柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』を読んだ
意外に多いギリシャ、ローマ出典。古今東西、変わらぬ普遍性に重点。 ギリシア、ローマの古典から337句の名言を集め、簡単な解説文と編者の感想を付け加えた本です。 「ギリシア、ローマ」とありますが、圧倒的にローマからのものが多いですね。あとがきにありましたが、『オックスフォード引用句辞典』でもそうらしいです。しかも、『オックスフォード引用句辞典』では、ローマの古典引用句の内、ホラティウスから取られたものが半数を占めるとの事。本書でも多くの句がホラティウスから取られています。 日本人にだってホラティウス、実はお馴染みなんです。「大山鳴動して鼠一匹」も実はホラティウスが出典(支那の泰山とは関係ないよ)。ホラティウス、凄いですね。出鱈目な名文紛いをその場で捏造しても「出典はホラティウス」と言えば、ばれないかもしれません。 本書では現代の日本人でも成る程と頷けるような句が多く集録されています。所謂カルチャーショックを受けるような要素があまり無いのが残念ですが、超短文ばかりが詰まった本ですので、少し空いた時間に読むにはピッタリの本です。 では気になった文を幾つか。 ギリシア編。(p11)「われわれは祭りのあとに来たというわけか」(諺) プラトン『ゴルギアス』にも出ているらしい。まさか日本の諺「後の祭り」の源はギリシャ?(p20)「ブレケケケックス、コアックス、コアックス」(アリストパネス『蛙』) 蛙の鳴き声だって。柳沼先生~、これ「名言」なんですか(^O^)。 良いですよ、この本。時々訳が判らない文が入っているんです。私もどっかで使ってみよう「かの偉大なギリシャの喜劇作者、アリストパネスも言っている。ブレケケケックス、コアックス、コアックス」。(p35)「ころがる石に苔は生えない」(諺) これはギリシャの諺でしたか。柳沼先生は「一箇所に腰を落ち着けて頑張らなければ、富は身につかない」と教わったそうです(今は苔は汚い物として、「活発な人は錆付かない」という解釈が主流なのかな)。(p45)「賽を投げろ」(プルタルコス『ポンペイウス伝』) 驚き。「賽は投げられた」ではなくて「賽を投げろ」だったんだ。ギリシャ語からラテン語(iacta alea esto)に訳され、そのラテン語訳を誰かが写す際に末尾の「o」を書き忘れたらしい(エラスムスの説)。 でも「賽を投げろ」より「賽は投げられた」の方がかっこいいよね。誰かがミスをしたお陰で、反って日本人ですら良く知っている名文句になってしまったという事らしい。(p37)「酒に真実あり」(諺) 酔っ払った時には本当の事を言うの意。そうとも限らないと思う。(p42)「人生は短く、技術は長い」(伝ヒッポクラテス) 「人生は短く、芸術は長い」は本当は誤り。ヒッポクラテスだから「医者の一生は短いが、医術の生命は長い」が本来の意味。ギリシャ語→ラテン語→英語→日本語の三段階訳で、最後の英語の「ART」を「技術」と訳さず「芸術」と誤訳。 ローマ編。(p95)「分別の心に、わずかな愚かしさを交ぜよ。時をえて理性を失うのは、いいものだ。(misce stultitiam consiliis brevem:dulce est desipere in loco.)」(ホラティウス『詩集』) ウム。 (p111)「健全な精神が健全な身体に宿りますようにと祈るべきである」(ユウェナリス『諷刺詩』) 普通は宿らないからこそ、宿るように祈れと言っている訳ですね。(p113)「こういう曖昧なもの(恋)を理屈できっぱりさせようなんてぇのは、理づめで気違いになろうてなもんですよ(incerta haec si tu postulas ratione certa facere,nihilo plus agas, quam si des operam ut cum ratione insanies)」(テレンティウス『宦官』) 「理詰めで気違いになる」というフレーズは面白いですね。 (p115)「女たちはいつも、今はいない恋人へと心が傾斜していく。長い間たっぷり一緒だと、熱心な男の言い寄りも、色あせてしまうのだ。」(プロペルティウス『エレゲイア』) ウム。(p122)「飲む理由はたくさんある(multae sunt causae bibendi)」(諺) おぉ、これも「名言」(^O^)。わざわざ載っているのも変ですが。(p133)「清廉潔白は称賛され、そして寒さに凍える(probitas laudatur,et alget)」(ユウェナリス『風刺詩』) これは正しく名言。(p136)「山々が陣痛を起こして、あほな鼠が生まれるんだろう(parturient montes, nascetur ridiculus mus)」(ホラティウス『詩論』) これが先に書いた「大山鳴動して鼠一匹」の元。(p150)「二兎追う者は一兎をも得ず(lepores duos qui insequitur, is neutrum capit)」(プブリリウス・シュルス『金言集』) これも、出所はローマ。知らなかった。どういう経緯で日本に入ってきたかは不明との事。(p151)「いや、わしも人間ですからな。人間にかかわることなら何でも、わしにとって無縁とは思えんのですよ(homo sum;humani nihil a me alienum puto)」(テレンティウス『自虐者』) 元々は何にでも首を突っ込むおせっかい屋の老人の台詞らしいのですが、これだけ抜書きすると、「名言」に聞こえます。(p167)「余は汝がいずれなるであろうところのものにして、かつては、汝が今かくあるところのものなりき。(Sum quod eris,fui quod sis.)」(作者不詳の墓碑銘) 上手い事言いますね。(p168)「どんな本でも、読むときは必ず抜き書きをした。どこも役に立たないほどだめな本などないからな、とよく言っていた。」(小プリニウス『書簡集』) 小プリニウスが大プリニウスの勉強法について述べたもの。頭が下がります。大プリニウスはローマの海軍提督にして大学者。『博物誌』全37巻の著者。ヴェスヴィオ火山爆発の科学的調査を試みてガスでお亡くなりになった方です(「火山ガスで」って所が珍しいね)。小プリニウスは大プリニウスの甥で養子。法律家で政治家。彼の書簡は最初から公開を予期して書かれたそうで、文学的価値が高いそうです。