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2018.11.20
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カテゴリ:カテゴリ未分類

rblog-20181120004712-00.jpg
サツキの紅葉 2018 11/9撮影

ここのところ、庭の枯葉の処理などをしていると、セミやコオロギなどの死骸をよく見かけます。
先日はムカデが死んでいるのを見つけました。

rblog-20181120004712-01.jpg

特に目立った外傷もないことから、寿命が尽きたのだと思われますが、実際のところはよくわかりません。
平均的なムカデの寿命は6〜7年ほどだそうですが、このムカデが生後どのくらい経っているかもわからないし、繁殖活動をしたかどうかもわかりません。
ただ、死んでいるのを見つけただけです。

rblog-20181120004712-02.jpg

これはアシナガバチの巣です。
先月、「黄昏のロビンソン」という記事の中で一度UPしましたが、これはその後一か月ほど経って、再び同じ巣を撮ったものです。
写っている蜂はおそらく全ての役目を終えた後の働き蜂(メス)です。
前回見た時は動いている個体もけっこういたのですが、今回は全く生きている気配がありませんでした。
女王蜂もすでに息絶え、新女王蜂とオス蜂たちは巣を飛び立っていった後ではないかと思われます。
この後、交尾が終わると、オス蜂たちも死んでしまい、新女王蜂一匹だけが生き残って冬を越し、来年新たな巣を単独で作り始めます。
その新女王蜂もその年の秋には死んでしまいますから、寿命は約1年ということになります。
また、働き蜂(メス)は6月、オス蜂は8月中旬に羽化し、いずれも秋の終わりには死んでしまいますから、寿命は数ヶ月足らずということですね。
オス蜂なんて、これじゃあ、まるで単なる遺伝子の使い走りじゃないかと言いたくなるほど短命です。
でも、実に面白い! 笑

だいたい人間以外の生物は生殖期間が終わると、寿命も尽きるようになっているようです。
短い例を出すと、単細胞生物なんて、たった30分のライフスパンです。
ヒトのように生殖期間が終わっても長く生きるのは、シャチや一部のクジラ類だけだそうです。

では、なぜヒトには長い老後の期間が用意されているのか?
うーん、なぜって言われてもなあ…
そうなっているからとしか言いようがないよなあ。
あえて進化論的に言うと、「ある時、生殖期間を終えても寿命が尽きないような突然変異が起き、それが種全体の存続に有利に働いたゆえに、この特性を持ったヒト種が生き残った」ということになるようです。
まあ、老後が長いと子だけでなく、孫のケアまでできるわけで、それは確かに種の存続には有利と言えます。
じいじ、ばあばの誕生です。
おそらく「老い」の生物学的存在意義を挙げよと言われれば、この孫世代のケアという考えが真っ先に出てくるものと思われますが、果たして「老い」の意義ってそれだけでしょうか。

昨今、ライフスタイルの多様化や社会通念の変化に伴い、生涯独身で通す人や子供を作らない人も増えていますが、彼らにも等しく長い老後が待っています。
子供を作らないと短命になるとか、罰則が課されるというわけではありません。
子供を作る、作らないはあくまで個人の選択に任されているわけです。
このことをバックアップしているのは人権思想の進化発展ではないかと思われます。
人権思想によれば、種の存続という遺伝子の意図に寄与してもしなくても、個としての生命体自体の存在には等しく価値が置かれることになります。

これは実に画期的な考えではないでしょうか。
こうした背景を踏まえた上で、生物学者の福岡伸一さんは「ホモ・サピエンスは進化史上初めて遺伝子の企みに気がついた生物」だと言っておられます。
遺伝子の企みとは、端的に言うと、産めよ増やせよという利己的な命令に尽きるわけで、ヒト以外の生物は基本的にこの命令に従って生きるしかありません。
それに対し、ヒトは種の存続よりも個の存在が重要だという思考に価値を見出した初めての生物なんだと言うわけです。
福岡さんによれば、これは「遺伝子の命令からの自由」であり、ヒトは「生命よ、自由であれ」という価値を選んだということになります。

そして、「老い」もこのような視点から考え直してみてはどうかと氏は提言しています。
次世代のためだけに長い余生が準備されているのではないというわけです。
子供や孫がいるいないにかかわらず、ヒトという生物個体に備わった長い余生そのものに価値を見出すべきなのではないかと。

でも、はたして「老い」にどんな価値があるというのか。
若い人からすれば、「老い」なんて衰微、低下、減少といったネガティブなイメージでしかないかもしれませんね。
確かに、加齢とともに誰しも容姿や知覚が衰えたり、運動能力や思考力が低下したりします。
おまけに金は減るし、できることも限られてくるし、そのうち大病を患うことだってあるでしょう。
老いることに意義なんて見い出せるだろうか。
まだ30代や40代の人ならそう思うかもしれませんね。
でも、健康でさえあれば、そのうち自分なりに老いることの意義を実感するようになるものです。

その辺の事情を福岡さんは自らの経験をもとに、「私たちは加齢とともにある種の新しい視界を獲得していく」と述べておられます。
若い頃にはどうしても目先の課題や、自分が携わっている領域のロジックだとか、そこでの精密さにとらわれがちだが、年をとるにつれ、もう少し大きな絵図が見えるようになってくるのだそうです。
彼はそれを「老年的愉悦」と言っておられます。
それは別に学問的なことに限ったことではないような気がします。
単に若い頃には見えていなかったものが見えてくるとか、気づいていなかった物事の面白さに気づけるようになってくるということではないかと思います。
ついでに彼の言葉でまとめると、「つまり老いることは衰えというよりも、さまざまな制約やしがらみから脱し、より自由になるということなのだ」ということになります。

この自由というのはもちろん精神的な自由のことですが、その度合いが極まれば、死の恐怖からも自由になれるのではないかという気がします。
ただ、そういう境地に達するには、いろんな執着心を捨ててしまわなければならないでしょう。

* 引用はすべて「なぜヒトにだけ長い老後があるのか?生物学者、福岡伸一の答え」というネット記事からのものです。





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Last updated  2018.11.21 00:19:24
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Re:「老い」の意義(11/20)   周梨槃特 さん
最近、自分にとって不都合と判断できる「我執」は、わりと簡単に捨てられるようになってきたのですが、心地よい「我執」は依然として捨てにくいままです。これができると、さらに軽くなれるのですが…。 (2018.11.21 10:12:33)

Re:「老い」の意義(11/20)   ポポイ!アンフラマンス・ホウ! さん
同じく、不必要な我執は簡単に捨てられますが、なかなか捨てきれないものがどうしても残りますね。
さて、どこまで捨てることができるか。
これも「老い」の楽しみです。笑 (2018.11.21 13:37:57)

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