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coolfox's PlayGround

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見えない作者-第一回-




ツチノコ探検隊



「マジだよ。本当だって」
 田中雅人君が部室のドアをくぐった時に聞こえたのは、そんなセリフでした。
 声の主は石沢明夫君です。雅人君の一つ上の先輩で、タバコ好きの面白い先輩です。雅人君自身は今年で二十歳になる大学生で、経営学部に所属しています。
「どうかしたんですか?」
「おう、田中。いい所に来た。ちょうどお前が好きそうな話をしてたんだよ」
「好きそうな話しって?」
「部室棟の隣にある復元湿地で、ツチノコ見たぞ」
「えっ?ツチノコって、あのツチノコですか?」
「あのツチノコしかありえないだろうが」
 雅人君は嘘だと思いました。
 だってツチノコは想像上の動物だと、雅人君はちゃんとわかっているからです。確かにみんなの前ではネッシーやらビッグフットやら、絶対いないと思われている動物の話で盛り上げますが、実際は接待にいないと思っているのです。
 でも雅人君は、ここは話に乗ってみるのも面白いかも、と思いました。
「マジっすか?それってかなりすごくないですか?うちの大学にツチノコなんて」
「捕まえたら、どっかから賞金出るかな?」
 部長の野村正君もかなり興奮気味です。無理もありません、正君は雅人君とは違って、そういう話にはめっぽう弱いのです。最近では、どこかの偉い学者さんが出した本まで買ってくる熱の入れようです。
「そりゃ、出るんじゃないですか。あれだけテレビで騒いだわけだし、少なくともテレビ局に売りつければ、そうとうもらえると思いますよ」
「マジで?」
「そりゃ売りつけてみないと分からないですけど、実際捕まえたとなるとマスコミから引っ張りだこですよ」
 明夫君は二人の会話を楽しそうに眺めています。まるで、二人の掛け合いを漫才だとでも言うように、時折にっこり微笑みながら見るのです。
 そんなことには気にもとめずに、雅人君と正君の話はどんどん進みます。
「いったいいくら位で売れるかなぁ」
「少なくとも、いつも使う桁より、一つも二つも上だとおもいますよ」
 いつも使う桁とは、雅人君たちがいつも財布に入れている金額のことです。千円とか二千とか、五千円入っていればその日はお金持ちなのです。小銭も沢山入っていて、歩くたびにジャラジャラと音がするのです。
「すっげー。おいおい石沢、本当にいるのかよ、ツチノコ」
「俺も見たって話を聞いただけだからなあ、実際に見たわけじゃないし。でもあの様子じゃあ、本当に見たみたいだったけどね」
 それを聞いて、正君はますます興味を惹かれたようでした。きっと彼の心はワクワク、ドキドキ、今まで経験したことがないくらいの興奮でいっぱいのことでしょう。
「よし、決まりだ」
 不意に明夫君が手をたたいて立ち上がりました。
「決まりって、何がですか?」
「何がですかって、決まってるだろう。ツチノコを捕まえるんだよ」
 その言葉に正君は目玉が飛び足しそうなほど目を見開きました。どうやら、本当にツチノコを見つけるつもりのようです。
「おっ、その顔じゃあ、野村っちは賛成なわけだな」
「もちろん、反対する理由はどこにもない」
「よし、じゃあ雅人は?」
 そう聞かれて、雅人君は困りました。だって雅人君はツチノコなんていないと思っているからです。いないもの探すのは、どう考えたって時間の無駄というものです。でも、先輩が乗り気になっている以上、後輩である雅人君は行くしかないのでした。
「やりましょう。見つけて捕まえてテレビ局に売って、金儲けです」
「こうなったら、早速メンバーをそろえよう」
 正君のこの発言に、今度は明夫君が反対しました。
「いや、三人で探そう」
「どうして?」
「そのほうが色々都合がいいからだよ。メンバーを増やせばその分一人の取り分が減るし」
「そうですね。そのほうが僕も良いと思います」
「そっか、それもそうだね。じゃあそうしよう」
 こうして、三人の話はうまくまとまって、翌日から本格的にツチノコ探しに出かけることになりました。
 しかし、あえて読者諸君には教えておいたほうが良いかもしれません。このとき正君の言うようにメンバーを増やしておけば、後で三人は後悔しなかったかも知れないのです。しかしこのとき三人は、後であんなことになろうとは、夢にも思っていなかったのです。



