カテゴリ:サブカル全般
試写会終了後からジワジワと話題になっていった実写版「進撃の巨人」への賛否。監督の舌禍も含めてネットニュースで広がりを見せている。
本編内容の評価については人それぞれなので賛否あって当然だが、今回は映画業界と広告業界の古い因習が垣間見えた気がして興味深い。 たとえば映画評論家には封切りから一定期間はネガティブな批評をなるべく書かないという業界の「仁義」があるらしい。確かに客入りが落ちるようなレビューをガンガン書くと映画業界全体が衰退し、ひいては評論家の仕事にも影響が出るだろう。 逆に考えればCMなどで事前に期待感を煽ることだけが際限なく自由で、正直な感想を述べることを禁じて駄作まで守るのがスタンダードな業界だったともいえる。ダメなモノが淘汰されてこなかった、それが失敗を反省せず独り善がりの悪癖を繰り返す邦画業界の病巣なんじゃないだろうか。 演劇や音楽など、売れない(支持されない)表現者をチヤホヤして思想的に引きずり込む政治グループもある(※実際に毒されている活動拠点を見たことがある)ので、誰がカネを出して飼い慣らし手駒にしているのか背後関係を調べるのも面白い。 脱線した。ともあれ現在の映画業界は一部を除き、かつての尊大な文学が没落していった道を辿っているように見える。特に監督や脚本家のコメントを読むと未だにアニメより映画のほうが高尚なものだと信じている人が多いように感じられる。スポンサーもそう思っているかもしれない。 本来は表現形態の違いだけで実写もアニメも貴賎はないはずだが、コンテンツに群がる利害関係者が増えるせいで実写映画のほうが製作にあたって余計な邪念が増えているのは素人目にもわかる。芸能事務所との関係もそのひとつだし、監督や脚本家の功名心がストーリーの改悪を招くこともあるだろう。 「別モノだと思えば面白い」という擁護意見はよく耳にするが、ゼロからオリジナル作品を作らなかった時点で「広告・宣伝ありきの映画業界」を体現しているに過ぎず、作品的に優れているといっても説得力がない。 そもそも『進撃の巨人』はアニメ化の時点でも映像化できるか不安視されていた作品。不安視された点は実写版とほぼ同じ、作画(映像)と声優(キャスト)と原作改変だ。 結果的にアニメ版はCGを駆使した大迫力の立体機動とイメージ通りの声優、原作を補完する良改変で大成功。 さらに原作マンガではわかりにくかったシーンの動きがわかりやすくなったり、物語を盛り上げた高品質のサウンドトラックは今となっては欠かすことの出来ない要素として原作との相乗効果をあげ、世界的なヒットに繋がった。 このアニメ版の大成功を前にして後出しの実写化には強いプレッシャーがあっただろうが、改めてアニメ版の映像・音楽のクオリティを確認すると原作に忠実な実写化でもアニメ版ほどの迫力を出すのは無理だったろう。 二次元の虚構性を強みにしたアニメ化と、「特撮は現実よりリアル」という思い込みに似た精神論を持ち込んだように見えてしまう実写化。ストーリー改変の理由が作品を良くするためではなく、キャスティングと撮影手法ありきのコンテンツ製作に整合性をつけるためなんじゃないかと思えてならない。 どういう経緯で作られたにせよ、映画業界のセーフガード条項が通用しない現代の観客にどのような評価を下されるのか楽しみだ。
とはいうのもの、『新劇場版ヱヴァンゲリヲンQ』と一緒に公開された『巨神兵東京に現わる』は凄いと思ったし、個人的にはああいった特撮映画にも大きな可能性を感じた。 ハリウッドとの差別化というプライドを持つなら「特撮をCGで補完するのが邦画だ」と断言するくらいの覚悟が必要だろうが、そこまで出来る監督がいるかどうか。
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最終更新日
2015年08月02日 16時15分43秒
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