5652883 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

inti-solのブログ

inti-solのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

カレンダー

日記/記事の投稿

コメント新着

マルダリッグ@ Re:さらばDIO110、そしてPCX160に乗り替えました(04/27) New! どうも、乗り換えおめでとうございます。…
マルダリッグ@ Re:ボリビア・ダンスパーティーで演奏してきました(04/29) New! >トダ・ラ・ビーダ。スペイン語で「人…
nordhausen@ Re:その財源が赤字国債増発だと、難しいと言わざるを得ない(10/09) 昨今では、世論調査でも消費税減税が約2/3…
inti-sol@ Re[1]:干上がってしまった二ノ池(10/28) 通りすがりさん さそうですね、ありがと…
通りすがり@ Re:干上がってしまった二ノ池(10/28) 四ノ池ではなく三ノ池ですね

カテゴリ

2025.03.10
XML
テーマ:ニュース(100733)
カテゴリ:戦争と平和
東京大空襲あす80年 新たな写真公開・経験者が当時を証言
10日、東京大空襲から80年を迎えるのを前に、当時の新たな写真が公開されました。
炎の壁で都民の退路をふさぎ、無差別に行われたB29による爆撃。アメリカ軍の目的は大勢の住民を殺戮し、“戦争継続の意思をそぐことだった”とも言われています。
1665トンにも及ぶ焼夷弾が投下され、9万5000人を超える人が亡くなりました。
被害の全容をつかむため今も調査は続いていて、今年も新たな写真が公開されました。
墨田区の東両国で撮影された、燃える住宅を捉えたものです。
80年前のあの日、眞野和雄さんは両親と姉、4人で墨田区の自宅にいました。
当時14歳 眞野和雄さん(94)
「焼夷弾っていうのはね、落っこちてくる時は『ゴー』っていうんだよ。途中でその音が止まるの。止まるとパカンとタガが外れて、何本か小さいのが落っこちてくる。目の前で落っこちやがってよ、前の家の親父さんがびっくりしちゃって、部屋の前に焼夷弾が落っこちて、真っ暗闇の中、明るくなっちゃって」
当時14歳 眞野和雄さん
「朝になって焼け跡に行ったら、全部燃えちゃって、くすぶっているんだよな。死体が20も30も転んでいるんだよな、焼死体が。最初はびっくりしたけど、人間ってすごい。慣れるとおっかなくない、死体なんか。兵隊さんがトラックに積み重ねていた。それは見えたね、しっかりと」
眞野さんが伝えたいのはとてもシンプルです。“戦争はしないこと”。

---

私の母は敗戦時小学校1年、川崎の生まれです。東京の空襲は焼夷弾でしたが、川崎は日本鋼管の製鉄所があったため、爆弾による空襲で、振動がすさまじかったそうです。母の実家は、空襲の直接の爆撃範囲からは外れていたものの、延焼を食い止める術はなく、結局焼失したそうです。
亡父は学童疎開世帯なので、直接B29による空襲は経験していませんが(疎開先に化学工場があり、P38など戦闘機の機銃掃射に追い回されたそうですが)、疎開している間に実家が空襲で焼失しています。3月10日ではなく、その後の空襲だったらしいですが、路地1本向こう側は焼け残っており、わずか20mかそこらの差で燃えてしまったようです。

戦争末期、米軍の空襲で日本中が焼け野原になりましたが、その中でも広島、長崎の原爆と3月10日の東京大空襲は犠牲者数が10万人前後で群を抜いています。連合軍のドイツ空襲を含めると、ドレスデン空襲とハンブルグ空襲が数万人単位の死者を出していますが。
引用記事に「1665トンにも及ぶ焼夷弾が投下され」とありますが、実のところこの焼夷弾の量は、一連の空襲の中で最多だったわけではありません。3月10日の空襲で飛来したB29は325機ですが、5月24日には470機、25日には525機のB29が来襲していますが、犠牲者数はそれぞれ700人余と3600人ほどです。また、東京大空襲の半分前後の死者を出したドイツのドレスデン空襲の投下爆弾量は3900t、ハンブルグ空襲は9000tとされています。
その差は、ドイツの都市より木造建築の日本の都市の方が燃えやすかったこと、そして、同じ東京での差は、3月10日の空襲で都市が燃え尽きて、その後は燃えるものがあまり残っていなかったことによって生じたのではないかと思います。

核兵器ではないのに核兵器並の被害を出したのは、焼夷弾によって猛烈な火災旋風が起きたためです。1923年の関東大震災でも、両国の本所被服廠跡の狭い空き地で4万人が亡くなっていますが、これも周囲を火に囲まれた挙げ句、避難民が持ち込んだ家財道具に火がついて生じた火災旋風が原因です。
東京大空襲では、アスファルトが燃えたようです。普段意識することはありませんが、アスファルトって、石油製品だから燃えるんです。めちゃくちゃ高温で炙られ続ければ、ですが。しかも、米軍は攻撃地域をぐるっと焼夷弾で囲ってその内側に焼夷弾を落としてますからね。逃げ道をふさがれているので、その内側にいた人は火に取り囲まれて、逃げようがありませんでした。

火災旋風は、1995年阪神淡路大震災でも、東京大空襲ほどの規模ではないですが、起こったと言われています。2016年の暮れに新潟の糸魚川で起きた大火でも起きたと言われます。
そういう意味では、全然過去の話ではないのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025.03.10 07:13:59
コメント(2) | コメントを書く
[戦争と平和] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X