 そこで、第一回目の連載は終わっていた。
 雅人が今見ているのは、サークルのホームページに連載されている、短編小説だった。
 ひょんなことがきっかけで、サークルのホームページが立ち上がることが決定した時点で、雅人は連載小説を書く担当になった。理由はいつもミステリを読んでいるし、趣味で短編をいくつか仕上げているからという、実にまともな理由であった。
 実際、すでに一つ目の短編の連載が終了し、二つ目を書こうと思っていた。
 が、そこで問題が起こった。いま、雅人が読んでいたのは雅人の作品ではない。知らぬ間にアップされていた作品だった。
 タイトルは「ツチノコはどこだ!」。一回目の連載を読んだ限りでは、どうやら雅人や石沢がツチノコを捕獲しようとする物語みたいだが、ミステリではないようだ。
 しかも、雅人をはじめ、登場人物はみな本名である。
「いったい、誰が…」
 雅人はついつい口にだしてしまった。その声に反応してまわりの学生たちが一斉にこちらを見た。いま、雅人は大学にあるコンピュータ室を使っていた。すいませんと軽く頭を下げて、目線をモニタに戻した。
 ホームページの内容を変更できるのは、ホームページのログインパスワードを知らなくては出来ない。パスワードを知っているのは、部長の野村正、副部長の武田将太、会計の志水良子、それに小説担当の雅人の4人だった。
 当然、雅人はこんな作品を書いた覚えはない。新作として取っておいた、追いコンを題材にした作品を書くつもりでいたからだ。担当者の許可を取らずに勝手に小説をアップするとは。なんて、すっかり担当者気取りだが、正直自分のお株をとられたようでなんとなく気に食わなかった。
 それと同時に話の続きがものすごく気になるのも、正直なところだ。
 雅人は学内のネットワークからログアウトして、コンピュータ室を後にした。
 今日はちょうどサークルの日だった。しかし木曜日は5限が終わるまで体育館は使えないので、仕方なくコンピュータ室で暇つぶしをしていたというわけだ。
 時刻は午後六時を少し過ぎたあたり。5限はまだ終わってないので、掲示板の前や図書室の前はまだそんなに人はいなかった。
「おーい、田中!」
 後ろから雅人を呼ぶ声が聞こえ、振り返ってみると河村俊平が62号館から出てきたところだった。
 雅人たちが通うK大学は全部で4つの建物があり、61、62、67号館とそれぞれ名前がついていた。どうしてこんな中途半端な号数かというと、どうやら立てられたときの年数にちなんでつけられたという。まぁ、あくまでうわさの域を出ない程度のトリビアではあるが。
「おつかれ、河村君。授業は終わり?」
「一応、まだレポートが残ってるんだけど、サークル出ようかと思って」
「そういえば、そろそろレポートの時期だね」
「えっ、テストって再来週でしょ?今日がサークル最後だよね」
「えっ」言われた雅人のほうが驚いた。「そうだっけ。ああ、そうだそうだ。そうだよ、今日サークル最後だよ」
「だよね。俺なんか間違えたかと思った」
 そういえば、河村はもうあの小説を読んだだろうか。実名で書かれてはいたが、一回目を見る限りでは河村は登場しないようだった。
「さっき、サークルのホームページ見てきたけど、あの小説は田中が書いたやつ?」
 聞こうと思っていた話題を、河村のほうから振ってきた。
「河村君も見たの、あれ」
「いいの?実名で書いちゃって」
「いいの、っていうか。あれは僕が書いたやつじゃないんだよね」
「そうなの?じゃあ誰が?」
「分からない。でも、確実に僕じゃない」
 部室棟の階段を上ったところで、石沢がタバコを吸っていた。
「あっ、おはようございます、石沢先輩」
「おう、おはよう」
 それだけ言うと雅人は石沢の横を通って部室へ入った。
 部室にはすでに何人か集まっていて、いつものようにお菓子を机の上に広げて、話していた。
「あ、田中が来た」一番奥に座っていた武田が立ち上がった。「おい、田中さぁ本名で小説書くなよな」
 早速見たのだろう、入るや否やあの小説は雅人の作品であるみたいに言われた。まぁ、そんな物好きは雅人くらいだから、言われるのは無理ないんだが。
「違うよ、僕じゃないんだよ。こっちだっていきなりあんなの乗っけられて、少し驚いてるんだから」
「雅人くんじゃないの?」
「違うんですよ、志水さん。いま河村とも話してたんですけどね。あれ?」
 河村に話をふろうとして後ろを振り返ったが、河村はいなかった。確かに今の今まで一緒のいたのに。
「河村君は?」
「河村なら、トイレ行ったよ」
 タバコを吸い終わった石沢が部室のドアを閉めながら言った。
「とにかく、僕じゃないんです」
「でも、なんとなく面白そうよね、あれ」
「あ、志水もそう思った?俺も、ちょっと続きが気になってるんだよね」
「そうかぁ、俺はそうでもなかったけど」
「何言ってるの、野村くんが一番ツチノコ探しに乗り気だったくせに」
「そうだっけ?」とぼけた振りして、野村がポテトチップをほおばった。
 みんな色々言ってるが、あれは僕が書いたのではないのだから、今の中の誰かが嘘をついてることになる。
 自分で書いたくせに、良いとか悪いとか。明らかに隠してるじゃないか。それともこの三人の中の誰かじゃないのかな。
 雅人はリュックから英単語長を取り出した。英語のテストの勉強だ。
「あ、田中が勉強してる振りしてる。よせよせ、勉強したって無駄無駄」
 たった今入ってきたばかりの、佐々木丈太郎はそういうと雅人から単語帳をひったくって、机に放り投げた。
「いよーし、サークルだ。バドミントンだ。汗かくぞー」
 いつものハイテンションに乗せられて、みんな体育館に行ってしまった。
 ひとり残された雅人は、着替えをラケットバックにつめると、暖房をつけたまま部室を出て、鍵をかけた。



