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さて、そろそろブログの更新でもするか。 そう思ってスマホを手にしたものの、肝心のネタがないことに気づいて、我ながら呆れてしまった。笑 やれやれ、どうする? 庭に出て、精霊たちとチャネリングでもするか。 どんな人にもその手の能力は備わっているというではないか。 仮にそうした能力が乏しくとも、想像力でカバーするという手だってある。 うーん、でも、それはそれで厄介だ。 残念ながら、文筆業の人のようにおもろい話をでっち上げる才能なんてないし… あ、そうだ。 チャネリングはだめでも、ダベリングならできるぞ。 4日前にも、昔の同僚(Mさん)とロングトークしてきたばかりじゃないか。 何かどうでもいいネタを思い出せ。 というわけで、中世史に詳しいMさんから聞いた話の中から、とっておきのどうでもいいネタを一つ思い出そう。 Mさん:「一休さんは2度も自殺未遂してるんです」 私 :「ほう、そうなんだ」 あの頓知話で有名な一休さんが2度の自殺未遂。 これ、けっこうどうでもいい話だよなあ。 一休さんのファンならともかく、生きている有名人にしか興味のない大方の現代人にとっては、「それがどうした」という話ではある。 それに、一休さんのこと自体をアニメでしか知らない人も多いのではないかと思われる。 そういう人にとって、次に挙げる山田風太郎の文章は、一休宗純という人を数行で知ることができるという点で、ありがたいのではないか。 一休は堕落した官寺五山を罵り、みずからは酒肆淫房に出入りして女犯肉食、風狂のままに生きた。 八十でやっと大徳寺に落着いて、応仁の乱で焼失した法堂の再興にあたったが、一方ではその晩年の十年、盲目の美女森(しん)を愛し、「極楽はそなたのほかにない。そなたの恩を忘れたら、わしは死後畜生の身に落ちるだろう」と感謝した。 高貴な出自でありながら、乱世を破天荒に生きること87年。 奇矯なエピソードてんこ盛りのその人生をこんなに短くまとめるのも、なんだかもったいない気がしないでもないが、当面の関心事は今際の際(いまわのきわ)の一点のみ。 死するにあたって一休は「死にとうない」といって、坐ったまま眠るように死んだという。 2度も自殺未遂をした一休さんの最期の言葉が「死にとうない」か。 これ、面白いなあ。 生への執着とも取られかねないこの言葉は、ひょっとして弟子たちへのシンプルなメッセージだったのかもしれない。 あるいは、晩年に極楽を味わわせてもらった森への思いをそこに読み取ることもできるかもしれない。 まあ、いずれにせよ、稀代の破戒僧らしい往生ではある。 それにしても山田風太郎の『人間臨終図巻』は実に素晴らしい。 この本は古今東西の著名人(923人)の臨終だけを扱っており、そういう点では、他に類を見ない。 あまりに面白いので、逆に一気に読み終えるのが惜しいような気になる。 よって、晩酌でもやるように、今、ちびりちびり、読み進めているところ。 せっかくなので、今回、もう一人、ご登場願うとしようか。 誰でもいいのだが、2日前にM氏と少しばかりダベったので、今度はそちらのラインでいくとするか。 一休さんがMさん経由で出てきたように、お次はM氏経由で南方熊楠なんてどうかな。 このM氏というのは、実は私の義弟(妹の旦那)で、歳はこちらとそう変わらぬのに、毎日あちこち飛び回って、バリバリ働いておられる。 仕事がら、政財界の著名人などにも会う機会が多いらしく、先日は元巨人軍監督の原辰徳や元自民党幹事長の石破茂と握手を交わしているツーショット写真を見せてもらった。 でも、私はミーハーではないので、そんな写真を見せられても、イマイチ何の感慨も覚えない。 この手の話で唯一興味が湧いたのは、彼が南方熊楠の親戚筋の方(清酒世界一統の社長)と会って話をしたという件だ。 やはり巷間に広く流布している話どおりで、南方熊楠というのは、幼少の頃より化け物じみた記憶力の持ち主だったらしい。 ただ、人格的にも規格外過ぎて、親戚縁者にはけっこう迷惑をかけたらしい。(留学の際の借金等) さて、そんな南方熊楠の臨終を山田風太郎はどう料理しているか、ちょっと覗いてみよう。 その生物学(特に菌類、粘菌類)の知識と、天衣無縫の野人的人間性において、柳田国男をして「日本人の可能性の極限」と評させた南方熊楠も、昭和十三年七十歳のころから身体にあちこち故障が生じ、十六年八月中旬、南紀の大暴風雨中、はだかで、培養中の菌類のとりかたづけをしてから発熱して病床についた。(中略) そして十二月二十八日、病状が重くなったので、家人が医者を呼ぼうとすると、「医者はいらん」とことわり、 「天井に美しい楝(おうち)の花が咲いている。医者が来るとその花が消えてしまうから呼ばないでくれ。縁の下に白い小鳥が死んでいるから、朝になったら葬ってやってくれ」 と、詩のような不可解なことをつぶやいた。 夜になってから、 「私はこれからぐっすり眠るから、羽織を頭からかけてくれ。ではお前たちも休んでおくれ」 と、いった。 そして二十九日午前六時三十分、息をひきとった。 楝(おうち)の花に白い小鳥。 なんとファンタスティックなイメージだろう。 こんなイメージの中で眠るように死んでいけるなんて、羨ましい限りである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.25 23:29:43
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