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テーマ:フォルクローレ音楽(103)
カテゴリ:ラテンアメリカ・スペイン・スペイン語
以前の記事で、ボリビアの映画制作集団ウカマウの映画特集上映について紹介しました。
で、私自身も3日間に分けて「女性ゲリラ・ファナの闘い」「地下の民」「30年後」の3本を見てきました。「地下の民」は、1989年制作で、多分以前に見たことがあったと思います。あとの2本は初めて見ました。 このうち、「女性ゲリラ・ファナの闘い-ボリビア独立秘史-」についてご紹介したいと思います。 「女性ゲリラ・ファナの闘い」はファナ・アスルドゥイの闘いを描いた作品です。 彼女の名は、フォルクローレファンなら、アリエル・ラミレス作曲フェリックス・ルナ作詞の「ファナ・アスルドゥイ」によって知っている人が多いと思います。私もそうですが、彼女についての詳しいことは、この映画で初めて知りました。 前述のラミレスの曲は「アルゼンチンの女たち」というアルバムの一曲ですが、何故か「アルゼンチンの女たち」のなかに一人だけボリビア人のファナ・アスルドゥイが入っているのです。これは、彼女はボリビアとアルゼンチン両国の独立に功績があり、アルゼンチンでも英雄とされているからです。 ただ、その生涯は過酷でした。夫のマヌエル・パディージョとともにラテンアメリカの独立戦争に参加したものの、夫は裏切りにあって戦死し、更に戦乱によって、5人の子どものうち4人も幼くして亡くしています。それでも戦いをやめなかった彼女は、独立の英雄として名は遺したものの、後半生は経済的に苦しい生涯だったようです。 映画の中では、独立後の1825年にラテンアメリカ独立の父シモン・ボリバルとスクレ(ボリバルがボリビアの初代大統領、スクレが2代大統領)がチュキサカ(後に、スクレ大統領の名にちなみスクレに改称)に住むファナに会いに来るところから始まります。その際、ファナは一見すると立派な邸宅に住んでいるように見えねのですが、実は「2部屋だけを借りています」という描写がありました。 スクレ大統領が独立に反対したかつての敵に恩赦を与えたことにファナが激しく反発する描写、昨日までスペイン植民地政府支持であった町の有力者たちが風見鶏のごとく独立派に寝返って、ボリバルらにファナの悪口を吹き込もうとする描写があります。 スクレが反独立派を恩赦した歴史的事実があったかどうかは知りませんが、ラテンアメリカの独立は、メキシコにおいて特に著しい※ですが、南米においても、多かれ少なかれ、それまでスペイン側に付いていたクリオージョ(現地生まれの白人)が寝返って独立派に付いた、という大きな流れの下で達成された側面は否定できません。その中には旧体制の守護者だった連中が恥も外聞もなく独立派に寝返ったような例も含まれていたでしょう。 ※メキシコでは、独立派の反乱軍は植民地政府軍に敗北し、独立戦争は完全に頓挫していたのですが、その最中に本国スペインで自由主義革命が起こります。それまでスペイン植民地政府を支持して独立派を弾圧してきた保守勢力が、逆にスペイン本国の自由主義革命が植民地に波及して自分たちの特権を失うことを恐れて、一転して独立派に寝返ったことで、たなぼた式に独立がなりましたが、それは独立派が願ってきた独立とは違ったものだったわけです。 ファナ自身の実家も、夫のパディージョも裕福な農園主でしたが独立後に困窮したのは、独立派が劣勢だった時期に財産がスペイン王党派に奪われたまま、独立後も取り戻せなかったからです。 「独立したと言っても、守旧派に甘い顔をしていたら、いつ揺り戻しがあるか分かったものではない」「でも、守旧派との妥協がなければ独立なんか達成できなかった」「敵は排除したままでは、国の分断は解消できない」相互に矛盾するこれらすべての考え方が、いずれも一面において正しいので、絶対的な解はないんだな、と思います。 映画の冒頭で、大要「史実を踏まえて描いたけれど、資料のないところは想像力で補った」というようなテロップが出ていましたが、正直「いくら何でも想像力を働かせ過ぎでは?」と思うところはありました。 音楽に関係する部分以外は知識が及びませんが、音楽に関わる部分には時代考証的に明らかに変と思われるところは多々ありましたが、それをいちいち挙げていくことはしません。日本の時代劇だって、女優さんが誰もお歯黒をしてといない時点でアウト、ということになるので、あまり突っ込んでも意味はないかなと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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