最終バス




 お話は少し飛んで、雅人君たちがツチノコ探しに出かけた、三日後に移ります。
 その日、河村俊平君は大学からバスで帰りました。俊平君はいつも自転車で大学まで来ているのですが、この日は朝自転車に乗ろうとすると、俊平君の大切な自転車がパンクしていたのです。
 俊平君は頭を抱えました。授業は後三十分で始まります。いつもなら自転車で二十分の道を悠々と行くのです。しかし、今日ばかりはそうも行きません。肝心の自転車はパンクしています。
 仕方なく俊平君はバスで大学に向かったのです。授業には五分の遅れで済みました。
 毎日夜遅くまで大学でレポートを仕上げて帰る俊平君は、この日はちゃんと最終バスに乗って帰りました。山の中の大学なので、このバスを逃すと帰る方法がなくなってしまうのです。
 最終バスは定刻通りに大学を出発しました。
乗客はなぜか俊平君一人です。いつも自転車の俊平君は乗客が自分ひとりであることに、特に違和感を覚えませんでした。
バスはどんどん山道の奥深くへと進みます。
「このバスで合ってるのかな」
 さすがの俊平君もいよいよ心配になって来ました。街灯はほとんどありません。明るいのはこのバスだけではないかと思うほど、あたりは真っ暗です。
 やがて、前にトンネルが見えてきました。あのトンネルは俊平君も見覚えがありました。先輩の明夫君の車で送ってもらったときに通ったのを覚えていたからです。
 やっぱりこのバスで合っていたんだ、と俊平君はホッと胸を撫で下ろしました。
 しかし、次の瞬間とんでもないことが起こりました。バスがトンネルの手前で右折したのです。それも、ウインカーを出したのかも怪しいほど、急に曲がったのです。
 座っていた俊平君も思わず、ワッと声を上げていすから転げ落ちそうになりました。
「ちょっと、運転手さん。道違うんじゃない?」
 俊平君は運転席に向かって声をかけました。しかし、運転手は何も言いません。バスはますますスピードを上げているようです。
「ちょっと!運転手さん!」
 今度は怒鳴るように言ってみますが、運転手はウンともスンとも言いません。
 俊平君は少し怖くなってきました。バスはいくつかの停留所を過ぎていきます。街灯はますます少なくなってきて、人家も見えなくなってきました。
 俊平君は思い切って、降車を知らせるブザーを押しました。ピンポーンとその静かな雰囲気には不釣合いな、明るく高い音がバス中に響きました。今のうちにバスを降りて、見覚えのあるトンネルまで戻れば、大丈夫だと思ったのです。
 すぐに次の停留所が見えてきました。しかし、今にもバス停に着きそうだというのに、一向にスピードを落とす気配がありません。むしろ、さらにスピードを上げているように感じるのです。
 俊平君の不安は的中しました。バスはバス停では止まらず、そのまま通り過ぎてしまったのです。車内は降車のサインである赤いランプが煌煌と光っていて、前方の電光掲示板にも「次止まります」の文字が出ています。
「おい……」俊平君は思わず立ち上がって運転席まで駆け寄りました。「何なんだよ、さっきから。降りるって言ってるだ……」
 俊平君が言い終わるまえに、運転手は俊平君のほうを見ました。
 そこにいたのは運転手ではありませんでした。今まで俊平君が運転手だと思っていたのは、運転手でも何でもありませんでした。全身が真っ黒で、目のところからは細長いものがニューッと飛び出ています。その姿は不気味だとしかいえませんでした。まるで宇宙人です。よく見るとバスはライトもつけずに走っています。街灯もないこの真っ暗な道を、ライトもつけずにそれも猛スピードで走っているのです。
「止めろ、バスを止めろよ」
 俊平君は本当に怖くなりました。いったい自分の身に何が起こっているのかも、このとき正確には理解できていなかったでしょう。
 するとその[宇宙人]は何かを俊平君のおなかに突きつけました。黒くて、冷たい棒のようなものです。すぐにこれは銃だと、俊平君は思いました。恐る恐るその突きつけられたものを見ると、矢張りそれは銃のようでした。はじめはモデルガンだと思ったのですが、どうやらそうではないようです。というのも、それは俊平君の勘なのですが、どうしても俊平君はそれがモデルガンだとは思えなかったのです。
「大人シクシテイレバ、何モシナイ」
 「宇宙人]はなんとも奇妙な声を出しました。とても人間には出せないような声です。話し方もぎこちなくて、外国人が片言の日本語を話しているようです。
「どうでもいいから、バスを止めろよ。おれは家に帰るんだよ」
「君ハ家ニ帰レナイ」
 そういうと[宇宙人」は銃の引き金を引きました。
 パンという軽い音がしたかと思うと同時に俊平君はその場に倒れました。
 バスはなおもスピードを落とすことなく、闇夜の道路を走り続けました。いつしか車内の明かりも消えて、ただの黒い塊がエンジン音だけを響かせて、俊平君を乗せたまま走り続けました。



