三田のいのしし 見て歩き日記

2013/01/05(土)06:24

春日神社初詣と隋身門の隋身さん。隋身さんの身分、名前が気になりました。

広く・深く・学ぶ(91)

平成25年1月2日(水)曇りのち雨1年ぶりに篠山の春日神社へ初詣を致しました。 春日神社 一日と異なり、やや参詣者が少ない感じでしたが、我々は静かに参詣できました。明神鳥居 台輪(稲荷)鳥居の形式にもみえますが、素晴らしい鳥居です。隋身門(ずいじんもんと読まれます) 向かって左側が、右大臣(右大神)     向かって右が左大臣(左大神)隋身さん(ずいじん) 神社にむかって右側 ⇒ 左大臣 白い口髭があります。 格子に掛札があり、「左大臣 藤原時平」神社にむかって左側 弓を持っております。 格子に掛札があり、「右大臣 菅原道真」多くの隋神さんが、武人の姿で矢を背負い、弓を持った姿であるのに対して、ここの隋身さんは、衣冠束帯の姿で矢は背負っていないようにも見えます。但し、向かった左側に右大臣、向かって右側に左大臣を配していることは、隋身門の主流の姿だと理解できます。そもそも隋身さんとは:天皇や貴族が外出する際に警護官であり、今でいうSPですから、役人の中で、2番目、3番目に相当する左大臣、右大臣が隋身門の隋身さんであるのは、理屈に合わないと思います。こんな風にも理解出来ます。私なりにこの篠山の春日神社・隋身門の隋身さんは、単に「左大臣」「右大臣」の掛札の方が好ましいのではないかと思いました。ある時から菅原道真公は神様になりましたので。従って、神様が隋身門の門衛である隋身さんである・・・やはり、それは無いでしょ う・・・となりそうです。尚、ある天満神社の神官にその点を訪ねましたら、顔色を変えて憤然として「それはありませんと一言で否定されました。」春日神社の隋身さんは、少し色あせてはおりますが、よく保存されていると思いました。写真は、隋身門の格子の中に鎮座されており、高い腰掛に腰を掛けていらっしゃるので写真は真正面から写せません。残念でした。さて、ひな飾りでも右大臣は若い武官、左大臣は中老年の武官で、若い武官が黒い口髭、中老年の武官が白い口髭で区別されておりますが、この隋身さんもその点はおさえていておりました。但し、ここの若い武官は口髭なし。写真を拡大して眺めて見ましたら、左右の隋身さんは弓を手にしおりますので、この隋身さんが作られたときは、背中に矢を背負って負ったのかもしれません。背中に矢を背負い、手に弓を持った隋身さんの例三田天満神社の隋身さんコラ-ジュ 平岩弓枝さんの小説「お宿かわせみ」で、「矢大臣殺し」と題した小説があります。 その中では、このように片足を上げて胡座を組むというスタイルの隋身が江戸時代 の神社建築で流行したとおもわれます。 下町でも、だれでもが神社の隋身門と隋身を知っていた証拠です。 矢大臣は、右大臣や、右大臣と左大臣を指す言葉ですが、長くなるので省略。さて、このブログをご覧の皆様へ:お近くの神社へ参詣された際、お時間がありましたら隋神門の隋神さんを眺めて 頂き、そのお姿がどのようであったかご披露頂けると嬉しく思います。ご参考までに:大阪天満宮の隋身さんの例     左 右大臣               右 左大臣尚、大阪天満宮には正門があって、単独の隋身門はありません 正門の脇に控える形で、隋身が身をおいておりました。ご参考になれば幸いです。

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