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INDOOR STYLE

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サブカル全般

2015年08月02日
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カテゴリ:サブカル全般
 試写会終了後からジワジワと話題になっていった実写版「進撃の巨人」への賛否。監督の舌禍も含めてネットニュースで広がりを見せている。

 本編内容の評価については人それぞれなので賛否あって当然だが、今回は映画業界と広告業界の古い因習が垣間見えた気がして興味深い。

 たとえば映画評論家には封切りから一定期間はネガティブな批評をなるべく書かないという業界の「仁義」があるらしい。確かに客入りが落ちるようなレビューをガンガン書くと映画業界全体が衰退し、ひいては評論家の仕事にも影響が出るだろう。
 逆に考えればCMなどで事前に期待感を煽ることだけが際限なく自由で、正直な感想を述べることを禁じて駄作まで守るのがスタンダードな業界だったともいえる。ダメなモノが淘汰されてこなかった、それが失敗を反省せず独り善がりの悪癖を繰り返す邦画業界の病巣なんじゃないだろうか。

 演劇や音楽など、売れない(支持されない)表現者をチヤホヤして思想的に引きずり込む政治グループもある(※実際に毒されている活動拠点を見たことがある)ので、誰がカネを出して飼い慣らし手駒にしているのか背後関係を調べるのも面白い。



 脱線した。ともあれ現在の映画業界は一部を除き、かつての尊大な文学が没落していった道を辿っているように見える。特に監督や脚本家のコメントを読むと未だにアニメより映画のほうが高尚なものだと信じている人が多いように感じられる。スポンサーもそう思っているかもしれない。

 本来は表現形態の違いだけで実写もアニメも貴賎はないはずだが、コンテンツに群がる利害関係者が増えるせいで実写映画のほうが製作にあたって余計な邪念が増えているのは素人目にもわかる。芸能事務所との関係もそのひとつだし、監督や脚本家の功名心がストーリーの改悪を招くこともあるだろう。
 「別モノだと思えば面白い」という擁護意見はよく耳にするが、ゼロからオリジナル作品を作らなかった時点で「広告・宣伝ありきの映画業界」を体現しているに過ぎず、作品的に優れているといっても説得力がない。


 そもそも『進撃の巨人』はアニメ化の時点でも映像化できるか不安視されていた作品。不安視された点は実写版とほぼ同じ、作画(映像)と声優(キャスト)と原作改変だ。

 結果的にアニメ版はCGを駆使した大迫力の立体機動とイメージ通りの声優、原作を補完する良改変で大成功。
 さらに原作マンガではわかりにくかったシーンの動きがわかりやすくなったり、物語を盛り上げた高品質のサウンドトラックは今となっては欠かすことの出来ない要素として原作との相乗効果をあげ、世界的なヒットに繋がった。


 このアニメ版の大成功を前にして後出しの実写化には強いプレッシャーがあっただろうが、改めてアニメ版の映像・音楽のクオリティを確認すると原作に忠実な実写化でもアニメ版ほどの迫力を出すのは無理だったろう。
 二次元の虚構性を強みにしたアニメ化と、「特撮は現実よりリアル」という思い込みに似た精神論を持ち込んだように見えてしまう実写化。ストーリー改変の理由が作品を良くするためではなく、キャスティングと撮影手法ありきのコンテンツ製作に整合性をつけるためなんじゃないかと思えてならない。

 どういう経緯で作られたにせよ、映画業界のセーフガード条項が通用しない現代の観客にどのような評価を下されるのか楽しみだ。




 とはいうのもの、『新劇場版ヱヴァンゲリヲンQ』と一緒に公開された『巨神兵東京に現わる』は凄いと思ったし、個人的にはああいった特撮映画にも大きな可能性を感じた。
 ハリウッドとの差別化というプライドを持つなら「特撮をCGで補完するのが邦画だ」と断言するくらいの覚悟が必要だろうが、そこまで出来る監督がいるかどうか。







最終更新日  2015年08月02日 16時15分43秒
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2015年07月24日
カテゴリ:サブカル全般
いまさらだが「ガンダムUC」の最終話にあたるエピソード7を視聴したのでその感想など。



