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2006年02月26日
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カテゴリ:歴史・戦史
1936年2月26日午前5時過ぎ、「昭和維新」を旗印に国粋主義を掲げる

青年将校たちは雪の中、行動を起こす、財閥だけが富みを得ていることに憤りを抱き

国家改造を目的とした青年たちの叛乱は、首相官邸、各閣僚私邸、警視庁、

朝日新聞社が襲撃、大臣の数名が殺害される事態を引き起こした。

(以下ブルー部分は、読み飛ばしてもいい詳細背景です、簡略に読みたい方は黒字へ)

この事件の前、皇道派の真崎甚三郎教官が更迭されたことに怒った「皇道派」相沢少佐が

陸軍内「統制派」永田鉄山を斬殺していた、この事件、真崎教官は

「今軽挙に騒ぐほうは必ず敗者」になる、と日記に書きつつも7月27日、青年将校との
連絡に当たっていた平野助九朗・森本五郎らに出した次の指示。

「若し万一単独にて強き信念の下に決行する者あるとも、其れは単独意志にて
 決して累を他に及ぼさざる如くすること」(真崎甚三郎日記)

これが、相沢の心をくすぐったのであろう、陸軍内対立の形が血に表れた事件であった。

上のように皇道派と統制派の対立が、この事件の根本であり、この派を知っておかないと

なかなか理解しがたい事件(単なる青年将校の悲しみ)となってしまうだろう。

統制派とは、幕僚中心の軍内の統制とか、統制経済を主張する派閥とされる。

統制主義ということは、国家社会主義に陥る可能性が高く、後年そのとおりになる。

皇道派とは、天皇が権威権力(統帥権)を持ち、すべては天皇中心、ピラミッド型の国

君側の奸を討ち、神聖なる天皇こそが、この国の重要な中心点とする理想派ともいえよう。

ここでもう一度、相沢事件に戻るが、真崎が教育総監を罷免されたことは、皇道派には

重大なことだった、陸軍三長官というポストがあるが、そのひとつを失ったことは

軍内影響力の失墜につながる、皇道派はあせり、相沢を真崎がそそのかしたということは

いえないだろうか? ここは昭和の闇として葬られている。

さて、この相沢事件により皇道派は形成を建て直し、もちなおす。

事件を起こして持ち直すというのは不思議な感があるだろう、これも過去を振り返らないと

ならない、5.15事件は犬養毅首相暗殺という最悪の事件だが、事件一年後、

陸海相は被告への同情を語り、新聞もその記事をセンセーショナルに報じていく。

その中で5.15事件被告減刑運動が急速に盛り上がってくる。

背景には5.15事件公判を、既成政党を叩き、「非常時」の継続(政党内閣の復活反対、

軍事費増大)を認めさせる場にしようとする陸軍の意図が働いていた。

そして国内では、このような熱狂的雰囲気ができあがり、殺人も目的があれば許されるという

政治家や言論界にとっては、かなり危険な状態が醸成されつつあった。

財閥や政党政治の腐敗が実際にあったことは確かであったが、陸軍構想では

それを叩くということで、予算を計上したいという思惑があったことを忘れてはならない。


午前8時30分、将校が占拠した陸相官邸に真崎がやってきた、このとき磯部浅一は、

「閣下、統帥権干犯の賊類を討つために決起しました!」と語ると、真崎は

「わかった、お前らの気持ちはよくわかっとる」と告げている。

この日の午後、陸軍大臣を始め、陸軍は決起した将校を擁護するような発言を

行う、そう、まるで今までのテロ事件と同じように情状酌量の空気を作り出そうとした


                      

予定が大きく狂ったのだ、今まで、立憲君主制を立て、自分は議会を重んじ政治軍事命令は

出来ないとしてきた昭和天皇が、この事件を聞いた際に

「朕の重臣を殺戮した者は、逆賊である。反乱軍を鎮圧せよ!」と、大激怒し

彼らを逆賊と言い切り、鎮圧命令を下したのだ、これには軍部は驚き、今までの

将校擁護から転換し、海軍は第一艦隊を東京湾におき、第二艦隊を大阪に配備する。

また陛下の言葉として、ビラをまき、投降も呼びかけられたが、将校たちは

奸が陛下に書かせたのだ、陛下が騙されていると聞く耳を持たず、抗戦の構えを見せる

午後になり、彼らは陛下に直接、この詔勅が本物なのか?また自分たちの意見を聞いてもらい

その上で、逆賊とされるなら「自決」の許しをえようとしたのだ、磯部も陛下の横で

死ねるなら、それでよしとした。


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しかし、陛下は


「自殺するならば勝手に為すべく、かくのごときものに勅使など以ての外なり、

また叛乱将校は自らの責任を解せざるものなり、戦本はかくのごとき厚顔無知な輩を、

即刻鎮圧すべし。彼らは朕がもっとも信頼し、そして朕の股肱たる重臣及び大将を

殺害せんとし、朕を真綿にて首を絞むるがごとく苦悩せしむるものにして甚だ遺憾に堪えず。

而してその行為たるや憲法に違い、明治天皇の御勅諭にももとり、国体を汚し

その明徴を傷つくるものにして深くこれを憂慮す。

この際十分に粛軍の実を挙げ再び失態なき様にせざるべからず」


と、これを受け付けず、今までのような甘い体質を払拭すべしとの気持ちを強くする。

陸軍部の事態収束の鈍さに翌27日、昭和天皇は

「朕自ら近衛師団を率い、これが鎮定に当たらん」と皇居に軍服を持って鎮座する。

これにより、この日午後4時、東京に配備された第一艦隊も砲門を反乱軍に向けた。

28日奉勅命令が出され、彼らの維新の夢はついえた、29日には帰順勧告が出され

いよいよ決意を固め、投降する者、自決する者と、事件は収束していく・・・

3月4日からの軍法会議にて、17名が死刑判決、15名が執行され、真崎は

無罪となった、8月には北一輝をはじめとする4名が銃殺刑され、この事件は

北の思想に煽動された極一部の将校の反乱として結論付けられたのだった。

将校たちは行動を起こせば、あとで自分たちの後押しをしてくれると

思っていたのに、いつの間にか、手の平を翻し、はしごを外されてしまったである。

この事件にて、陸軍内の皇道派の力は完全に失墜し、統制派が完全掌握、

東条をはじめとする統制派のファッショ体制は加速度的に帝国を覆っていった。


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~~~~~~~~~~~~~ 追 記 ~~~~~~~~~~~~~


   渋谷公園通り、渋谷区役所を左に曲がると渋谷公会堂で、その先の交差点に
   「226事件慰霊塔」があります。 ここは死刑執行が行われた所です。
   また麻布賢崇寺には事件に関係した方々の「二十二士の墓」があり、
   そこには、次のような辞世の句が残っています。

      ・国民よ 国をおもひて 狂となり 痴となるほどに 国を愛せよ

     ・天つ神 国つみ神の 勅をはたし 天のみ中に 吾等は立てりつ

     ・我が魂は 千代に八千代に とこしえに 厳めしくあり 身は滅ぶとも


二・二六事件裁判の研究  二・二六事件裁判記録  大川周明と国家改造運動  革命家・北一輝

「北一輝の素晴らしい思想と人生、学校では極右とだけ教えられますよね
 GHQが日本占領の際に、机上に置かれていたのは北の本でした。
 その斬新で素晴らしい内容を理解し、そのとおり農地改革を行ったGHQでした」


 一 夢 庵 風 流 日 記






最終更新日  2006年02月26日 15時41分35秒
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