 前回のアップから二週間が過ぎようとしていた。テストも無事に終わり、大学生は春休みに入っていた。ホームページのほうもあれ以来ほとんど変化は無く、野村の日記が更新されているだけだった。
 雅人自身もこの小説の登場以来、小説を書くのを休んでいた。誰かが、小説を書き続けている。それだけのことで、雅人のやる気は極限までなくなっていた。
 雅人としては、早く続きが読みたいという欲望に駆られつつあった。もし、あの復元湿地にツチノコがいたら、本当に捕まえられるんだろうか。
 そんなことをボーっと考えていると、雅人の携帯が鳴った。
「誰だろう」
 まさかとは思うが、あの小説のことだろうか。あれは自分が書いたやつじゃないと力説したというのに。
「あ、田中?河村だけど」
「おはよう河村君。どうしたの?」
「いやあ、ちょっと礼を言いたくて」
「礼?」
「うん、俺をあの小説に出してくれなくてさ。俺は出たくないなって思ったから」
 なんということだろう。一番最初に言ったはずなのに、まだ雅人が書いたと思っているらしい。河村はいつもそうだ。人の話を聞いているんだか、聞いていないんだか。
「だ・か・ら、あれは僕が書いたやつじゃないんだって」
「またまた、そんなこと言って本当は田中が書いてるんだろ?」
「違うよ、全く話が通じないんだから」
「ははは、嘘だよ、うそ。ちょっとからかっただけ。そんなに怒るなよ」
 いったいどっちなんだ。
「で?」
「で?って?」
「まさか、それだけのために電話してきたんじゃないだろうね」
「え、それだけだけど?」
 なんてやつだ。電話代の無駄遣いにもほどがある。
「まったく。今どこにいるの?まだ大学?」
「そうなんだよ。今日自転車がパンクしててさ、バスで来たからバスで帰らなきゃいけないんだよね」
「今日大学休みじゃん。テストも終わったのに、何の用があって行ってるの?」
「授業。っていっても補講みたいなもんだけどね。で、レポートが課題に出たからやっていこうと思って」
 なるほど、河村は家にパソコンが無いから大学でやっていこうというわけか。なかなか効率的なことをするじゃないか。
「大変だねぇ。休みに入ってもレポートなんて。今日中に終わりそうなの?」
「それが、結構な量でさ。今日中に終わるかどうかが怪しいところなんだよね。終バスで帰りたいと思ってるんだけど」
「それを逃したら、帰れないからね。まぁ無理すれば帰れないことも無いけど」
「まさか、歩いては帰りません。辛いだけだし」
「ですよね。さすがの河村君もそこまではしないか」
「しない、しない。じゃあレポートやるわ」
 電話は切れた。
 それにしても眠い。昨日遅くまで起きていたから、睡眠不足なのだろうか。
雅人はしばらく昼寝をすることにした。
 

雅人は、パソコンを開いて、ホームページにアクセスした。
「おっ?」
 ホームページに例の小説がアップされていた。さっきは無かったということは、河村と電話してる間か、昼寝している間にアップされたということか。
 早速見てみることにした。
「なになに、『お話は少し飛んで、雅人君たちがツチノコ探しに出かけた、三日後に移ります。』っだって?」
 なんだ、ツチノコ探しはどうなったのだ。おまけに河村も登場している。
 読み勧めていくうちに、モヤっとしたものが雅人の頭の中に張り付いていった。
 まさか。まさか。
 そればっかりが思い浮かんだ。まさか、この小説のとおりになるとは思わないが、自転車のパンク、授業、レポート、そして最終バス。今日の河村と同じシチュエーションではないか。まるで知っていたかのようだ。
 雅人はハッと時計を見た。もう午後十時。河村が電話をくれたのは五時ごろ。バスはもう無いはずだ。
 雅人はあわてて河村の携帯に電話をかけた。頼むから、無事に家に帰っていてくれ。
 ガチャ。
「あ、河村?」
「こちらはNNTドーモです。お客様のおかけになった番号は現在、電波の届かないところにあるか、電源が切れているため、かかりません。こちらはNNTドーモです……」
 雅人はそのまま電話を落としてしまった。
 まるで、全身の筋肉が麻痺してしまったかのように。手は少し震えていた。



奇妙な抜け殻




「おーい、雅人。こっち、こっち」
 明夫君の呼びかけに雅人君は思わず振り返りました。
「え、見つかりましたか?」
「いやいや、違うけど、これ見ろよ」
 明夫君が見つけたものはどうやら抜け殻のようなものでした。表面は少し湿っており、形がはっきりと分かるくらい、綺麗に脱皮した後のようです。
 雅人君は、明夫君からその抜け殻のようなものを受け取りました。
「これって、まさかツチノコの抜け殻ですかね?」
「そうだよ、きっと。もっとよく調べようぜ」
 二人は、奥にいた正君を呼んで、部室に帰りました。
 部室に着くなり、机の上に新聞紙を広げて、抜け殻のようなものを置きました。
 それにしても、見れば見るほど不気味な物体です。確かに形はテレビでよく見たあのツチノコの形そっくりです。でも、その大きさはやや大きく、35~6センチはあるようです。
「これは大発見だぞ。これで、ツチノコがいたことの証明になる」
 正君は興奮気味に雅人君と明夫君の肩に手をかけました。
「待ってくださいよ。これがまだツチノコの抜け殻かどうか分からないじゃないですか」
「そうだぞ、野村っち。あせりは禁物だ」
 明夫君はそういうと、鞄から虫眼鏡を取り出しました。
「それどうしたんですか?」
 雅人君は、明夫君が手にした虫眼鏡を見て言いました。
「今回の調査のために買ったんだよ」
 明夫君は得意げです。でも、と雅人君は思いました。どうせ買うなら虫眼鏡よりもビデオカメラを買えばいいのに、と。せっかく見つけても写真なり映像に収めなければ意味がありません。雅人君自身は念のために調査の前にインスタントカメラを買っていました。
「じゃあ、僕は写真撮っておきます」
 パシャ、パシャと軽快なシャッター音が部室に響きます。3人とも実によく集中していました。きっと誰かが、そっと部室の扉を開けても気づかないことでしょう。
 その時です。正君がいきなり奇怪な声を上げました。
「ああっ!」
 その声に反応して、雅人君と明夫君はほぼ同時に正君のほうを振り向きました。
「どうした?野村っち」
「あ、あ」
「どうしたんですか?」
 正君は時計を見ながら言いました。
「最後のバスが行っちゃった」
 もうこの世の終わりだとでも言うように、正君はがっくりと肩を落とします。
 いったいどうしたのでしょう。最後のバスに乗らなければいけない理由があったのでしょうか。それとも、何か急な用事でも出来たのでしょうか。
「なんか用があったの?」
「そうなんだ。今日は10時までに帰らないといけなかったんだ」
「なんで10時に?」
「朝方、警察から電話があってさ、なんか話があるからあえないかって言われてたんだ」
「え、野村っちも、警察から電話があったの?」
「石沢さんもですか?」
 どうやら3人とも警察から電話があったようです。正君は今夜、雅人君は明日の午前中、明夫君は明日の夕方、それぞれの自宅に警察が来ることになっていたのです。
 もちろん、その内容は3人とも知りません。
「なんだろうね、警察なんて。まさか、俺なんかやっちゃったかな」
「それだったら、俺とか雅人まで電話は来ないだろ?」
「ですね。なんでしょうね、3人共通の話題って」
 そんなことを話している場合ではありません。正君は今夜警察が来ることになっているのです。急いで帰らないといけないのです。
 そこで、正君は明夫君の車で送ってもらうことにしました。いつも正君は乗らないのですが、今日だけは特別です。
 急いで部室の片づけをして、駐車場に向かいます。明夫君の車は4人乗りなので、雅人君も正君も乗ることが出来ます。
 その車は、いつだったか、俊平君も乗ったことがあります。そのときのことを俊平君はあのバスに乗っていたときに思い出したのです。
 ああ、そうでした。いったい、俊平君はあれからどうなってしまったのでしょう。無事にしているのでしょうか。それとも[宇宙人]に捕まって何かの実験台にされてしまったのでしょうか。
 そんなことを3人は知るはずもありません。何も知らない3人は、急いで正君が一人暮らしをしているアパートへ向かったのでした。