オールドファンには言わずともわかるだろうが、もう前半でマニアック&懐かしのジオン系モビルスーツがドカドカ登場して戦闘を繰り広げる作画でかなり満足。イチロー風に言うなら「ほぼイキかけましたね」といったところ。

バウ(分離あり!)やヤクトドーガ、ザク3、ズサといったZZ・逆シャア系の機体は昔の思い入れもあってたまらないものがあった。
個人的にはZZならゲーマルクを出して欲しかったが、残念ながらUC時代に旧世代のNT専用機が出る余地はなかったようだ。いや、そもそもキャラ・スーンのワンオフ機体だったっけ?
仮にZZで機体が爆散していなくても艦隊戦メインのUCでは「袖付き」陣営で拠点防衛向きの重MSに出番はなかったか・・・。




さてストーリーのほうだが、ようやく発見した「ラプラスの箱」の正体は宇宙進出によって出現する新人類の優位性を確約したラプラス憲章の秘匿そのものだった。
それによるビスト財団と連邦の癒着がジオンの興亡によって脅(おびや)かされ、開けるに開けられない宇宙世紀の呪縛になっていたことが明らかになる。

この作品は宇宙世紀シリーズを通して蓄積された歴史を個人レベル・政治レベル・思想レベルで階層的に描いてきたが、ミネバによって秘密が暴露されたことで一応の政治的な区切りがつけられた。しかしその後の混乱が容易に想像できるだけに、見方によってはひどく虚しさの残る物語だ。


ニュータイプの思想についてはバナージ、リディ、マリーダ、フル・フロンタルの4人がその可能性と限界を見せてくれた。特筆すべきはスペースノイドの指導者としての器であったフル・フロンタルにシャアの残留思念(?)が憑依していたかのような描写がなされたこと。

SFとオカルトの境界が曖昧になる例は珍しくない。手塚治虫の「火の鳥」では死者がコスモゾーンという宇宙の思念体といった類の生命概念に変化するとされ、竹宮惠子の「宇宙(テラ)へ・・・」では主人公ジョミーが死者の残留思念(自我)をエスパー能力で丸ごと自分の内に取り込むという描写がある。

ガンダムもオカルトSFロボットアニメとして死者の霊魂がたびたび登場していたので、シャアの憑依もそれほど突拍子もないアイディアではない。シャアの魂はララァやアムロと共に宇宙の思念体として宇宙を漂っているとすれば、マリーダもまたそのニュータイプだけが辿り着ける精神の深淵に居るのかもしれない。

徹底して器たらんとしたフル・フロンタルの狂気あっての現象だとしても、極限まで拡大された認識力によって本当に死者が直接現世に干渉していたとしたらニュータイプはサイコフレームという触媒を使った究極のシャーマンだ。
生に固執しないがゆえに宇宙の終局まで見通して判断を下せるとすれば、預言者、あるいは神と呼んでも差し支えない存在といえるだろう。

フル・フロンタルによる人類の現状維持と緩慢な衰退という消極的な統治がシャアの絶望と繋がっているのは間違いないだろうが、個人的にはどちらかに決断する「煮え切った態度」は逆にシャアらしくない。
仮にフロンタルが可能性を否定した世界を完成させれば、おそらく今度はアムロ、もしくはクワトロ・バジーナを憑依させたニュータイプの器がMSを駆って戦いを挑むのであろう。もうアムロとシャアは「魔法少女まどか☆マギカ」で概念化したまど神のように、宇宙世紀の人柱として停滞と可能性という対立軸を形成する象徴的な存在になってしまったようだ。


・・・と、ここまで空想を膨らませてきたが、結局のところ「ニュータイプ能力による死者の憑依」を他者に証明できないことにはどんな立派な思想も「イタコ・フロンタル」の妄言。
性善説を切り捨てるべきという考えは一理あるのだが、ひとまずガンダムUCの物語作中では最後の最後で自分の意志と言葉で勝負できなかったフル・フロンタルの敗北に終わった。


