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組織進化プロフェッショナル! イニシア・コンサルティング 丹生 光

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「創造する」ということ

Jun 11, 2006
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「創造する」ことは企業の将来の付加価値を生むための必須の活動である。優秀な人材が、高いモチベーションでそれに取組まなければ成果はおぼつかない。

よく経営者から受ける質問に「弊社のコアコンピタンス(中核ノウハウ)が何か分らないがどうすれば分るか?」というものがある。

実際にそれを調査分析して、競合対比の競争力を明確化し、どう強化するかのコンサルティングを受託することもある。それを強化すれば競争力が高まるからだ。

しかし、調査分析をする場合でも仮説は必要だ。私は、カンタンに仮説を立てる方法としてこのように答えることにしている。

「貴社の新卒採用説明会で、先輩の優秀な社員がこんな泥臭いことを一所懸命やっている、という実態を説明したらこの学生たちは誰も応募しなくなるだろうな・・・、と思われる業務はありませんか?」

「まさにそのような業務がありますよ。どうして分るのですか?」

「どの会社にもあります。その業務がおそらく貴社のコアコンピタンスです。」と。






Last updated  Jun 11, 2006 12:04:09 PM
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Jun 10, 2006
「創造する」ということは、苦闘の世界である。

では、皆さんの勤めている会社にとって最も付加価値を生み出している業務は何だろうか。現場の日常業務運営が確実に行われ続けることは極めて大切であり、私はそれを決して軽んじるものではない。

しかし、将来の付加価値に目を向ければ、それは明らかに社会に価値を提供できる最先端のビジネスを作り出すこと、つまり「創造」である。

だが、これまで述べたようにそれは泥臭い苦闘の連続だ。しかも社内でも優秀な人材がそれにあたらなければいくらリスクをとったところで、実際の成果など出るはずがない。


-「最も優秀な人材が、最も泥臭くリスクが高い苦闘の世界にロマンを感じ、高いモチベーションを持って取組んでくれること。」-


これこそが「創造的な企業」の条件である。
それ以外にはない。






Last updated  Jun 10, 2006 06:59:48 PM
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「創造する」ということの現場は泥臭い。

私もメーカーのエンジニア時代には、いまでも口に出して人に言えないくらいの泥臭い努力をした。そんな経験から、さまざまな業界の研究者、開発者、企画者たちの努力には最大限の敬意を表したいと思う。

極めて感動した一例をご紹介しよう。
かなり前であるが、ゼロックスのパルアルト研究所で今では当たり前のマウスやそれを使ったアイコンの技術(GUI)が発明された。その最初のマウスの試作品がいまでも残っていてテレビで紹介されたことがある。

そのときには、私は鳥肌が立つほどの感動を覚えた。見たところ何の変哲もない、かまぼこ板のような木片をくりぬいいてそこにセンサーや配線がめぐらされたみすぼらしい(?)その試作品はいま経済的価値はゼロだろう。

しかし、「創造する」ということの価値を人々に伝える意味において、計り知れない価値を世界中に与えているのである。

なので、私は全く新しい事業アイデアを(それがクライアントの依頼による業務か、自分の趣味かにかかわらず)考え付いた最初のみすぼらしいメモ書きはなるべくとって置くようにしている。






Last updated  Jun 10, 2006 03:32:32 PM
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「創造する」というコトバは、大変カッコが良い。
しかし、実際には泥臭い作業だ。

まず、創造ということは再現ではないし、まして他人のモノまねではない。
つまり、その時点で世界初であり最先端であるということだ。

また、人間社会にとって何らかの価値がなければならない。
単に絵の具をキャンバスにぶちまけたものが創造であるはずもない。芸術であれば人に感動を与えるものでなければならないし、発見や発明であれば、それ自体の効果に価値がなければならない。

つまりその価値は自分が決めるものではないということだ。
ここにこそ創造する者の苦闘がある。

この基準に自然法則を利用している(つまり人為的な取り決めではない)という条件を加えると特許の基準と同じである。

さて、最先端であるということはどういうことか。
間違いなく、それは標準化もシステム化もされていない。
泥臭い試行錯誤の世界だ。

社会経験のない学生や創造とは何かを知らない人は、創造とは知的でスマートな世界をイメージするらしいが、実際は逆だ。

最も泥臭く、そして最もリスクが高い(成果が得られない可能性が高い)、しかし最もロマンに満ち溢れた仕事、それが「創造する」ということの現場だ。






Last updated  Jun 10, 2006 02:51:06 PM
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ノーベル賞受賞前だったが、米国で活躍しすでに世界的な研究者だった利根川さんの講演の主旨はこういうことだった。

「・・・どんなテーマを研究するか、それはどんな成果を生み出せるかにとって決定的に大きな問題だが、それを決める方法には2つある。

一つは、チャートを描いて既存の特許や論文の成果をそこにプロットし、空いているスペースを見つけてそのテーマを研究する方法。(日本の著名な優良企業でこの方法を用いている会社もある)

もう一つは、自分が心底から「これは不思議だ。何故そうなるのか解明してみたい」と感じることを掘り下げる方法だ。

もし、画期的な発明・発見をしたければ、迷わず後者を選ぶべし。
実際に自分はそうしてきた・・・」

というものだった。

皆さんはどう受け止めるだろうか。

私はそれまで開発者という立場上、前者の方法を中心に活動していたが、この視点をいただいたお陰で技術者としての感性が飛躍的に高まったし、そのお陰で特許をたくさん出願し、その殆どが登録になった。






Last updated  Jun 10, 2006 02:31:36 PM
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よく、「これからは創造性が大切だ。しかし、日本人は創造性がない」などという評論家のご意見を聞く。私はまったく違う考えだ。

だいたい、そのような意見をいう人の中で何かを「創造した」実績のある人を私は聞かない。

そもそも自分が何も創造したことがないので、「創造する」ということ自体がわかっていない、未知の世界のことなのに最初から独断を下しているのである。

「創造する」という行為はどんな行為か?
それは創造したことのある人にしか、絶対に分らない。

だから創造したことのない人の創造論には耳を貸さないことである。

そんな時間があったら、自分で何かを創造してみようともがくことの方がはるかに有効である。
あるいは、本当に価値ある創造をした実績のある人の創造論に耳を傾けよう。

かつて、ノーベル賞の利根川さんが受賞の前に日本でされた講演をたまたま聞かせていただく機会があった。当時メーカーのエンジニアであった私は非常に触発されたものである。

それは若い人々に向けた創造の本質に迫るご意見であった。






Last updated  Jun 10, 2006 11:28:34 AM
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