不規則に並んでいた。牧之原で見つかった詰将棋は、大小をどのように表現しているのか。文化7年の各月の配列を調べると「小大小大大小大大小大小大」の順と分かった。盤面に並ぶ駒の数も12枚。これらが大小を示しているのは間違いなさそう。盤の右上から下へ順番に駒を拾っていくと「歩飛歩玉桂歩金桂歩角歩飛」となる。つまり歩を「小」、それ以外の駒を「大」に置き換えると、この年の大小の並びと一致する(図3)。不要駒である7二歩の存在も、それで説明がつく。大小暦として成り立たせるためには、この位置に歩の駒が存在しなければならなかった。図2の詰将棋の正解は1五角、同飛、2五香、同飛、同金、1三玉、2四金、同桂、2五桂、2二玉、2三飛成、同玉、3三飛、2二玉、2三歩、2一玉、1三桂不成、1二玉、3二飛成、1三玉、2二竜まで21手詰め記事出典は次のURLhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/354025https://www.tokyo-np.co.jp/article/354222