「お疲れ様でした」
 雅人はいましがた、バイトを終えて家路についたところだった。
 この時期は冷え込みがきつく、深夜ではないとはいえ手袋は欠かせない。先週は手袋を忘れたために、ひどい目にあった。
 橋を越えて、スーパーを通り過ぎ、川沿いの道を進む。この道も街灯はまばらでかなり暗い。
 家に着くと、まずパソコンを起動させた。おととい河村と連絡がつかなくなった。何も無いとは思うが、あの小説のこともある。気にならないはずが無かった。コタツのスイッチを入れ、すばやく着替えてコタツにもぐりこむ。暖かかった。
 パソコンが立ち上がると、真っ先にサークルのHPにアクセスした。あの小説の続きが載っているかもしれないからだ。
 どうやらまだアップされていないようだ。いったいあの後どうなったのだろう。それに、ツチノコはいったいどうなったのだ。雅人には、ツチノコは話の最初を掴むためだけのネタとしか思えなかった。いきなりバスでの連れ去り事件に発展するとは、いくらなんでも話が進みすぎだ。作者は言ったどうやって終わらせるつもりだろう。
 電話が鳴った。
 部長の野村からだった。野村もあの小説を書ける立場にいる一人だ。まさかとは思うが、人は見かけによらないというし。
「もしもし」
『ああ、雅人?今大丈夫?』
「ええ、なんですか?」
『さっき、神奈川県警の猿渡っていう刑事さんから電話があったんだけどさ』
「警察から?どうしてまた」
『それが俺もいまいちよく分からないんだけどさ。なんでも、吉田についてらしいんだ』
 吉田美由紀。昨年の9月に他学部から編入してきた女の子だ。編入と同時にうちのサークルに入って、毎週汗を流している。長身でロングヘアー、スタイルもよく、大学内にいたらかなり目立つ。編入の関係上、年は雅人と変わらないのだが、学年はひとつ下である。
「吉田さんが何かやったんですか?」
『いや、何かやったていうか。うーん、どういったらいいかな』
「はっきり言ってくださいよ」
 野村はオホンと咳払いをして、
『落ち着いて聞けよ。昨日の夜、H塚駅付近で20代の男性の遺体が見つかったらしいんだ。その男は駅前の風俗店からの帰りだったらしくて、最後に行った店の従業員が証言したって言ってた』
「それが、吉田さんとどう関係が?」
『まぁ、まだ話はここからが本番だ。その風俗店の従業員って言うのがロシア人で、殺された男性がその店の常連さんだったらしんだ』
「それで?」
『で、殺された男の鞄にはその店のマッチケースと吉田の携帯が入っていたらしい』
「え?」
 あまりにも唐突過ぎる話の展開に頭がすぐに回らなかった。
「えっと、話を短くすると、駅前で男が殺されて、その男の良く行く店がロシア系の風俗で、男の鞄にはその風俗店のマッチと吉田の携帯が入っていたわけですよね?」
『そうだ』
「じゃあ、そのロシアの風俗店の話は吉田とは全く関係ないわけですよね?」
『ま、まあそうだな』
 だったら最初から、殺された男の鞄から吉田の携帯が見つかった、といえばいいのに。まったく、ややこしい言い方をする。ただ単にロシアの風俗店の話がしたかっただけなんじゃないか、と雅人は思った。
「じゃあ、その携帯のことについて警察から野村さんのところに電話が来たんですか?」
『そうなんだ。明日の夜うちに来ることになってて』
「なんで、野村さんのところに電話がいったんでしょう?」
『さあ、俺もその辺はよく分からないんだけどさ。そういえば、なんでだろうな』
 能天気なトコはやはり野村だった。これといった理由を聞かずに警察と会う約束をしたなんて。
「で、それでどうして僕のところへ電話をよこしたんですか?」
『ああ。だから明日警察が来るだろう?で、俺一人じゃ心細いから、雅人も一緒に明日うちに来ないか?』
 結局はそうなる。
「いいですけど、明日も僕はバイトなんで10時頃になるんですけど」
『だったら、ちょうど良い。警察が来るのがちょうど10時なんだ』
 警察が10時に家に来るだろうか。おかしな話だ。それが本当に警察なのかどうかも疑わしく思えてくる。
「なんだか、おかしな感じですね。わかりました。バイトが終わったら野村さんちに飛んでいきますから、おとなしく待っててください。僕が行くまで誰も家に上げないようにしてくださいよ」
『どうして?』
「夜10時に来る警察なんて聞いたこと無いです。怪しすぎですよ」
『そうかな?俺は警察だと思うんだよな』
 なんともいい加減だが、この辺が野村が野村たるゆえんでもあるんだな、と雅人は改めて思った。



