一 夢 庵 風 流 日 記

2008/05/14(水)11:58

ミイラ

日本民俗・宗教哲学(145)

古来日本では、死体は不浄なものとして扱われ、なるべく早く土葬火葬 で弔ったため、ミイラづくりは行われていない さらに、多湿で雨の多 い日本の風土では自然にミイラはできにくかった そのようななか、自らミイラとなった人たちがいた、 入定した即身仏として・・・そこにはふたつの大きな流れがあった 弥勒信仰というものがある、これは56億7千万年後の未来に弥勒菩薩 があらわれ、人々を救うという考え方だ 普通に考えて、そんな未来まで生きている人間はいない、ゆえに不老不死 の仙人にあこがれ、肉体を仙人が脱ぎ捨てた肉体のように干からびた状態 にし、弥勒菩薩を待とうというわけである 空海の唱えた即身成仏という真言密教の教えは、厳しい修行を積む事に より、大日如来と一体化し、人間がその肉身のままで究極の悟りを開き 仏になることを意味する 本来は即身仏になることと即身成仏は別物なのだが、いつの間にか、 即身仏になることを究極の目的とする行者が増えていった 現在日本には、18体の入定ミイラが存在している そのほとんどは、出羽三山周辺に安置されているが、これは出羽三山の 湯殿山が修行の聖地だったことによる 多くは拝観可能であるが、なかには御開帳の日が決められていたり 拝観不可能なものもある 有名な即身仏としては、山形県鶴岡市瀧水寺大日坊蔵 真如海上人 厳しい修行の末、いよいよ入定という年、浅間山の噴火や天明の 大飢饉が起こり、おびただしい死者を目にしながら、民衆救済を 祈願しつつ即身仏となった 享年96歳 では、最後に純粋なミイラを御紹介 ・・・・といっても みなさん誰もが御存知のミイラである それは、岩手平泉の中尊寺金色堂に安置されている奥州藤原氏四代 のミイラ 奥州藤原氏は、11世紀から12世紀にかけて権勢をふるい、平泉は 平安京に次ぐ日本第二の都市となったほどであった しかし、権勢も永くは続かず、三代(清衡・基衡・秀衡)は遺体として、 四代目(泰衡)は、首級として保管されている(拝観不可能) 余談として藤原氏のミイラを自然と記したが、意図的にミイラにしたと いう学説も発表されている それにしてもミイラって、やっぱり気持ち悪い       一 夢 庵 風 流 日 記       

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