それよりも「コロニーレーザーを止めるほどのサイコフィールド」というさらなるNTの軍事的な可能性を見せてしまったバナージ。
「新劇ヱヴァ」のLCLに溶ける碇シンジよろしくユニコーンに取り込まれた現象もさることながら、残留思念の憑依が技術的に確立されればNTの兵器研究がさらに発展しそうな予感を残す危うさを感じさせるラストシーンでもあった。

戦死したニュータイプから戦闘技術を回収してダビングできるようになったりすれば「攻殻機動隊」的な社会派のオカルトとSFの境界ストーリーも描けそう。

実際、月光蝶とかいう謎の兵器が出てくるあたりで人類は大きく衰退するわけだし、その最終戦争のその頃には「射撃はアムロをインストール」とか「格闘はヤザンをインストール」といったように電子化された英雄を機体に搭載する技術があってもおかしくない。そんなifガンダムも見てみたい気がする。


しかしまあどんなにドロドロの宇宙世紀を描いても最後は「Gレコ」のベルリみたいに健全(?)な青少年に帰結するかと思えば気が楽になるというもの。宇宙世紀シリーズでは憂いなくシビアな戦争モノを描いていって欲しい。








最終更新日  2015年07月27日 11時14分37秒
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2015年03月30日
カテゴリ:サブカル全般
 虚淵玄と富野由悠季、新旧のキャラ殺し作家が関わる今期のロボット枠アニメとして注目していた『アルドノア・ゼロ(A/Z)』と『Gのレコンギスタ(Gレコ)』。どちらも最終回は予想外の軟着陸ENDで少々驚いた。


 主人公クラスの重要キャラが散ることに期待していたわけではないが、軟着陸の果てに辿り着いた先は「カタルシスを得られない」という現実的な落とし所

 「A/Z」も「Gレコ」も単純な勧善懲悪ではなく、戦争の原因は土地やエネルギーの分配に起因する。両作品とも一方の陣営が圧倒的な技術的優位に立ちながら社会構造の矛盾や弱点が綻びとなって他方陣営と五分五分の戦いに持ち込まれる展開だった。

 「A/Z」の主人公イナホは合理的な状況判断と対処で量産機(しかも練習機)で敵の襲撃を退け、「Gレコ」の主人公ベルリは主体性をもたず最初から作中最強マシンを与えられて状況に対応するスタイル。まったく違うタイプの主人公と乗機なのだが、最終回を観終えたときは似たような気持ちになった。

 そもそも戦う必要性が疑わしかった「A/Z」、問題は置き去りの「Gレコ」。どちらも和平という形で戦争状態は停止したが、視聴者としては物語のなかで何かが解決したという手応えを得られないエンディング。
 国家間戦争が主題でない場合は個人の内的問題、初代ガンダムであれば連邦軍の勝利ではなくアムロの「帰る場所の発見」などが解決されることで視聴者は満足したと思う。

 
 この「A/Z」と「Gレコ」は戦争ロボットアニメに「和平には必ずしもドラマとカタルシスが伴うものではない」という現実的な落とし所を設定した。イナホは(スレインもだが)結局アセイラム姫と結ばれることはなく、ベルリはノレドを置き去りにして個人主義の冒険旅行へ。

 このラストで何かベルリの内的問題が解決しているとしてもそれは視聴者側からは見えず、海賊船メガファウナ参加のきっかけとなったアイーダへの恋慕以外に主張らしい主張もない。
 ついでに言えばイナホも精神病とか実はアンドロイドじゃないかと思うくらいクールな性格で、それについての解説は最後までなかった。

 結局この2作は主人公への感情移入を許さず、ただ戦争状態が発生する過程と事態の収束を傍観させられる物語だった。食傷気味のロボットアニメにとって新しい「風呂敷の畳み方」を模索したのかもしれないが、年表を読ませられたような他人事感ばかりが視聴後に残るというのは作劇として欠陥があるといえよう。


 それでも演出や音楽、サブキャラクターの魅力で面白いと感じさせたのだから、それは素直に凄いことだと思う。
 ベルリは富野御大が設定した等身大の現代っ子だろうから空気を読まない新人類でもまあ・・・アリといえばアリだが、イナホはあそこまで無表情・無感動に徹したキャラにする理由がないので、「知的クール系主人公カッケー!」というのが監督の趣味なのか(?)としか想像できない。虚淵玄が噛んでいるので本当はブラックなオチが用意されていたんじゃないかと妄想する。







