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2012.11.01
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テーマ:ニュース(100819)
カテゴリ:人類学
アイヌ、琉球は縄文系=本土は弥生人との混血―日本人のDNA解析・総研大など
日本人を北海道のアイヌ、本土人、沖縄の琉球人の3集団に分けた場合、縄文人に起源があるアイヌと琉球人が近く、本土人は中国大陸から朝鮮半島経由で渡来した弥生人と縄文人との混血が進んだことが確認された。総合研究大学院大や国立遺伝学研究所(遺伝研)、東京大などの研究チームが、過去最大規模の細胞核DNA解析を行い、1日付の日本人類遺伝学会の英文誌電子版に発表した。
アイヌと琉球人が同系との説は、東大医学部の教官を務めたドイツ人ベルツが1911年に初めて論文発表した。頭骨の分析では、狩猟採集生活の縄文人は小さい丸顔で彫りが深く、約3000年前に渡来し稲作をもたらした弥生人は北方寒冷地に適応していたため、顔が平たく長い傾向がある。
総研大と遺伝研の斎藤成也教授は「ベルツの説が101年後に最終的に証明された。本土人は大ざっぱに言えば、縄文人2~3割と弥生人7~8割の混血ではないか。今後は縄文人のDNA解析で起源を探るほか、弥生時代に農耕が広がり人口が急増した時期を推定したい」と話している。

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記事にあるように、これは従来から言われていた説がDNA鑑定によって再確認された、というだけの話です。

日本にいつから人類が住み始めたかは判然としないものの、第四紀更新世(1万年前より古い時代)には、すでに人が住んでいたことははっきりしています。
旧石器時代の日本における人類の足跡は、2000年に発覚した旧石器捏造事件によってかなり揺らいでしまい、前期・中期旧石器時代に関しては、日本に確実に人類が住んでいた証拠は消滅してしまっています。ただ、後期旧石器時代(3万年前より新しい時代)については、捏造と無関係の遺跡が見つかっているので、日本にヒトが住んでいたことは間違いない。

旧石器時代人と縄文人の関係は、よくわかってはいません。旧石器時代の石器などの遺物は数多く見つかっているものの、人骨はごくわずかしか見つかっていないからです。旧石器時代人は縄文人の祖先かもしれないし、別々に渡来した別系統の民族だったかもしれません。わずかな例からは別々の系統という可能性が示唆されているようです。ただし、旧石器時代人も縄文人も単一の集団だったとは限りません。
いずれにしても、旧石器時代人も縄文人も、東南アジアから北上してきた南方系の集団であることはほぼ間違いないようです。つまり、この日本列島に最初に住み着いた人々(旧石器時代人、あるいは縄文人)は、南方系だったと思われます。
その後、弥生時代以降になって、新しい集団が日本に流入します。中国大陸から朝鮮半島経由でやってきた北方系の弥生人です。弥生時代の始まった時期には諸説ありますが、2千数百年前から3千年前くらいと考えれば間違いありません。弥生人の渡来もその頃に始まったのでしょう。
縄文人が先住者で弥生人は後発ですが、弥生人のほうが勢力が強く、日本本土の主要部分は弥生人が占拠し、縄文人は駆逐されました。駆逐といっても、完全消滅したわけではなく、混血によってある程度の痕跡は現代の日本人にも残されています。その割合は、記事にあるように、おおむね「縄文人2~3割と弥生人7~8割の混血」という程度ではないかといわれます。
しかし、後発組の弥生人は日本のすべての地域で多数派になったわけではなく、縄文人の血筋が色濃く残った地域が二つあります。それが、北海道のアイヌと沖縄、というわけです。ただし、歴史的に見れば、北海道と沖縄に限らず、東北地方の広い範囲(蝦夷)と九州南部(熊襲)に、大和朝廷に服属しない異民族が存在していたことが知られています。熊襲は古墳時代には平定されていますが、蝦夷が最終的に征服された時代ははるかに新しく、平安時代の終わり、源頼朝によってです。
源頼朝が鎌倉幕府を開いた際の「征夷大将軍」という称号が「蝦夷征服の将軍」という意味であったことは、いまさら説明する必要もないでしょう。
蝦夷や熊襲と、現在のアイヌ、琉球人との関係ははっきりしませんが、やはり縄文人の血筋を色濃く受け継いでいた人々であった可能性が高そうです。

いずれにしても、現代のわれわれ日本人の祖先は、主要部分が朝鮮・中国から渡来した人々、一部が南方から渡来した人々と見て間違いないでしょう。朝鮮半島から、あるいは中国から朝鮮半島経由で渡来した人々は、弥生人だけではなく、それ以降も7~8世紀ころまでは絶えることがなかったようです。
だから、朝鮮半島出身、あるいは朝鮮半島経由の血筋をまったく引いていない、などという日本人は、よほど近年に帰化した人(たとえばフィンランドから帰化したツルネン・マルテイとか、米国人から帰化したドナルド・キーンとか)以外は、皆無と言っていいはずです。
皇后が以前に、自分たちの祖先には朝鮮からの血が入っている、という発言をしたことがあります。当然の話です。入っていないはずがない。私にも、あなたにも、安倍晋三にも石原慎太郎にも、在特会の桜井誠にも、朝鮮半島由来の血筋は、間違いなく入っています。

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話は変わりますが、尼崎市の遺体遺棄・行方不明事件で連日マスコミをにぎわせている角田美代子を巡る都市伝説に、「彼女は在日朝鮮人だ」というのがあります。明白なデマです。デマ話の根拠になったのは、角田の「戸籍上の従兄弟」が李正則という在日韓国人だから、ということなのですが、わざわざ「戸籍上の」と注釈がついているのは、養子縁組によって従兄弟になっただけで、血がつながっているわけではないからです。そんなことは、マスコミで散々報じられているので、ちょっと調べればすぐに分かることです。週刊新潮や文春が彼女の生い立ちを追っており、彼女の両親の職業から、もともと名乗っていた苗字(角田は母方の苗字で、もともとは父方の苗字を名乗っていたらしい)から、若い頃の「武勇伝」から、みんな報じられています。どこにも、彼女が在日(あるいは帰化した)という痕跡はありません。
それにも関わらず、一度犯人の周辺に在日韓国・朝鮮人の名を見つけたが最後、誰でも調べれば分かる、あたりまえの事実すら目に入らなくなって、ひたすら「在日の犯罪」と思い込むのが、ネットウヨク脳という奴なのでしょう。まったく救いようがない。

ええ、確かに問題の角田美代子にも、朝鮮由来の血は入っているでしょうよ、前述のような意味ではね。そういう意味で、朝鮮由来の血を引いていない日本人などいません。ネットウヨクだって同じです。





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最終更新日  2012.11.17 11:08:51
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