ウソかマコトか




 雅人君は自宅の布団で目が覚めました。時刻は9時を少し回ったところです。
「ん?」雅人君は、何かに気づいたようです。
 それはカレンダーでした。2月27日のところにバツ印がついています。でも、雅人君はそれをつけた覚えが無いのです。いったい27日に何があるというのでしょう。
 雅人君はソファに深く座って、眠い頭を振りました。
 部屋は恐ろしいくらいに散らかっていました。
ピンポーン。
チャイムの音が聞こえます。雅人君はインターホンの受話器を取りました。
「はい?」
「ああ、田中さん?神奈川県警の猿渡ですけども、よろしいですか?」
「え?神奈川県警の方ですか。何の用でしょう?」
「何の用ってあなた、先日お話したじゃないですか。とぼけようっていってもそうは行きませんよ。取りあえずドアを開けてください」
 いったい警察が何の用でしょう。雅人君に思い当たることと言えば、正くんのところに今日の夜警察が行くことということですが、そのことに何か関係があるのかもしれません。
 雅人君は玄関の鍵を開けて、チェーンをはずし、ドアを開けました。外にはスーツを着た男が二人立っていました。
「おはようございます。早速上がらせてもらいますよ」
背が低く、少しガッチリしたほうの男はそう言うと、どかどかと上がろうとしました。雅人君はあわてて、それを遮ります。
「ちょっと、ちょっと。なんですか。いきなり人の家に来て、事情も説明しないで上がろうとするなんて」
「おや、どうしました、いきなり。昨日の昼過ぎにお話したじゃないですか」
 今度は背が高く、スラリとしたほうの男が優しい声で言いました。
「何のことですか?昨日は一日中バイトしてたはずなんで、会ってるはずは有りませんよ」
「警部、きっとコイツ朝だから寝ぼけてるんですよ」
「寝ぼけてなんかいません。お宅らと会うのも初めてです」
「またまた、そうやってアンタ……」小さいほうの男がなおも上がろうとするのを、大きいほうの男が止めます。
「まあまあ、猿渡。キミも落ちつけ」大きいほうの男は小さい男にそういうと、今度は雅人君に向かって言います。「田中さん、ポストに新聞が入りっぱなしですよ」
 雅人君には新聞という言葉に違和感を覚えました。なぜなら、雅人君は新聞を取っていないはずだからです。どうして取ってもいない新聞がポストに入っているのでしょう。
 大きい男はポストから新聞を抜き取って、雅人君に手渡しました。雅人君は軽く頭を下げて新聞を受け取りました。
「昨日、お酒でも飲みすぎたんでしょう?二十歳になったのですから、そういう場に行くことも増えたでしょうし」
「今なんていいました?」
「ん?お酒の場に行くことが増えたというところですか?」
「違います。その前です」
「二十歳になったといったところですか?」
 どういうことでしょう。雅人君はまだ19歳です。2月中には二十歳になるのですが、まだ誕生日ではないので、正確にはまだ19歳なのです。きっと、男が間違えたんだと、雅人君は思いました。
「お言葉ですが、僕の誕生日は今月の途中なんで、まだ二十歳ではないんですよ」
「おや?田中さんの誕生日は2月だと聞きましたが。そうだったな、猿渡」
「ええ、調書にもそう有りますし、間違いないはずですが」
「だったら、先月二十歳になっておられますよね?」
 大きい男が、やさしく言います。しかし、いくらやさしく言われたところで、雅人君はすぐには理解できませんでした。
「お話がいまいち分からないんですが。先月は1月ですよね?」
「いいえ。今日は3月の10日ですよ。だから、先月は2月です」小さい男が言います。
 言われて、雅人君は手にしている新聞を広げました。確かに日付は3月10日です。
 もう何がなんだか分かりません。雅人君は取りあえずこの二人を家の中に招き入れました。