最終更新日  2015年03月30日 21時42分44秒
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2015年03月27日
カテゴリ:サブカル全般
 ついに富野由悠季監督の最新作「ガンダム Gのレコンギスタ」が最終話「大地に立つ」をもって完結したのでその感想でも。

 しかしこれほど点数をつけるのが難しいアニメも珍しい。というのも「富野アニメ」として観た場合と「ガンダム」として観た場合、あるいは「いちロボットアニメ」として観た場合で評価がまるで違ってくるからだ。
 自分はそれなりに楽しんだが先入観・補正ナシの「いちロボットアニメ」として考えると失敗作であることは否めない、というのが正直な感想。


 まず雑誌インタビューなどでの監督のコメントなどを読んだ限りでは「監督と視聴者間の意識の乖離と情報共有の齟齬」があとあとボディブローのように効いてきて、途中からは持ち直せなかったという印象。
 一度ストーリーと設定を把握したうえでDVDやBDで一気に観直せばだいぶわかりやすいのではないか。まあ見せ方の技術的な失敗はよそでも指摘されているだろうから省略する。


 リギルド・センチュリーがこれからシリーズ化するかは不明だが、人間の可能性を信じ未来に託した宇宙世紀は破綻し、さらに人類がニュータイプ化せず生物的に弱体化する(ムタチオン)という人類の限界と負の可能性をもたらした。
 アムロやシャアやバナージの願いも虚しく、フル・フロンタルが掲げる硬直化した未来も長くは維持できない。いつか訪れる「可能性の限界」の物語だ。

 最終的に各陣営の過激派指導者が全員死亡するわけだが、根本的な問題は解決せず個人間の和解もなされずにエンディングを迎えるという結末はちょっと予想外。
 カタルシスに欠けるラストではあったがアイーダやベルリを通して「他人から与えられた知識で分かった気になるなよ!」という御大からの力強いメッセージだったと思うことにする。


 とはいえ、投げっぱなし過ぎるのは確かなんだよなぁ。リギルド・センチュリーのシリーズ化を前提にしているのかもしれないけどあまりにも唐突かつ中途半端に切り取ったエピソードで、まるでスターウォーズのエピソード5だけ見せられたような気分

 しかしアメリアとゴンドワンの戦争理由が最初から設定されていないことからも、Gレコでは人類は競い争うものとして描かれていることがわかる。そして金星に至っても相対的なモノの見方から解放されず、全人類がニュータイプ化し誤解なく分かり合うなど望むべくもない。

 ベルリが敵から「ニュータイプ」扱いを受けたのも機体性能と戦闘センスについての評価であり、敵と理解し合うどころかむしろ誤解されっぱなしだった。
 あるいはリギルド・センチュリーにおいてベルリだけが本物のニュータイプであったとしても、自分以外の全人類がオールドタイプであれば結局言葉と態度以外では相手に何も伝わらず、戦闘能力に特化されただけの危険で虚しい才能だ。

 ここまでガンダムワールドが野放図に広がったのを見て全人類のニュータイプ化などという夢想に期待するより、それぞれが自分の目で世界を確かめて問題解決のための地道な努力をしたほうがマシ、と御大は言いたかったのではあるまいか。


 最後にキャラクターとメカデザインは大好きだったし、細かい仕草や自然描写などは昨今のアニメとは比べ物にならない情報量で作品世界の情緒表現に貢献しており素晴らしかった。ラライアとクリムの間抜けな掛け合いやクン・スーンとチッカラの気合入れシーンなどのギャグもほのぼのして面白かった。

 次回作があるなら見聞を広めたベルリがやむを得ず独裁者になり、マスクがレジスタンスを組織して…とかだったら燃える。そのときは陣営をせいぜい3つくらいにまで絞って欲しいものだ(笑)








最終更新日  2015年03月27日 16時00分42秒
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2015年03月12日
カテゴリ:サブカル全般
ガストのゲーム「アトリエシリーズ」で知られるイラストレーター「岸田メル」が描き下ろしたEdyカードが登場。その名も『Japan OTAKU Club Edyカード』。

