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カテゴリ:政治
田中慶秋法相が、就任早々台湾人から献金を受け取っていた事実が発覚し、続いて暴力団関係者との親密な交際が報道されています。
私に言わせれば、外国人からの政治献金はたいした問題ではありません。知っていて受け取っていたわけではないだろうというのがひとつと、そもそも田中の出身政党は旧民社党であり、何十万円程度の外国人からの献金など小さく見えるくらい、真っ黒な歴史を民社党は背負っているからです。 しかし、もうひとつの問題である暴力団関係者との交際は、見逃すわけには行かない。他でもない法務大臣という職責と、暴力団関係者との交際は、あまりに相容れない。さっさと辞任すべきでしょう。 ところで、先に、私は「何十万円程度の外国人からの献金など小さく見えるくらい、真っ黒な歴史を民社党は背負っている」と書きました。 民社党は、みなさんご存知と思いますが、旧日本社会党から右派が分裂して結成した政党で、1960年に結党(当初は正式名称を民主社会党と称したが、後に通称の民社党を正式名称とした)、1994ねんには、新進党に合流して解党し、その残党は現在、一部が自民党に、大部分が民主党に所属しています。 「真っ黒な歴史」というのはどういうことかというと、この党が日本社会党から分裂した背景には、米国CIAの工作があり、結党時に75000千ドル、それ以降も1964年まで毎年同程度の資金援助を受けていたからです。1ドル360円時代ですから、日本円では2700万円になります。1960年当時の2700万円は、現在のいくらに相当するでしょうか。大卒初任給が1万数千円という時代ですから、現在の価値で言えばおおむね10倍前後ということになるでしょう。つまり、現在の貨幣価値で言えば2億から3億程度のお金を毎年受け取っていたわけです。付け加えれば、自民党もまた、CIAから資金援助を受けていました。その額は数百万ドルというから、民社党よりはるかに高額です。 「台湾人飲食店経営者からの献金」なんてのとは、金額の桁が違うし、外国の諜報機関からの資金援助と分かっていた受け取っていたわけです。そして、自民党も民社党も、資金援助者CIAの意向に忠実でした。 民社党は、結党以来右へ右へと転向し、ついには自民党より右といわれるまでになりました。そのことを如実に示す出来事が、1973年にありました。 チリで、ピノチェト将軍がアジェンデ政権をクーデターで倒したとき、民社党は代表団をチリに派遣し、このあからさまに非民主的行動を「神の声」とまで賛美したのです。その後のピノチェト政権の強権的な弾圧と、それに対する激しい民主化運動、1989年の民政復帰については、当ブログの読者の皆さんは、ご存知の方も多いのではないかと思います。そのピノチェト軍事独裁政権を賛美した民社党の綱領には「左右の全体主義に反対し」と書かれていましたが、口ではそういっても、実際にやっていたことは、「左の全体主義に反対し、右の全体主義には賛成」だったわけです。民社党にとって、反共主義は民主主義より大事だったのでしょう。 もっとも、CIAの資金援助にもかかわらず、民社党の議席数は、社会党から分裂した結党時が一番多く(40議席)、選挙でこの議席数に届くことは、一度たりともできなかったのです(1983年の総選挙で39議席を取ったのが、選挙での獲得議席の最高記録)。 で、その民社党出身者のそうそうたる顔ぶれ。 元委員長塚本三郎 解党後自民党に入党するも落選して政界を引退、現在はネットウヨク団体「頑張れ日本!全国行動委員会」の愛知県本部顧問 元衆議院議員西村眞悟 この極右政治家については説明不要でしょう。父親の西村栄一が民社党の委員長であり、本人自身も二世政治家として、民社党から衆議院に初当選しています 中井洽元国家公安委員長 女性スキャンダルで有名 そして田中慶秋法務大臣、というわけです。 まったくすばらしき面々としか言いようがありません。こういう人たちが、現在の民主党において、有力な派閥として閣僚を何人も送り込んでいるわけです。 そうそう、昨日の記事で取り上げた鷲尾英一郎(発言自体は特に問題となるような性質のものではないけれど)も、本人自身に民社党での議員歴はないものの、民主党内の旧民社党派閥である民社協会に所属しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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