「じゃあ、先月の10日ごろからの記憶が全く無いと、そういうことですか」
「そうです。僕の中で昨日は2月10日で、今日は2月11日なんです」
 雅人君は、二人の刑事に現在の状況を説明しました。二人の刑事といったのは、家に入れたところで本物の警察手帳を見せられたからです。
 雅人君の話を聞いて、二人の刑事は困っているようでした。小声でひそひそと何か話しているようでが、雅人君には聞き取れません。やがて、大きい刑事がいいました。
「わかりました。どうして記憶が無いのかは分かりませんが、もう一度自己紹介からはじめたほうがよさそうですね」
「はい、すいません」
「私は神奈川県警の滝と申します。こっちは部下の猿渡です」滝刑事は小さい男を指差します。
 大きいほうが滝、小さいほうが猿渡というようです。さっき、猿渡刑事が滝刑事のことを警部と呼んでいたので、滝刑事の階級は警部みたいです。
「それでですね」滝警部はどこからは話せばいいのか考えているように、少し間を空けて、「何からお話しましょう。2月10日からですよね。んんん。まずはやはり事故のことからでしょうね」
「事故って、交通事故ですか?」
「ええ、2月11日の夜10時頃です。あなたと二人の先輩が乗った車が大学から帰宅する途中に、トンネル内で対向車と正面衝突をしたんです」
「先輩ってまさか、野村さんと石沢さんのことですか?」
「そうです。えー、野村正さんと石沢明夫さんです」猿渡刑事が言います。
「それで?」
「それで、運転していた石沢さんは、残念だったんですが亡くなりました。助手席にいた野村さんは現在意識不明の重体です」
 にわかには信じがたいことでした。だって、あんなに元気だった明夫君が死んで、正君が意識不明の重体だというのですから。雅人君は全く思い出せません。
「相手側の運転手はエアバックとシートベルトのおかげでほぼ無傷でした。まあ、車は使い物にならなくなりましたが」
「ちょっと待ってくださいよ。その車には僕も乗っていたんですよね?」
「そうです」
「で、今は事故から約一ヶ月たったわけですよね?」
「その通りです」
「じゃあ、何で僕は今こんなに元気に、ぴんぴんしてるんです?僕も重傷を負ったりしなきゃおかしいですよね?」
 それはすごく当然といえば当然の疑問でした。相手側が助かったのは分かるのですが、一人が死亡、一人が重傷、一人が軽傷という話はめったに聞きません。
「そこがわれわれも疑問を感じたところなんですよ、田中さん。事故原因はおそらくスピードの出しすぎと、わき見運転であろうと思うのですが、事故の大きさの割りにあなたの傷が浅すぎた」
「実際にはどのくらいの怪我だったんですか?」
「おでこ部分に軽いコブが出来ていて、全身に擦り傷が有ったくらいです。これといった怪我らしい怪我は見られませんでした」猿渡刑事が手帳を見ながら言います。
「フロントガラス部分に何かが突き抜けたような後があったので、後部座席にいた田中さんが、衝突の衝撃で、窓を突き破って飛び出して、数メートル地面を転がったのではないかという感じです」滝警部がジェスチャーを交えながら説明します。「目撃者はいません。相手側の運転手もしばらく気を失っていたということです。事故発生から約20分後、ようやく一台車が通りかかり、通報。発見者の証言によると、前の座席にいた二人はぐったりとして動かず、少し離れたところにあなたが倒れていたということです」
 その後を、猿渡刑事が続けます。「救急車が到着したときにはすでに石沢さんは亡くなっていまして、野村さんはすでに意識不明であったということです。田中さんはといいますと、救急隊の呼びかけに応じ、一人で歩いて救急車に乗ったということです」
 雅人君は全く思い出せません。話を聞く限りでは、救急車がついたときには意識もあり、自分で歩いていたというのです。ひょっとしてそのときの事故で記憶を失ってしまったのでしょうか。いえ、それでは一ヶ月間も記憶を失い続けているはずはありません。もし失っていたのであれば、今もきっと病院のベッドの上にいるはずだからです。
 では、昨日何かがあって、事故のときに気づかなかった傷か何かで、記憶が飛んでしまったのでしょうか。
「以上が事故についての、まあごく簡単な話ですが、何か思い出されましたか?」
「いえ、全く。つかぬ事をお聞きしますが、お二人は交通課の方ですか?」
 雅人君がそう聞くと、猿渡刑事が首を振りました。
「あ、違いますよ。われわれは殺人課です、いわゆる」
「殺人課の刑事さんが、その事故について調べているわけですか?」
「ああ、言い忘れましたね。その後を。実はわれわれもつい2週間ほど前に捜査に合流したばかりでして。本来なら、単なる交通事故ですし、われわれが出るマクはなかったんですが、事故車両を調べている過程で、石沢さんの車のほうにちょっと異常が見つかりまして」
「異常といいますと?」
「ええ、簡単に言うと、ブレーキの異常ですね。時間が来るとブレーキが利かなくなるように、何者かに細工された後が見つかったんです。それで、一気に殺人の色が強くなってきて、われわれに捜査命令が出た次第です」
「だから、僕のところにいらしたんですか……」
「そういうことです。われわれは、捜査を開始してすぐにあなたのところへお伺いしました。無傷だったのはあなただけですから。事故の経緯をお伺いしようと思ったわけですが」
 そういうと、滝警部は黙ってしまいました。
 ピピピ、と誰かの携帯電話の着信音が聞こえました。
 雅人君はとっさに自分の携帯電話を見ましたが、反応はありません。そもそも雅人君の携帯電話の着信音は音楽だからです。
 すぐに猿渡刑事がポケットをまさぐって、携帯電話を取り出しました。
「誰からだ?」滝警部が尋ねます。
「あ、やっさんからですね。何かあったんでしょうか」
 そういうと、猿渡刑事は玄関から外に出て行きました。
「すいませんね、仕事の電話です」

 しばらくして、玄関を勢いよく開けて、猿渡刑事が飛び込んできました。
「なんだ、そうぞうしい。何かあったのか?」
「け、警部!大変です。野村が、野村正が」猿渡刑事は一瞬間をおいて言いました。「たったいま、病院で亡くなったそうです」
 それを聞いて、雅人君の気は遠くなっていきました。何がなんだかもう分かりません。これは悪い夢ではないでしょうか。きっと雅人君はまだ夢の中にいて、今起こっていることもすべて夢の中の出来事ではないのでしょうか。
「田中!」
 誰かが雅人君を呼ぶ声が聞こえます。
「おい、田中」



