「はりねずみ」の字形について
★「ハリネズミ」の漢字についての「資料室」での記事は,以下の通り。http://web.archive.org/web/20050219063636/http://www.path.ne.jp/~inukawa/hedgehog/info/%5B03%5D.html#KANJI★「資料室」でも書いたように,ハリネズミを表す漢字は,文献上では以下のとおり,5つまで数えられる。・蝟 (http://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%9D%9F)・猬 [オ胃](手偏ではなく,獣偏。以下同じ。http://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8C%AC)・[豸胃]・彙(http://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BD%99)・[才亢]「彙」から「彚」を分けて考えれば(後述),6つとなる。このうち,唯一読みの系統が異なる[才亢]については用例が少なく,現在も用いられることのない字なので,無視してよいだろう。また,JISコードにない[オ胃]と[豸胃]は,蝟の別体字と見なしてよさそうだ。結局,蝟と彙の2文字だけ知っておけばよいかと思う。「蝟」は,意符「虫」+音符「胃」の形声文字で,虫部に属する。「新漢語林」は,「彙」が書くのにむずかしいので,別体字の「蝟」ができたと説く。「虫」と「胃」,どちらの部位についても,ハリネズミを示す漢字の部位としては奇妙で,解説が必要だろう。まず,「虫」については,昆虫類に限らず,獣・鳥・魚介のいずれにも属さない動物を総称する言葉(部首)であったことが知られている。「爬虫類」のような言葉からもそのことは判るが,「虫」を部首とする文字には,むしろ昆虫以外の生き物の名辞の方が多いくらいである。蜘蛛,蠍,蚯蚓,蜈蚣(むかで。百足とも書く),蛇,蜥蜴,蛙,蟇蛙(ひきがえる。蟾蜍(せんじょ)とも言う),蝮,蛸,蛤(はまぐり),蜆(しじみ),牡蠣(かき),栄螺(さざえ),田螺(たにし),蝸牛,蛞蝓(なめくじ),蝙蝠,蟹,蝦,蝦蛄(しゃこ)……「虫」の形自体が,昆虫等の象形ではなく,蛇,おそらくは蝮(まむし)を象った字形である。そもそも,現在我々が「虫」という形の新字で表している「むし/チュウ」という字は,旧字では「蟲」であり,一方,「虫」の字形は,旧字では「キ」と読まれ,蝮を表す別の文字だった。「キ(虫)」を3つ合わせたのが「蟲」であり,木と森,日と晶,火と炎のように,両者が異なった意味と音を持つ別の字であったことは当然である。ハリネズミが,よく観察すれば明らかに獣の仲間であることが容易に見て取れるにもかかわらず,獣偏の[オ胃]・豸偏(むじなへん)の[豸胃]と並んで虫偏の「蝟」が作られ,結局この字が最も流布している事実は興味深い。確かに,もぞもぞといかにも不器用そうに歩くハリネズミの姿には,素早く動く齧歯類のネズミたちよりも,芋虫や毛虫の類,あるいは爬虫類の方が似ているような気がしなくもない。一方,「胃」は言うまでもなく,にくづき(月)を部首とし,いぶくろ(胃袋)を表す会意文字であった。上の「田」の部分は,旧字では田んぼの田ではなく,「※」を「口」で囲んだような形であり,これは胃の中に入った食物の象形であるという(ちなみに,「石鹸」の「鹸」の左側(鹵,http://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B9%B5)は,「ロ(ろ)」と読んで岩塩を表し,「鹽」(「塩」の旧字体)の源字である。袋に包んだ岩塩の象形であるというが,形の上での違いは,袋の口に当たる上の「卜」の部分が付いているかどうかだけである)。「新漢語林」の「彙」の項によれば,「胃は昆に通じ,むらがるの意」であるという。しかし,「昆」と「胃」では読みも違えば意味にも通じるところが少なく,部位もまったく一致しない。同書によれば,「昆」は「足の多い虫の象形」なのだ。無理があると思う。以下,「資料室」の記事から引く(一部改変)。