Innerview-インナービュー 内側から見た世界

2005/10/09(日)16:10

ベジタリアンになる

日常生活(8)

いまさらなんだけど、ベジタリアンになることにした。 正確に言うとノン・ミート・イーターということで、魚介類は少々いただこうと思っている。 もともとOSHOは菜食になるようすすめていたし、OSHOコミューンでは菜食がとられている。 インドにいたころは、ベジタリアン・フードは普通なので何の苦労もなくベジタリアンでいることができたし、ことさら肉が喰いて~!と思うこともなかった。 しかし日本に帰ってくると、ベジタリアンでいることには大変な労力が必要になってくる。 まず外食ができない。 となると、自分で三食つくらなければならない。 が、正直なところ椎茸で出汁を取ってる暇はないのだ。 ほかにもやることはたくさんある。 というわけで、なし崩し的に弁当やら外食で済ませていた。 そうしているうちに鶏肉なんかは普通に食べるようになった。 そして豚肉も食べるようになり、焼き鳥屋なんかはお気に入りの場所のひとつになった。(関東では焼き鳥屋で焼きとん(豚)がでる) 牛肉はほとんど食べないけれど、弁当買ったりすると入ってるし、スープの出汁になっていたりする。 でも最近、なんとなく「可哀想だな~」と思ったり「なんか残酷だな~」と感じることが増えてきた。 そんなこともあって、色々見聞しているうちに「菜食のススメ」というサイトに目がとまった。 うすうす気づいてはいた畜産動物たちの残酷な状況の数々… それで「もう食べないことにする…」と誓ったのである。 誓いというとおおげさかもしれないが、こうした現状を意識すればとても喉を通らないし、今までなし崩しになっていた労力を少しはかけるつもりになったということだ。 サイトでは、菜食主義についての疑問や健康問題などについても詳細に述べられているので、細かいことはここでは論じない。 そうした話は大筋で納得できる内容だったので、参考にするといいと思う。 僕の場合、菜食(正確にはノン・ミート)をするのは残酷さを支持しないからだ。 それは健康のためでも、地球環境のためでもない。 さらに言えば、正確にはいわゆる動物愛護ということでもない。 確かに動物愛護でもあるのだが、動物に限らず残酷な行為を許容しないからだ。 そのような残酷さ(肉を喰うこと)を許容しながら、「イラク戦争反対」なんて言っても無意味だと思うのだ。 特定の戦争に反対しているのではなく、あらゆる残忍さや暴力性に反対しているのだ。 そして本当の意味で、残忍さや暴力性から自由になるには、菜食は不可欠なことのように思える。 肉を食いながら平和を語るのは、ちゃんちゃらおかしいのだ。 じゃ、なぜ魚介類は食うのか? おっしゃるとおりである。 理由のひとつには菜食という食生活が確立されていないこと。 そして魚介類にはそれほどの慈悲を感じていないこと。 生きた魚をさばくことはできないと思う。 しかし、貝を拾って食うことはやぶさかではない。 いずれは本格的な菜食に移行していくと思う。 とりあえずできることからはじめよう。 菜食のススメはここをクリック! 畜産動物の真実。それがミートリックス 菜食をすすめるものではありませんが…パロディが楽しい。 さらにおまけ 有機食品が宇宙を救う!ストア・ウォーズ オーガニック反乱軍が添加物ダークサイドと対決! うますぎ!

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