イラストは「世界コスプレサミット(WCS)」の公式キャラクターで、男性キャラ2人と女性キャラ2人の2枚組。
同一規格の電子マネーカードを2枚セットで買わせてどーすんだとツッコミたくなるが、まあイベント物のグッズだし男性ファン・女性ファン両方のニーズに応えた 抱き合わせ もといサービスだと思おう。



なお購入者のうちEdy利用回数や利用額の多い人にライブイベント「WCS Special Fes 2015」のチケットが当たるキャンペーンも。

Aコース・・・Edy決済額が多い人→上位100名
Bコース・・・Edy決済回数(一回300円以上)が多い人→上位100名
Cコース・・・対象加盟店でEdy決済額が多い人→上位100名

Wチャンスで上記コースから外れた人に抽選で450名


詳細はまだ未定らしいが、このEdyカードを買った人だけのキャンペーンだとしたら、あまり大々的に周知されていないっぽいので当選率はそこそこ高くなりそうな気がする。


キャラクター物のEdyカードはたいてい売り切りで増産はされないので、岸田メルのファンならゲットしておきたいコレクターズアイテムだ。







最終更新日  2015年03月12日 11時02分05秒
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2015年03月11日
カテゴリ:サブカル全般
 Gレコも最終回まであとわずか。最後のまとめ方次第で作品全体の印象は変わるだろうが、富野由悠季自身も認めるように「わかりにくい」作品であったのは間違いない。

 情報の提示を制限して視聴者のストーリー把握状況をコントロールした点では予定通りだったのだろうが、キャラを掘り下げる尺が不足した結果誰にも感情移入できないという事態が発生したのは致命的だった。



 特にベルリは作中で主体性を持たず、所属もルーツも目的もはっきりしない奇妙なキャラクターになってしまったため、ネットでは一部でサイコパス扱いされている始末。
 確かにデレンセン教官を死なせた影響は全くと言っていいほど引き摺らなかったし、アイーダへの恋心をどう割り切るのかといった青少年らしい悩みとも無縁だ。

 とはいえ過去のガンダム作品も放送当時は叩かれるのが普通だったし、いま思えばツッコミ所も多数。ファーストやZでは戦死後の追悼シーンがわりとしっかり描かれていたが、ZZの後半あたりでは尺の都合でアッサリ流されて違和感を覚えることもあった。

 SNSなどで実況される現代では視聴者の包囲網から逃れられず、ちょっとした違和感が増幅され記憶されてしまうのは仕方ない面もある。しかし「情に厚いジュドー」は視聴者自身で脳内補完できなくもないが、Gレコのキャラは心理描写が圧倒的に足りていないためそれができない。



 Gレコは一話あたりの情報量が極めて濃密なので、4クールでやっても中だるみはしなかったと思う。倍の尺があればもっとキャラクターの内面を描く余裕があっただけにもったいない。

 実を言うとターンエーの本編より先に劇場版を観た時、今回のGレコと同じような置いてけぼり感に見舞われた。本編でキャラの性格を把握しないまま出来事だけを追う総集編を観ると感情移入できないという好例だ。

 ・・・何が言いたいかというと、本編を削って総集編にすると情報の劣化が起きる。逆にGレコは現時点で総集編風に観えているのだから「心理描写シーンを挿入した完全版」を出せ、ということ。

 今の富野由悠季の体力では2クールが限界というなら仕方ないが、魅力的なキャラクターとモビルスーツがうまく使い切れていないのは明らか。このあたりは本当に惜しい。


 しかし主人公が超ハイスペックとはいえ、状況に振り回されっぱなしっていうのは新鮮だな。ラストがどうなるのかは非常に楽しみである。








最終更新日  2015年03月11日 11時35分01秒
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2015年03月06日
カテゴリ:サブカル全般
 久しぶりに本棚にあったマンガ『拡散』を読み直した。これが90年代後半に単行本化されたというのは今思うと極めてタイムリーなリリースだったと思う。

