なんだかんだで
今年も半月が過ぎた.ついこの前初詣でに行ったと思ったのにもう年賀ハガキの当選番号が発表された.まだ賀状に返事を出してない人がいるというのに.とにかく最近時間の経つのが早い.思い起こせば,四十になるちょっと前くらいから,やたらと時間の過ぎるのが早くなった.最初は大して仕事の量が増えた訳ではないのになぜこんなに忙しいのか不思議だった.引受ける仕事も数も減らしてみた.なのに,朝から晩までいくら仕事をやっても仕事が片づかない.そして,ある時はたと気が付いた.昔1時間でできた仕事が今では3時間くらいかけないと片づかないのだ.自分がアホになったのか,はたまた時間の経つのが早くなったのか.恐らく前者だろう.脳の集中力が二十代に比べたら相当落ちたに違いない.これが老化現象というものか.昔と同じ調子でバリバリ仕事できる歳ではなくなったことを認識させられるのは何とも悲しいものだが,厄年とは良く言ったものだとつくづく思う.その前後を境として,脳も肉体も見事に変化(老化とか衰退とは呼びたくないが...)していることに気づかされる.厄年を過ぎた今,仕事も趣味もスポーツも,これまでとは違う自分の年齢にあった方法を見つけていかなければならないのだろう.つまり「中年」の身の丈にあった活動パターンを模索する必要があるということだ.それが中年をより良く生きるための術ではなかろうか.そんな事を考えているとき,ふと頭をよぎった事がある.脳も肉体も変化しているのなら,精神だって変化していてもおかしくない.なのにまだ自覚症状は無い.高年には頑固で頭の固いのが多いが,あれは世代が違うというよりも,歳を重ねるうちに思考の柔軟性が落ちているのではなかろうか.そればかりではない.きっと精神が老化しているのだ(人のことは老化と言って済ます).だとすれば,そんな風にはなりたくない.ならないためには予防が必要である.ところが,自覚症状がないため,「精神の老化」がどういうものなのか皆目見当がつかない.これは問題だ.自覚症状が無ければ知らないうちに病状が悪化し,顕在化したときにはもう後戻りできない状況になってしまっている可能性があるからだ.うーむ,これは自己分析も含めて,精神の老化について研究する必要がありそうだ.今後の課題としよう.