2006/08/18(金)20:38
望月の下で入滅
”西行 「山家集」”
平将門を屠った藤原秀郷から9代目、佐藤義清は23歳で出家したが、理由は諸説あり
同僚の親友と夕方連れ立って帰宅、翌朝、急に親友が亡くなったことを知り、無常を悟
って出家したとか、武士の身でありながら、高貴な身分の女性に恋をし、3700通!
あまりの恋文を送ったものの、結ばれなかったことに嘆き、出家したとも言われている。
西行は苦吟を重ねて表現を練り上げるタイプではなく、言葉が次から次に溢れてくる天
才肌の歌人であり、汲めども尽きぬ歌心があった。これは裏を返せば思ったことをただ
言っているだけと捉えることもできるかもしれない・・が・・慶次はそうは思わない。
願はくは花の下にて春死なむその望月のきさらぎの頃
西行は釈迦入滅の2月25日(15日)に自分も死のうと願い、その日に没した(厳密には
26日16日)しかも旧暦の2月ならば桜の花満開である、また暦上はその日は
満月にも当たっており晴れていたなら夜月に照らされた満開の桜を見ながらの入滅だった
のではないだろうかできすぎた話ではあるが、ここは下種の勘繰りはやめて、西行の死を
素直に受け止めたい。
”こころなき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ”
これも西行の歌だが、尾崎紅葉はダイヤに魂を売り、こころなき身になった美女、鴫沢
宮の苦悩の半生を描く(金色夜叉)。 紅葉の脳裏には西行の「鴫立つ沢」の歌が繰り
返し繰り返し流れていたに違いない。 出家を引き留める幼い娘を縁側から蹴飛ばした
という西行と、熱海の海岸で宮を足蹴にした間寛一・・・・愛するからこそ振り払う行
為が見事にシンクロしていると思うのだが、いかが?
*三人文殊さんに釈迦入滅の日付が間違っていますよと指摘を受けました。はい、思いっ
きり間違えました、ごめんなさい。当然ですが、西行の没日も間違えていました。
美しき古典の世界へ
一 夢 庵 風 流 日 記