 主人公は大人と社会に対する不信感を抱えた少年。自分自身を空気中に拡散させるという謎の現象を利用して自らの居場所と存在理由を求めて世界中を彷徨う。

 ペン画とマンガの中間のようなリアル寄りの絵柄なので好き嫌いが分かれると思うが、今読んでも色褪せない名作だった。

 すでに廃版になっているので現代の青少年は本作の存在を知らないだろう。しかし思春期から青年期にかけての自我の悩みについてこれほど誠実に向き合ったマンガを自分は他に知らない。



 まだネット環境が充実していなかった当時、若者の悩みは「自分さがし」と揶揄され、白眼視される空気がマスコミによって構築されていたように思う。

 現代では「中二病」という自虐的なネーミングにすることで、まるで解明された精神病理のように位置付けられている。
 むしろ最近では痛々しい芸風として消費されたりもするが、これは本来の自我の問題から目を逸らすための方便が発達しただけで、解決したとは言い難い。

 「自分さがし」だろうが「中二病」だろうが、社会に対する疑問がこうあるべきという理想社会を妄想させたりこうありたいという自分像を設定するのは同じだと思う。

 かつては実際に理想と現実のギャップに打ちのめされて自我を形成したのだろうが、世の中そんなにタフな人間ばかりではない。



 ひとことで言えば『拡散』は「世の中との折り合いのつけ方」を示しているマンガだ。状況や他者に強制されてではなく、自分自身で自分を規定する過程、その地味な決断をここまで丁寧に描いた作者の忍耐とメンタルには恐れ入る。
 読んだ瞬間にはわからないかもしれないが、あとから「こういうことか」と気付かされることもあるはずなので、社会との違和感に苦しんでいる若者にオススメしたい作品だ。



 もうひとつ似た(?)スタイルの作品があり、個人的にお気に入り。レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ザ・ビーチ』だ。
 当初ジャケットやタイトルから「イケメンの青春リゾート映画かよ糞が」などと思っていたが、さにあらず。ネタバレは避けるが「自分の手を汚す」ことの意味を教えてくれた作品だ。こちらもオススメ。







最終更新日  2015年03月06日 16時52分38秒
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2015年02月20日
カテゴリ:サブカル全般
 富野由悠季みずから制作する久しぶりのガンダム『Gのレコンギスタ(通称Gレコ)』。賛否両論でモメるのは放送前からわかっていたが、案の定ネットで激しい論争が繰り広げられている。

 しかし今回はSNSが発達したせいもあってか様々な角度からの意見が入り乱れて白熱しており面白い。言い争いの経緯と形跡を追跡しやすくなったのは読む方にとっては便利だ。

 論争の根っ子は大概「わかりにくいストーリー」と「心理がわかりにくいキャラクター」から派生する批判と擁護。わかりにくさ自体はほとんどの視聴者が否定しないだろう。現にそれが原因で一定数の離脱者とアンチを生んでいる。

 自分は富野信者というわけではないが、御大にしか生み出せない言葉の組み合わせや展開の飛躍が存在することを信じているし、単純に自分に出来ないことをやれる人としてリスペクトしてもいる。ただしそれが優れているかどうかはまた別の話なので、批判する人の意見もなるほどと思うことが多い。

 今回のGレコ論争は本職のクリエイターと一般視聴者が混在しているようで視点はバラバラ。twitterのつぶやきをまとめたTogetterをいくつか読んだが、Gレコの失敗原因をわかりやすく分析・指摘しているものはなかなか説得力があった。
 曰くGレコのわかりにくさは(かつての富野由悠季は出来ていたはずの)脚本のイロハを忘れ、小道具や舞台装置の設置自体にかまけて物事の優先順位や扱い方を誤った、というようなもの。
 ブツ切りの連続ツイートなので文章としては読みにくかったが指摘そのものは尤もで、旧作アニメから喩え(いちいちネタが古いが)を提示して説明しておりわかりやすい分析だったと思う。

 上記のTogetterは視聴者がGレコにスムーズに入り込めなかった原因の分析としてはおおよそ同意できるし納得もできるが、それだけでは「面白い」と感じて視聴し続けているファンの動機の説明にはならない。
 擁護派に「富野信者」というレッテルを貼って切り捨てるのは簡単だし、ガンダムというブランドに依存する期待感があることも否定できないが、正しい作劇手順に従えば売れるというわけでもない。面白いかどうかの基準はわかりやすさとは別だ。


