984283 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

店長いなりのブログ

店長いなりのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

店長いなり

店長いなり

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

いなご@ Re:松尾観音さま(04/25) うちのちかくにも、松尾寺という飛行観音…
まゆみ@ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
まゆみ@ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
まゆみ@ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
まゆみ@ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …

フリーページ

ニューストピックス

2013.08.28
XML
カテゴリ:おでかけ

静岡県湖西市の本興寺に行ってきました。。法華宗陣門流の東海別院。山号は常霊山(法華経自我偈の一句「常在霊鷲山」にちなむ)。院号は大悲院。本尊は三宝尊。塔頭が四院ある(長勝院、光明院、玉葉院、東光院)。

惣門(山門)(市指定文化財)。吉田城(豊橋)の城門を寄進により移築されたそうです。

本興寺本堂。1773年に再建、茅葺きとしては東海随一。

徳川将軍家の御霊屋(みたまや、おたまや)です。家康公以来歴代の位牌が祀られています。

※家康公による遠江侵攻が始まると、本興寺も戦乱の渦に巻き込まれ そうになったが、時の住職・日梅が家康公側室であった西郡方の弟(あるいは叔父)であったことから難を逃れたといわれる。後に本興寺は家康公から10万石の格式を与えられており、自信も熱心な法華宗の信者であった西郡方によって、篤い保護を受けたそうです。

書院。谷文晁(たに ぶんちょう、江戸時代後期の画家)の間。襖絵の春の図が有名。

本興寺由来の「子育て飴」(最後はやっぱり食べるものになりました(-_-;))

※「子育て幽霊」今からおよそ二百六、七十年の昔のことである。鷲津に野末八百四郎という男がいたが、その妻は懐妊したあと、分娩できず亡くなってしまった。仕方なくその妻を箕輪の「おと山」の墓地に埋葬した。この箕輪の村に、麦から飴を作り滋養糖として売っている飴屋があった。この店に、この頃から、見慣れぬ若い女が毎晩この滋養糖を買いにくるようになった。不思議に思った飴屋が、ある晩、その女の後をつけていくと、「おと山」の墓地の所で消えていった。気になった飴屋は、翌朝、女の消えたあたりに行ってみると、そこに滋養糖の空き箱がいくつもみつかった。それは八百四郎の家の墓の所であったので、八百四郎に知らせ掘り返してみると、赤ん坊がいた。そして、その時、赤ん坊は急に大きな声で泣きだした。八百四郎は、それが、自分の子供であることを知り、育てていったが、育つにつれその子 が途方もない利口な子であることがわかった。やがて、成長して、その子は、本興寺の名僧、一七世日観になった、 と言う。

キャンペーン

ハーティさん募集!!詳しくはこちらをクリック!






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013.08.28 20:02:31
コメント(0) | コメントを書く
[おでかけ] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X