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テーマ:山登りは楽しい(12518)
カテゴリ:登山・自然・山と野鳥の写真
・・・・・タイトルに一ノ倉沢と書きましたが、眺めに行っただけで、登ってはいません。
![]() 水上駅で。 ![]() 何度も来ていますが、土合駅に到着です。 ![]() 日本一のモグラ駅。動画はアップしませんが、この場所から駅舎を出るところまで動画を撮影したところ、8分30秒でした。 ![]() 土合駅を出たところ。 ![]() 眼前に白毛門がそびえています。2016年1月に登りましたが、無雪期はまだ登ったことがありません。 ![]() 谷川岳山頂ではなく、麓の一ノ倉沢展望台を目指します。実は、1年前にも行ったところです。 ![]() マチガ沢に到着。 ![]() 昔はここに宿屋が3軒あったそうです。昔というのが明治以降なのか江戸時代以前なのかは不明確ですが、案内板には「その昔~3軒宿があったらしく、畑や墓跡が残っています」という書き方は、なんとなく江戸時代以前かなという気がします。明治以降ならもう少し明確な記録があるでしょうから。 ![]() そして一ノ倉沢展望台に到着。世界で一番遭難死者の多い山は谷川岳で800人以上が亡くなっています。そのおそらく9割以上はこの一ノ倉沢で亡くなっているはずです。先ほどの写真のマチガ沢でも亡くなっている方はいるはずですが、西黒尾根や天神尾根では、積雪期以外はまず死者はいないでしょう。 ![]() 反対側のは白毛門 ![]() 白毛門 ![]() さらに先に進みます。 1年前ここに来た時の記事に昭和44年に建てられた「旧清水越国道」という標識を見て 「旧国道、どうりで歩きやすい砂利道と表いました。昭和44年だそうですが、廃道化したのは、もっとずっと最近だと思います。荒れてはいますが、50年放置だったら、とても歩けたものではないと思われるので。」 とコメントを書いてしまいました。 いやー、何も知らなかった。この清水越国道は、「旧」国道ではなく、現在も国道291号線の一部です、建前上は。 しかし、実際には1885年8月に清水峠を越える国道は開通したものの(当時日本に自動車はまだなかったものの、馬車が通れる道として整備された)、わずか2か月で豪雨による土砂崩れ、さらに冬季に雪崩による被害で寸断され、以降復旧されることはなく130年以上が経過しています。建前上は国道の指定を受けているものの、実際は廃道です。(一ノ倉沢展望台までは、観光用の電動バスが走っており、未舗装ですがかなり整備されています) それでも芝倉沢までは一応道の形をしており、歩きやすいのは、登山者やハイカーがかなり入るので、途中までは登山道としてそれなりに整備されているからだと思われます。あくまでも「登山道として」「途中まで」です。途中、芝倉沢を横切るところで寸断されて、そこから先はズタズタのようです。 昨年はその芝倉沢まで行きましたが、今回はその手前で新道に入ってしまいました。 ![]() その新道からの眺めです。寸断されている旧道は谷の中腹を行きますが、新道は谷底です。そして、旧道は廃道ですがかつては馬車道として整備されたので、未舗装とはいえ幅の広い砂利道ですが、新道は登山道です。ただ、清水峠まで行くには、この新道からの方が、寸断されていないので歩きやすいようです。私は、日帰りなので清水峠まではいきませんが。というか、この地点で引き返します。 ![]() 湯檜曽川の源流近くです。 ![]() 人も通らない森の奥に、謎の建物発見!(いや、登山地図にちゃんと記載されているので、じつは素性は分かっているのですが) ![]() JR東日本の建物です。看板はこれだけですが、登山地図には「JR見張小屋」と書いてあります。送電線の管理用と思われます。 ![]() 何の説明も不要でしょう。 マルタ(普通サイズのサンポーニャ)・サンカ(低音サンポーニャ)・ケーナ2本とケナーチョ、それに上にマルタ用の半音管 ![]() 樹間から見えるのは、朝日岳方面でしょうか。 旧道は馬車道なのでうねうねと曲がりますが、谷底の新道はまっすぐなので、じつは所要時間も新道の方が早そうです。 もっとも、復路も一ノ倉沢出会いのところでまた旧道に戻って、そこから下山してしまいましたが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.06.27 22:48:15
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