1782342 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

一 夢 庵 風 流 日 記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

カテゴリ

日記/記事の投稿

バックナンバー

2024年04月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月
2023年11月
2023年10月
2023年09月
2023年08月
2023年07月

フリーページ

お気に入りブログ

落ち込んだ時は、 New! 奥円さん

ふと思い出す中学校… New! カーク船長4761さん

For world peace... Voielacteeさん
三人寄れば文殊の知恵 三人文殊さん
くりごと じんこωさん
殿上人日記 夢穂さん
なんだか幸せ ZAGZAGさん
こだわりのお買い物 doriminさん
今日、生きていると… ふうこ97さん
びーちぇの別館 まいそふぃーさん

ニューストピックス

2006年02月25日
XML
テーマ:戦争反対(1187)
カテゴリ:歴史・戦史
1930年、ロンドン海軍軍縮条約を浜口雄幸民政党内閣が、海軍をおさえ、

元老西園寺公望の強い支持のもと、調印する。

この年の8,9月頃、陸軍部内に極秘に結成された桜会は

「過般海軍に指向せられし政党者流の毒刃が近く陸軍軍縮問題として現われる」

だろうと軍縮への恐怖と「国家改造」への志向を強めていた。

満州事変は石原莞爾の「謀略により機会を作成し軍部主動となり国家を強引」

しようという計画に基づくものであった。(石原莞爾資料 国防論策)

ゆえに対外侵略でありながら西園寺公望の秘書である原田熊雄が「陸軍のクーデターの

序幕」と述べたように、国内的には事実上のクーデターの役割を担っていく。

 1.マスコミのセンセーショナルな報道による排外熱
 2.陸軍内のクーデター計画(10月事件)
 3.「満州」侵略の既成事実を次々に拡大する関東軍の独走

結果あいまって、31年12月、若槻内閣は倒壊、犬養毅政友会内閣が誕生する。


1932年2月の総選挙で与党政友会は300議席余を獲得勝利をおさめるも、

その足元では既成政党やそれと結びつく財閥への反感が高まっていた。

「一人一殺」を掲げる右翼血盟団は、井上準之助前蔵相、三井財閥の団琢磨を殺害する。

そして5.15に血盟団と関係する青年将校らの手で犬養首相は命を落とした。

この後、政党内閣か挙国一致内閣かをめぐり紛糾、陸軍はあくまで政党内閣継続に反対する。

5.26、組閣の大命は海軍長老斎藤実に降下し、ここに1924年

護憲内閣登場以来続いてきた憲政常道は崩れ去る

1933年になると満州時変下の非常時という緊張した状況も弱まり、国民の

排外主義的熱狂も衰え、憲政常道への復帰を求める声が強まっていく。

しかし、これに陸軍は反発。

真崎甚三郎参謀次長は、日記に「国民一般に今や平静に馴れ、人心弛緩し、ややもすれば

軍を離反せんとしつつあり、特に政界、財界に於いて然り」と記すのである。

1933年秋、繭の価格が暴落し、養蚕地帯は大打撃を受け、翌34年5.6月頃からは、

各地で飯米不足が深刻になる。同年8月、全国養蚕業組合連合会・帝国農会は

軍事費の一部を農村救済にあてることや「農村救済費は国防費と併行的に考慮」

することを政府に求めた。満州事変以降、「聖域」視されつつあった膨張する

軍事費への批判の芽が生まれたときであった。

なかでも1934年の東北冷害は1902年の大凶作以来の惨状を示し、

「東京日日新聞」(1934年10月17日付)では「稗飯を食べるものがめぐまれた

最上流の農家」であり、もっとも冷害のはなはだしい地方では「藁を粉にして

水とともにすすりこむ」といった、さらにすさまじい食糧事情を報じた。

「東京朝日新聞」も、凶作地の雰囲気を「成すことなく路傍に佇む男女、蓬の

ような顔をした血色の悪い児童」と描いていた。

また300戸ほどの村から、200人の娘が売られていったとか、わずか10円で

小学生の娘を手離したとかいう哀話は枚挙にいとまがないほどであった。

娘売買契約書というものが存在し、これは東北冷害がすさまじかったことがわかる。

陸軍には皇道派と統制派が存在したが、皇道というと天皇に好かれているかのような

錯覚を受けるが、天皇・宮中派からは、軍備拡大膨張路線の陸軍は嫌われており

どちらにせよ、疎ましい存在であった。

国民の間にも反ファッショ的雰囲気が広がり、1935年秋の全国的府県会議員選挙では

右翼・ファッショ系が惨敗、陸軍は危機感を募らせていく。

青年将校らは、この疲弊した農村の現状と軍部への予算縮小などに反発する形で

あの事件を起こそうと考え始めるのだ・・・操られ捨てられるだけだったのに・・・


    rank   ブログ村
     ↑           ↑
 今日は、かなり手抜きで書いてます・・・すいませぬ。



      ~~~~~~~~~~~~ 追 記 ~~~~~~~~~~~~

明日、雪が降ったら(または積もっている)、この続きを書こうと思います。

なぜ、2月は28日までしかないのでしょう? 短い・・・短すぎる・・・


 一 夢 庵 風 流 日 記





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年02月25日 19時34分55秒
コメント(10) | コメントを書く
[歴史・戦史] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.