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2010.11.20
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テーマ:ニュース(101486)
カテゴリ:政治
一昨日の記事にも書きましたが、改めて整理します。

参議院予算委員会での一連のやりとりは、以下のとおりです。

世耕弘成議員 今の結果、表現の自由、国民の自由に発言する権利、自由に集会を開いてイベントを開く権利を制限をする通達をですね、まったく中身を十分理解しないまま、今聞いても聞く度に言うことが違う、で最後は省内で協議したから、こんな省令を出すような大臣を私は認めることはできない。で、もう一つ大きなことを聞かせていただきます。先ほどから金科玉条のように自衛隊法61条をおっしゃっています。これは、国家公務員法にもまったく同じ規定があります、地方公務員法にもあります。国家公務員法第102条、事実上自衛隊法61条の隊員を職員と読み替えただけの法律です。国家公務員にも、政治的行為は当然規制をされているんです。官房長官、どうお考えでしょうか。

仙谷官房長官 えー、あの、今102条に同じ規定があるということを、おっしゃられたわけでございますが、突如ご指名いただきましたので確認してからと思って、今ここに立っております。確かに61条と102条は、同じであります。ただ、政令で定める政治的行為、この中身をですね、あの、人事院規則で定める政治的行為に102条の方はなっておりますので、自衛隊法施行令86条、87条と人事院規則、これが政治的行為の、まあ個別特定ですね、これが同じかどうかは今のところ詳細には確認できておりません。

世耕 これ法の精神としては、国家公務員も地方公務員も自衛隊員も、学校の先生も、まったく同じ精神ですよ。これ国家公務員で自衛隊と同じ精神で規制をされているということは、じゃあ霞ヶ関の庁舎内においても、こういう入間で挨拶されたような人は呼ばないということでよろしいんですか。

仙谷 今、法の精神と言われました。で、公務員という世界では、同じように政治的な中立性が求められると思います。そして更に、暴力装置でもある自衛隊、まあ、ある種の・・・・・・ある種の軍事組織でもありますから・・・・・・軍事組織でもありますから、これはシビリアンコントロールが効かなければならないと、それから、まあ戦前の、戦前の経験からしまして、決して・・・・・・じゃあ実力組織というふうに訂正させていただきます、実力組織でありますから・・・・・・実力組織でありますから、これは特段の政治的中立性が確保されなければならないということだと思います。これは、これは新解釈じゃありません。やっぱりこれは、戦前の経験を、いわゆる軍国主義という経験をして、その中で、中からも外からも、非常にある種の政治性の強い働きかけや、あるいはその行為に、それに呼応する動きが出てきて、あのようなことになったわけでありますから、特に実力そ、実力組織としてはですね、実力組織としては、より念を入れた特段の政治的中立性が保障されるべきだと、そのために、一般の国家公務員ではここまでだということであっても、関与を疑われるような行為も、やってはならないと、あるいはそれに巻き込まれるようなことにならないように注意してくださいよ、と、こういう通達だと思います。

世耕 ちょっと議事録に残す必要があるので、自衛隊のことを暴力装置とおっしゃいました。これ、現場の隊員のためにもきちっと撤回と謝罪をしてください。

仙谷 あの、そのとおり、撤回をして実力組織と言い換えます。

世耕 謝罪、謝罪、謝罪も求めた、謝罪も求めた、謝罪も求めた。・・・・・・撤回だけじゃなくて謝罪もしてください。

仙谷 あの、法律上の用語としては不適当でございましたので、自衛隊の、自衛隊の皆さんには、謝罪をいたします。

世耕 このようにですね、表現の自由に関しても解釈が滅茶苦茶だと言うことが、はっきりしました。自衛隊を暴力装置としてみている、こういうことも分かりました。
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改めてこの一連のやり取りを聞いて、仙谷官房長官が間違ったことを言っているとは、まったく思いません(このやりとりの範囲内に関しては、です)。
私は、私的空間においては、公務員の政治的活動の自由はある程度保障されなければならないと思っています。私的空間(つまり、勤務外においては、です)現在の国家公務員法、地方公務員法、自衛隊法の政治的行為への規制は、強すぎると思っています。
ただし、それは勤務外においての話です。

問題となった事件は、航空自衛隊入間基地の航空祭祝賀会において、自衛隊協力団体の会長という人物が「一刻も早く菅政権をぶっつぶして、昔の自民党政権に戻しましょう。民主党政権では国が持たない」という趣旨の発言をしたというものです。
航空祭というのは、私的な会合や親睦会ではなく、「まつり」とは言え航空自衛隊という公的機関が主催する公式な行事です。いくら発言主体が外部の一民間人でも、そのような場で上記のような発言は問題でしょう。

