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カテゴリ:日本民俗・宗教哲学
江戸五色不動のひとつ、「瀧泉寺」です。 こちらの宗派は天台宗であり、ご本尊は不動明王。 瀧泉寺HPより 「大同三年、十五歳の慈覚大師は、伝教大師最澄のもとへ赴く途上、当地に立寄られ、霊夢を見ました。 面色青黒く右手に降魔の剣を提げ左手に縛の縄を持つ誠に恐ろしい形相の神人が枕上に現れて『我この地に迹を垂れ魔を伏し国を鎮めんと思ふなり。来つて我を渇仰せん者には諸々の願ひを成就させん。』と告げられました。 夢覚めた後その尊容を自ら彫刻されたのが、御本尊目黒不動明王です。 堂宇建立を決意された大師が、法具の獨鈷を投じると、そこに泉が湧出。「獨鈷の瀧」と名づけられたこの霊泉に因んで、当山を「瀧泉寺」と号されました。 貞観二年には清和天皇より「泰叡」の勅額を賜り、爾来「泰叡山」と称します。」以上抜粋。 大同三年は808年です。結構古いですね。 門をくぐって左前方に「獨鈷の瀧」があります。ここで本来は自分が滝に打たれるのですが 御不動さんに変わって打たれてもらいます・・・ありがとう御不動さんm(__)m ここから右にスタスタと移動すると阿弥陀堂がございます。 自分は戌年なので、阿弥陀様へのご挨拶はかかせませんね。 少し小さめの観音堂と大きな阿弥陀堂・・・菩薩と如来の違いですかねえ。 少し開いた戸から賽銭を入れ、阿弥陀様へご挨拶をすると左側のロウソクの炎が激しく揺れました。 まあ、すきま風でしょうが・・・なんか嬉しい(´・ω・`)おん あみりた ていせい から うん さて続いて観音堂と地蔵堂の間にある「精霊堂」へ。 賽の河原で石を積む子供たちへの慈悲が痛いほど伝わってきて泣けます、ホントに。 そういえば、父が病に伏してふたりで思い出話を病室でよくしていたのですが、 「お前は小さい頃、どこに行ってもお地蔵さんを見かけると『まんまんちゃ』って 手を合わせてたぞ」って笑いながら話してたのを思い出しました。 最近さぼってるな・・・まんまんちゃってしないとな(´・ω・`) それにしても何故ここまで「不動明王」は人気があるのでしょうか。 怒られるかもしれませんが、自論は「かっこいいから」以上です。 なまく さまんだ ばさらなん せんだ まかろしゃな そわたや うんたらた かんまん 次回は階段を上がった先をご紹介します。 追記:真言を唱えるときは印も結びました。阿弥陀如来の印しか覚えていませんが|д゚) 久しぶりのアップでこの程度の量で下書き何回も押してお茶休憩しまくりですわよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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お不動さんの真言はこう唱えるんですか?
>なまく さまんだ ばさらなん せんだ まかろしゃな そわたや うんたらた かんまん 真言系では 「のうまく さーまんだ ばーざらだん せんだ まーかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん」 梵字を見る限りでは なまく(は) さまんだ ばじゃらな せーんだー まかー(はー)ろーしゃなー そわーたや うんたらたー かーん まーん 一般的に真言は天台系の方が原語の読みに近いです(*^_^*) (2015年02月05日 10時59分07秒)
三人文殊さん
>お不動さんの真言はこう唱えるんですか? > >>なまく さまんだ ばさらなん せんだ まかろしゃな そわたや うんたらた かんまん > >真言系では > >「のうまく さーまんだ ばーざらだん せんだ まーかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん」 > >梵字を見る限りでは > >なまく(は) さまんだ ばじゃらな せーんだー まかー(はー)ろーしゃなー そわーたや うんたらたー かーん まーん > >一般的に真言は天台系の方が原語の読みに近いです(*^_^*) ----- 真言系の真言しか知らなくて、今回天台系の真言をはじめて 唱えました。紙には上記のように書いてあったんですよね。 やっぱり原語に近いほうがいいですかねえ? 三文さんの書いた真言が一番いいのかな? それか正確な真言を聞いたほうがいいですかね? 目黒不動尊は家から自転車で10分程度なので すぐにでも確認できるのですが。どうでしょう。 (2015年02月05日 16時31分00秒)
慶次2000さん
>真言系の真言しか知らなくて、今回天台系の真言をはじめて >唱えました。紙には上記のように書いてあったんですよね。 > >やっぱり原語に近いほうがいいですかねえ? >三文さんの書いた真言が一番いいのかな? > >それか正確な真言を聞いたほうがいいですかね? >目黒不動尊は家から自転車で10分程度なので >すぐにでも確認できるのですが。どうでしょう。 ----- 南無大師遍照金剛も俗に「生麦大豆二升五合(なまむぎだいずにしょうごんごう」とも言います。 真言宗では真言は「如来の真実語」ともいうのですが、実際はかなり訛っています。 唱え易い方で良いのではないでしょうか? (2015年02月05日 18時44分09秒)
>南無大師遍照金剛も俗に「生麦大豆二升五合(なまむぎだいずにしょうごんごう」とも言います。
> >真言宗では真言は「如来の真実語」ともいうのですが、実際はかなり訛っています。 > >唱え易い方で良いのではないでしょうか? ----- 真言は今まで真言系のほうばかり(というかこちらしか知らん)唱えていました。 本来の発音に近いほうがいいのかなと思って いろいろ試してみましたが、正直よくわからない。 ソラで唱えられる短い真言しか出来ませんが・・・。 長いのはどうやっても覚えられません。 (2015年02月05日 21時45分20秒)
私も京都のお寺に色々と行ってますが、東京にもいいお寺がいっぱいありますね。あまり行ってないですけど・・。
不動明王いいですね。私も大好き。青蓮院の青不動や同聚院の不動明王など、博物館で醍醐寺の五大明王や高野山の八大童子を見て感動しました。手も足も目もいっぱいあって、蛇が体にまきついてたりして、いったい何者? 今、不可思議な密教仏たちにぞっこんになってます。 (2015年02月11日 18時07分14秒)
gundayuuさん
>私も京都のお寺に色々と行ってますが、東京にもいいお寺がいっぱいありますね。あまり行ってないですけど・・。 >不動明王いいですね。私も大好き。青蓮院の青不動や同聚院の不動明王など、博物館で醍醐寺の五大明王や高野山の八大童子を見て感動しました。手も足も目もいっぱいあって、蛇が体にまきついてたりして、いったい何者? >今、不可思議な密教仏たちにぞっこんになってます。 蛇ですか 蛇はもしかしたら釈迦の悟りを描いた様子かもしれません 密教では釈迦が悟りをひらく際に様々な誘惑が彼を邪魔するが 彼はそれを憤怒の表情ですべて打ち負かすとあります 蛇の巻きつく様子が誘惑や障壁であり、明王が 釈迦の決意のあらわれとするなら合点がいきます(゜-゜) (2015年02月11日 23時25分37秒) |