4. 新日本対Uインター交わることがないと思われていたUと新日。この対抗戦が決定した時のインパクトは凄かった。 96年10月9日東京ドーム、この日って金曜日じゃなかったかな? 何しろ突然決まった興行。 新日も相当儲かって、味をしめてしまったようで。 9月の横浜アリーナの前哨戦で、永田の顔を安生が腫らしたあおりも良かった。 当時はバリバリの高田信者。 Uインターへの就職や、結婚式に高田氏を呼ぶなどというような、大それた計画もたてていたほどでした。(失敗。) UWFは旧の頃から見続けてきた団体。 思い入れは相当なもの。 当日のドーム、立錐の余地もないほどの入り。 当時の動員記録67000人を記録。(あくまで主催者発表。) 観客の熱も凄かったねえ。 第一試合から、試合結果に一喜一憂。 新日の側にも好きな選手がいたので、そんな時はハートが微妙だったな。 メインの高田対武藤、これは力が入った。 Uがアメリカンプロレスに、絶対負けてはならない。 この一心。 だが結果は典型的なプロレス技、足四の字でギブアップ負け。 その瞬間から、友人夫婦と何も語らずにドームを後にした記憶がある。 (Uを売りやがって。) いざ鎌倉度!=レベル10(当時)、現在はどーってことねーです。 |