「起きろって、着いたぞ」
雅人はたたき起こされた。周りを見てみる。車の中だった。
「ここは?」
「はあ?何寝ぼけてるんだよ。お前ん家だろうが」
 石沢はそういうと、車を降りた。続いて雅人も降りる。3ドアの石沢の車を降りるには、まず前の座席の人が降りなければならない。狭い空間を、体をねじって降りる。
 確かに、うちだった。
 雅人を残し、石沢は帰っていった。
 家に入って、すぐにパソコンを立ち上げる。相変わらず小説のほうは音沙汰無しだ。いったいどうなったのだろう。ひょっとしたら、もう続きはアップされない可能性もある。
 ところが、その予想は外れた。小説は昨日の深夜にアップされていた。しかし、文体は変わっていた。今までのようなですます調での神の視点による表現から、雅人に焦点を当てたものとなっている。
 さらにストーリーも若干変わってしまったように見える。吉田という見知らぬ女性が登場する雰囲気だからだ。そもそも、H駅で起こった殺人事件に雅人たちがかかわる確立など、限りなくゼロに等しい。
 警察が夜の十時にたずねてくることもきっと無いだろう。
「意味が分からん」
 思わず声に出してつぶやいていた。それくらい、作者の意図がつかめなかった。
 ツチノコの捜索に始まり、河村失踪、そして吉田美由紀という架空人物とH駅での殺人事件。どうなっている。
 最初の小説がアップされてから、早くも2ヶ月が過ぎようとしている。相変わらず、河村と連絡は取れない。
 ふと時計を見た。時刻はもう深夜の3時を過ぎたところだった。もう眠たい。車の中で若干寝ていたとはいえ、体は正直だった。
 パソコンの電源を落として、コタツを切る。
 ガタガタっと玄関のほうから音がした。3時を過ぎたので、きっと新聞が配達されたのだろう。この辺の地域は新聞屋の営業所が近いので、比較的早い時間に新聞が配達される。実家にいたときは夜明け前だったのに、この辺では3時を過ぎてすぐだ。
取り出すのは明日でいいだろう。今日はもう寝よう。
雅人は電気を消して、布団にもぐりこんだ。



小休憩


 田中雅人の家を後にすると、私は隣を歩く猿渡に尋ねた。
「やっさんは何だって?野村正が死んだなんてうそなんだろ?」
「あ、やっぱり気づいてました?」
「当たり前だろうが。医者の話では容態は安定しているという話だったしな」
 まったく、最近は仕事ばかりで疲れる。先週T市のマンションで起きた殺人事件を解決したばかりなのに、休む暇もなく、H駅で起きた殺人事件に呼ばれ、その事件の関係者を調べるうちに、野村正や石沢明夫らの事件が浮上してきた。
 おまけに、唯一の手がかりといっても良い田中雅人が、記憶喪失だと?私にはとても信じられない。前回会ったときはずいぶんとしっかりしていた。怪しいくらいに。
「吉田美由紀の件なんですが」
「うん?」
「どうやら、事件発生の直後からイタリアに行っているみたいです」
「イタリア?どうしてまた」
「これは、吉田美由紀の友人に聞いた話なんですが、大学が休みに入るということで、以前から計画していたイタリアへの短期留学に行ったようなんです」
「短期留学ねえ」
「そうなんですよ。どうやらファッション関係らしいんですが」
「ファッション?吉田美由紀は経営学部じゃなかったのか?」
「そうです。ですが、そもそも経営学部に編入した理由というのが、自分でファッションの会社を立ち上げるためだったと言うんです」
 車のキーをポケットから取り出して、猿渡に向かって放り投げる。
 猿渡は、キーをうまくキャッチすると、運転席のドアを開けて乗り込んだ。私も助手席に乗り込んだ。もともとこの車は私の車だが、最近は運転するのが面倒で、猿渡と一緒にいるときはもっぱら猿渡に運転を任せていた。
「それで、ガイシャの男性と吉田美由紀の接点は何かつかめたのか?」
「まだです。分かったことといえば、そうですね……」
猿渡はエンジンをかけるときになぜか言葉が詰まる。私が思うに、二つのことを同時におこなうことができないからではないか。
「……携帯電話ですね」
「携帯電話って、ガイシャの鞄から見つかった吉田美由紀の携帯か?」
「はい。その友人の話だと、吉田は海外でも携帯電話を使おうと、海外でも使える携帯電話を新規で契約したらしいんです」
 まったく、世の中は便利になったものだ。一昔前までは携帯電話といっても持ち歩くには肩紐をかける必要があった。それが今ではポケットに入ってしまうし、世界中どこにいても通話が出来るとは。
「それじゃあ、吉田美由紀は事件発生の段階で携帯電話を2個契約していたわけだな?」
「そうです」
「とすると、ガイシャの鞄にあったのは日本においていくほうだったということか」
「いえ、それが違うようです」
「違う?」
「発見された携帯電話を業者に確認してもらったところ、どうやらそれが海外で使える携帯というやつだったんです」
「なんだって?それじゃあ、吉田美由紀はいま日本にいた頃に使っていた携帯を持っているということか?」
「そのようです。まあ、吉田が現在所持している携帯電話の機種が分からないのでなんともいえませんが」
 それでは、新たに携帯電話を契約した意味が無いではないか。それとも、新規に契約した携帯電話を置いていかねばならない理由があったのだろうか。
 事件はさらにややこしくなってきた。石沢の自動車事故もH駅での殺人事件も、一筋縄ではいかないようだ。




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