-(ここから)----------------------右側の「胃」という部首、これが胃袋であることは言うまでもありませんが、これをさらに細かく見てみると、下半分は肉の形をかたどった“にくづき”、上の「田」は、穀物、つまり“米”が詰まって、まん丸くパンパンにふくらんだ胃袋の形だそうです。中国人にとって「胃」のイメージは、“まん丸い”袋だったんですね。それで、丸くなる動物、ハリネズミにも、この字を当てた。これは、藤堂明保『漢字の話 上』(朝日選書 309、1986.07.)に見える説です。さらに藤堂さんは、「胃は囲と全く同系のことば」としています。面白いとは思うけど、これには異論もありそう。一方、白川静さんは、『字通』(平凡社、1996.10.)の中で、簡単に「胃に蝟集の意がある」と片付けてるいます。でも、これは、もうちょっとちゃんと説明してほしいところ。山田勝美・進藤秀幸『漢字字源辞典』(角川書店、1995.07.)の「胃」の項では、「この音は、胃が食物を委積(いし:詰め込む)するところからきている」としています。勝手に想像すれば、つまり「胃」の声系の字は、すべて胃袋の中で食物がぎゅっと凝縮されるようなイメージを共有しているということでしょうか。それなら、「胃」の音(歴史的かなづかいでは「ゐ (wi)」、現代中国語の読みではウェイ)は、「ぎゅっ」という感じのオノマトペだったのかな? -(ここまで)----------------------確かに「囲」の音は「ヰ(ゐ)」,中国語では「ウェイ」なので,「胃」と「囲」が同系統というのはありそうな話だが,ただ,現代中国語では両者の抑揚(四声)が異なるのが,引っかかると言えば引っかかる(後述)。ちなみに,「囲」の旧字は「圍」,「偉」の旁を「口」で囲んだ形。新字の「囲」は,音読みではなく訓読みで「ゐ」と読む「井」を採用したもので(音読みは「セイ」),かなり乱暴な国字的略字ではあるが,おそらく半ばは「圍」の略記という意識で作られたものだろう。ここでまとめておく。ウィクショナリーによれば,中国語では,「猬」は簡体字,「蝟」は繁体字で,それぞれの字の普通話(ピンイン)/広東話(イェール式)での読みは,それぞれ以下のとおり。・蝟:wèi (wei4)/wai6・猬 [オ胃]:hè (he4), wèi (wei4), xié (xie2)/wai6・彙:huì (hui4)/wai6, wui6・胃:wèi (wei4), dá (da2), tán (tan2), tǎn (tan3)/wai6・圍:huán (huan2), wéi (wei2)/wai4・围(圍の簡体字):wéi (wei2)/wai4同じ声符を持ち(圍・围は違うが),元は同じ音であったはずのものの読みに,異同があるのが面白い。時間の流れとともに分化したものだろうが,それを考えても,やはり蝟・彙・胃と囲・圍・围は,元から別のグループなのではないかという印象を受ける。一方,「彙」という文字には,厳密には2形がある。上部が「彑(「互」の1画目が欠けたような形)」のもの(彙)と,「彐(けいがしら。「緑」の右上のように,「ヨ」の第3画が右に突き抜けたような形。なお,ウィクショナリーによれば,「ヨ」と書いてもよいという)」のもの(彚)だ。JIS では前者が表示されるが,同字と見てよいだろう。ウィクショナリーによれば,戦前はもっぱら後者で書かれていたのに,どういうわけか現代のフォントは,いわゆる康煕字典体に準じた前者になってしまっているという。「新漢語林」によれば,この字は「彖(彑+豕,タン)」に「胃」(の旧字)が加わった形成文字であり,前者は毛の長い獣の象形,後者は前述のように,昆に通じ,むらがるの意で,合わせて,毛が密生しているはりねずみの意味を表す,という。ハリネズミについては,「毛が密生」ではなく,「針が密生」と言ってほしいところだが。この字についても,漢和辞典によって採用している説が少しずつ異なる。ウィクショナリーで紹介されている藤堂明保の説によれば,「会意形声。「彑」(彖(ぶた)の略体)+音符「胃」。「胃」は丸くまとまったものの意」とのことだが,豚は「豕」であって,「彖」には「彑」が付いている分,もう少し細かい意味があると考えるべきでは,と思う。とはいえ,hedge-"hog" の漢字に「豕」が含まれるのは確かで,面白いことではある。