ご飯論法の不誠実
森友に「収賄的関与ない」=安倍首相、説明を修正―ごみ撤去費、1.5億円増安倍晋三首相は28日の衆院予算委員会集中審議で、学校法人「森友学園」の問題への自身や妻の昭恵氏の関与の有無について「お金のやりとりがあって、頼まれて行政に働き掛けをした、という意味での関わり合いはしていない」と述べた。収賄に問われるような関わりはないとの趣旨で、従来の説明を修正した。公明党の浜村進氏への答弁。首相は昨年2月の国会答弁で「小学校の認可や国有地払い下げには一切関わっていない。私や妻が関係していたとなれば、首相も国会議員もやめる」と断言しており、28日の説明は関与の意味合いを限定して追及をかわす狙いとみられる。首相は、森友学園が開学を予定していた小学校の名誉校長に昭恵氏が一時就任していたことに触れ、「そういう意味での関わりはあった」と認めた。自民党の平井卓也氏への答弁。(以下略)---まあ、どうせそんなふうに逃げるだろうと思ってはいました。それにしても「小学校の認可や国有地払い下げには一切関わっていない。私や妻が関係していたとなれば、首相も国会議員もやめる」と大見得を切って、いよいよ逃げ切れないとなると、この期に及んで「お金のやりとりがあって、頼まれて行政に働き掛けをした、という意味での関わり合いはしていない」なんて言葉を付け加える。この疑惑を追及する側だって、森友、加計への特別扱いは、彼らが安倍のお友達(あるいは極右イデオロギーの同志)だからというのが大筋の理解であり、贈賄が理由だとは考えている人は少ないのです。当然、関与した/しないというのは、金銭授受という文脈に限定するものではなく、友達に対する優遇に影響力を使ったのかどうか、という文脈です。それなのに、今更このように言い換えるのは、まさしく論点ずらしそのものです。この上なく不誠実な態度としか言いようがありません。このような安倍政権の不誠実極まりない答弁について、折りしも上西充子法政大教授が、「ご飯論法」と表現して話題になっているそうです。それはつまりQ「朝ごはんは食べなかったんですか?」A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」Q「何も食べなかったんですね?」A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので・・」というものです。これは、直接的には高度プロフェッショナル制度に関する加藤厚労相の答弁の不誠実さを批判する文脈で出てきたものですが、安倍自身のこの言い分もまったく同種のものです。Q「関わっていないのですか?」A「関わっていません(金銭授受に関しては、ね。それ以外のかかわりはあるけど、それは黙っておきます)」ということです。更に、佐川前国税庁長官の証人喚問の際にも、同じようなことがありました。佐川は昨年2月24日の国会答弁で、面会等の記録は平成28年6月20日の売買契約締結をもって破棄してる、と答弁しています。ところが実際には破棄されていなかった。国会で嘘をついたわけです。しかし、それについて佐川は「6月20日をもって廃棄をしたという私の答弁は~財務省の文書管理規則の取り扱いをもって答弁したということでございまして」と言い放っています。つまり、言い換えればこういうことですQ「この面会記録は保存していないのですか?」A「破棄しました(文書管理規則上は、そういうことになっています、この文書は残っているけど、それは黙っています)」わたしには、これは詐欺師の論法にしか見えません。ご飯論法というのも言い得て妙ですが、私自身は証人喚問当時の記事で「消防署の方から来ました、というのとなんら変わらないレベル」と評しました。なので、私としては「消防署の方から来ました論法」というのも分かりやすいかなと思います。※「消防署の方から来ました」というのは、むかしあった古典的な詐欺(あるいは押し売り)の手法で、消火器のセールスマンが「消防署の方から来ました、おたくの消火器は古いので買い替えが必要です」と言って小火器を売りつける、というものです。買うほうが「消防署の職員か」と誤認するように仕向けて、それが発覚して追及されると「わたしは消防署の方角から来たという意味です」と言い逃れるわけです。要するに、首相から厚労相から国税長官から、みんなこの種の詐欺論法で言い逃れをする、そういう内閣だ、ということです。しかも、その詐欺が見抜かれても非を認めない、居直って時間稼ぎに終始している。その場限りの言い逃れで追及をかわせばそれでよい、国会で野党の質問時間を空費させて引き伸ばせばそれで作戦勝ち、そんな意識しかないのでしょう。どうせ後からバレても適当に言い逃れをしておけば、野党の支持率は低いし、狂信的な支持者がネットで応援してくれるから、どうとでも逃げ切れる、何を言ってもやっても、しばらく選挙はないし、次の選挙までには国民もそんなことは忘れるだろう-くらいの認識なのではないでしょうか。およそ、誠実性のかけらもない。しかし、短期的には彼らの作戦勝ちかもしれませんが、長期的に見れば、政府の要人が何を言っても、まったく信用性がない「消防署の方から来ました」の類だと満天下に知らしめることは、政治の信頼性、行政の信頼性を失墜させることであり、その禍根は極めて大きなものであると私は思います。