 自分はGレコの取っ付きにくさは意図的なものだと感じている。インタビューや対談(※作品について語るときはリップサービスを差し引くべきだが)を読む限り、あれだけ内省的で自分の得手不得手をはっきり認識している人間が創作活動で他人の視点を意識しないはずがない。

 トワサンガでもビーナス・グロゥブでも「戦争慣れしていない」「文化の違い」という土地柄による感覚のズレが描かれていたし、アイーダの知識がアメリアの立場を「刷り込」まれたものに基いているという描写もすでにあった。

 本作では各陣営とも一枚岩ではなく、成り行きで海賊船メガファウナが各陣営の寄り合い所帯になっているのも「認識の共有」という共存の道を示す(あるいはのちに破綻させるための)装置なのは間違いないだろう。

 主人公であるベルリに感情移入しにくいというのも、ベルリがスコード教信者で地球と宇宙を繋ぐキャピタル・テリトリィ出身という視聴者と違う文化と価値観を持っているからだと思うしかない。
 彼は共感や憧れを誘うタイプの主人公ではなく、おそらく富野監督が想像する現代の若者像のディフォルメではなかろうか。状況と折り合える優等生ではあるけれど、確固たる自我の信念や欲が見えない奇妙な男子。監督自身もそれほど肯定的に捉えているキャラクターじゃないような気がする。

 歴代のガンダムパイロットがそれぞれ当時の「時代に即した屈折とたくましさ」を備えていたように、そう考えると自我を状況にアジャストさせてうまく立ち回るベルリの性格と処世術もすでに「21世紀らしい屈折とたくましさ」とみるべきなのかもしれない。



 キャラクター数やモビルスーツ数からもあと数話で完結するとはとても思えないので、ここから物語を畳むには相当なトンデモENDか全滅ENDくらいしか凡人の自分には想像できない。物語全体をちゃんと着地させるならやはり分割2クールか?

 「Gレコのわかりにくさ」は作劇のセオリーを無視したことに起因するのはほぼ間違いないが、視聴者をいきなり状況のど真ん中に放り込んで混乱させる意図でセオリーをわざと無視したのであればそれはテクニックであり、批判にはあたらない。
 ただし視聴継続が理解の前提条件になるので、富野由悠季という看板とガンダムブランドがなければ成立しない大御所ならではの手法ではある。
 無名作家や中堅程度の監督では絶対ゴーサインが出ない裏ワザなので、クリエイターやアニメ批評家といった同業方面からやっかみ半分で叩かれやすいというのはあるかも。

 まあこの程度で文句言っていたら監督のキャラ勝ちで逃げ切ったようなアレハンドロ・ホドロフスキーの映画『ホーリーマウンテン』なんて観たら憤死モノだ。悔しいだろうけど最低だけど最高な作品ってのは確かに存在するわけで。これが作家性というものか。

 そんなわけでGレコの今後の展開にも引き続き期待したい。











最終更新日  2015年02月20日 23時41分53秒
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2014年11月29日
カテゴリ:サブカル全般
久しぶりの富野由悠季ガンダム「ガンダム Gのレコンギスタ」が楽しい。用語と主役機の基本デザイン以外は別モノと言ってもいい内容だが、「ロボットアニメ本来の楽しさ」が散りばめられた演出で宇宙世紀世代にはたまらない。
富野節やノスタルジー補正があることは否定しないが、野生生物の動きや生理現象を感じさせるカットを差し挟んで画面外の説得力を蓄積していくことは近年のアニメがサボりがちだった部分。テンプレ設定とテンプレ展開に飽き飽きしていたところだし、制作している側もそろそろテンプレ商売に行き詰まりを感じているんじゃないかと思っていただけにこの丁寧な描写への回帰は嬉しかった。

「Gレコ」を観ていて思い出したのが『銀河機攻隊 マジェスティックプリンス』。最近のロボットアニメでシリアスな戦闘中にも適度な笑いを意識した作品はコレくらいじゃないかと思う。