世耕は、「じゃあ霞ヶ関の庁舎内においても、こういう入間で挨拶されたような人は呼ばないということでよろしいんですか。」と言っていますが、当たり前でしょう。庁内で行われた私的な会合とか、親睦会だというなら話は別ですが、官庁が公式に開催する行事の場で「現政権をぶっ潰せ」などという挨拶があり得ると思っているのでしょうか。
世耕議員は、では自民党政権に戻ったら経産省や農水省や外務省が主催する公式なイベントで、外部の来賓が「自民党政権をぶっ潰せ」と挨拶しても構わないと、そう認めるのでしょうか。

結局のところ、自分たちにとって都合の良い言論は守りたい、都合の悪い言論は排除したいと、そういう話に過ぎないのではないでしょうか。自衛隊を「暴力機関」と読んでも、自民党の石破が言えば特に非難せず、民主党の仙谷が言うと非難する、というのも、同様であるように私は思います。

そして、まさしく仙谷官房長官が言うように、自衛隊は暴力組織であるが故に、一般の公務員よりなお一層の政治的中立が求められる、これまたあったりまえの話です。霞ヶ関で権勢をふるう財務省のキャリア官僚といえども、拳銃や小銃を携行することなど認められていません。警察や海保、自衛隊にはそれが認められている。それは、まさしくこれらの組織が国家の合法的な暴力装置だからです。警察が暴力装置でなかったら、拳銃を振り回す犯人をどうやって制圧するんですか?自衛隊が暴力装置でなかったら、どうやって敵を撃退するんですか?
他の公務員にはない権限(人を殺傷する能力)が与えられているが故に、他の公務員にはない制約も課されている、これまた当たり前の話です。
前述のとおり、外務省や経産省の公式行事で時の政権を「ぶっ潰せ」とブチ上げることだって充分に問題ですが、自衛隊の場合は他の省庁とは違う意味合いがある。それは物理的に政府を転覆できるだけの実力を自衛隊は持っているということです。「おまえなんか死んでしまえ」なんて言葉でも、一般人が言うのと、医者が患者に対して言うのでは、重大性がまったく違う。

従って、ここに引用した範囲内において、仙谷官房長官は、話の筋においても、使った用語についても、間違ったことはほとんど言っていないというのが私の考えです。唯一「軍事組織」というところだけが引っかかる。(前の記事で書いたとおり)
ただし、ここに引用した以外の部分となると、話は別です。前の記事にも書いたように、「政治的な発言はダメ」という通達には、とても賛同できません。それは、あまりに曖昧として恣意的に解釈できてしまうからです。

問題の人物は、夕刊フジの取材に対して、「自民党政権時代も、民間人の立場で、自衛隊や、当時の政治に対する思いのたけを述べてきた。さんざん苦言や文句も言ってきた。」とのたまっているそうです。
しかし、確認したわけではありませんが、この人物は自民党政権時代に「自民党政権をぶっ潰せ」とか「○○内閣をぶっ潰せ」などという挨拶はしたことがないだろうと私は確信しています。
おそらくは、彼が過去に言ってきたという「苦言」や「文句」というのは、「自衛隊をもっと増強しろ」とか、「中国に対して毅然とした態度を取れ」とか、「有事法制を実現しろ」とか、「日本の誇りがどうこう」とか、昔なら「ソ連は脅威だ」とか、「北海道にソ連が攻めてくるぞ」とか、そういう内容であろうことは、容易に想像できます。もちろん、このような発言だって立派に政治的発言ですし、私にとってはまったく賛同できない主張です。しかし官公庁の公式行事の中で語られる言葉としては、「内閣をぶっ潰せ」とは質的にまったく違う。しかし、「政治的発言は全部ダメ」という通達では、そういった区別もなく全てが「政治的発言」として排除されるでしょう。
それはやり過ぎというものですし、来賓の挨拶が面白くも何ともないものばかりにならざるを得ないでしょう。(もともと、来賓挨拶なんて面白くも何ともないものだと言われればそれまでですが)

ですから、私は前の記事にも書いたように、「政治的発言」などという曖昧・恣意的に解釈できるものではなく、「民主制度に相反する言動、文民統制を侵す言動、クーデターを煽動する言動」をする者は発言させないように、と、より対象を限定すべきであると思うわけです。






最終更新日  2010.11.20 13:30:11
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