好みの分かれるキャラデザ、見慣れないメカデザイン、珍しくはないSF設定など、ワキが甘い作品なのは間違いない。しかし殺陣は超一流でロボットアニメ史に残るレベルだったし、主人公チームが乗る5種類のワンオフ機体はそれぞれの特長を活かした連携がちゃんと出来ていた。主役機が多い作品では意外とコレが出来ていないものが多く、万能機無双に陥りやすいと思う。

残念なのはやはりキャラデザかなぁ…。『無限のリヴァイアス』も大好きな自分が言うのもなんだが平井久司のイラストは「マンガ的な嘘」がキツすぎて動画向きじゃないというか、破綻しやすい気がするんだよな。メインキャラと脇役の顔面格差も激しいし(笑)
そして衣装デザインが毎回ひどいと思うのは自分だけではあるまい。

マジェプリはギャグシーンで絵を崩すシーンが多いのでコミカルなキャラデザは有りだと思うが、もし通常時に「キャプテンアース」くらいの作画安定感があればもっとメリハリがついただろうにと考えると惜しい。

ついでに言えば敵宇宙人ウルガルの社会(キャラデザも)デザインが雑というか、あれだけ昆虫的なら人間型にする必要もなかったようにも思う。不定形生物でテオーリアは地球人に擬態している、とかでも良かったような。


まあファンである自分もツッコミたくなる部分は多いが、ブルーワン・ゴールドフォー・ローズスリーは文句なしにカッコ良いのでこれらが立体化されないのはつくづく残念。

リヴァイアスと共に2期制作を期待したい作品のひとつなのだが、円盤も美少女フィギュアも買わない層にとって本作品の売上に貢献できるものがほぼないのは歯がゆい。









最終更新日  2014年11月29日 13時13分28秒
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2014年10月03日
カテゴリ:サブカル全般
久しぶりの富野由悠季ガンダムということで大いに期待していた『ガンダム Gのレコンギスタ』の1話・2話を視聴。

最近のアナザーガンダムは仮面ライダーシリーズを思わせる迷走ぶりだったので正統派の『ガンダムUC』は宇宙世紀を補完するサイドストーリーとして楽しませてもらったが、やはり最高の作画でモビルスーツ戦を見られたのが大きかった。

しかし同時に政治を含めて描く戦争モノとしては限界に達してしまった感じもあった。ニュータイプは人類の未来と可能性を提示するだけのマイノリティに過ぎず、オールドタイプのための政治システムは何ら変わらないことを証明し続ける物語になってしまった。


そして今回のGレコ。まだ全容は明らかではないが、宇宙世紀の次の時代としてスタート地点を改めることでガンダム世界でありながらまったく別の進化を辿ったような空想的なSF世界を示すことに成功したんじゃないだろうか。

専門の美術やデザイナーがいるだろうからすべてが富野由悠季の世界というわけではないだろうが、ターンエー以降の富野作品に見られる色彩豊かで牧歌的な空気が満ちているのがわかる。

最大の魅力は何と言っても「富野節」。キャラ同士の会話が成立するかしないかギリギリの線で言いかけてやめる、そんな腹八分目な意思伝達の応酬がたまらない。
当然、初回放送の名言はアイーダさんの「世界は四角くないんだから!」に決定でしょう。まったく意味がわからないが、それがいい。

そんなストーリー展開なのでまだ状況が掴めない部分も多々あるのだが、わからないのにグイグイ作品世界に引き込んでくる圧力はさすが。

主人公のベルリは今風の絵柄になってはいるものの中身は怖いもの知らずでポジティブなジュドーによく似ており、ときどきオネエ言葉になるカミーユ以降の主人公の特徴も備えた逸材の予感。


ちなみに富野御大曰く今回のGレコは「子供向け」とのことだったが、低年齢層を置いていくには充分すぎるほど難解な序盤で、思わずフル・フロンタルのようにニヤリと口元が歪んだ(笑)
「大人向け」とうそぶいて大炎上したAGEとはやはり役者が違うな。

OPソング・EDソングは妙に爽やかでまだ耳慣れないが、作画はデジタルのはずなのにどこかセル画のようなタッチになっていて面白い。今後の展開が楽しみだ。








最終更新日  2014年10月03日 15時37分40秒
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