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水俣病患者の青春を赤裸々に。“時代”臭に難。
水俣病の若い患者達の苦悩と自立の悦びを極めて赤裸々に描いたルポルタージュ(「赤裸々」とは猥談的と考えて良いです。“若い”患者さんですからね)。63年に大宅壮一ノンフィクション賞受賞(ジブリでアニメ化される・・・・という話は全くありません。題名だけは『ゲド戦記』の明らかにパロディーなのに、「あとがき」でも「解説」でも一言も触れられていません。別にいいけどね)。 公害及び公害が引き起こした惨禍を描いた他の本(石牟礼道子『苦海浄土』等)と大きく違う特色は、この猥雑な、それゆえリアルな人々の姿が描かれている点です(この本の著者は『苦海浄土』に否定的なようですが、私は「公害病患者」の「公害」にウエイトを置くか、「患者」にウエイトを置くかの違いだと考えています)。著者自身が若い患者さんの若集宿を主宰して、八年間寝食を共にして書かれたルポルタージュです(この点が『苦界浄土』と根本的な方向性において違う)。 「公害を告発する書」というより、「“差別”を告発する本」といった方がよいでしょう。本書には想像を絶する患者達の“孤立”について記されています。 水俣にはかつて「道」が二種類あった。 地図に載っている、いわゆる「道」と「患者の道」。 水俣病発生当初、この病は「奇病」「伝染病」と偏見の目で見られ、患者やその家族はわざわざ人目につかない、草道、廃道等、いわゆる「道」とは呼べない道を利用していたというのです。そうした道が細々と、そして延々と繋ぎ合わされ、村から村そして避病院や伝染病棟まで延びていたというのです。 “暗示”的な話ですね。 患者さんが、買い物をする時も、お釣りは火箸で摘まんで渡されたそうです。 たとえ「伝染性の病気だ」と当初されていたとしても酷い話です。 「村八分」。 (今はある意味、日本中が“都会”となってしまいました。つまり人間関係の変化といった事ですね。 それ故、しばしば“村”が憧れの対象として“語られ”たりします(「癒し」って奴ですかぁ)。 がそれは一面的、皮相な見方ではないでしょうか。“村”は村なりに嫌な所だったんじゃないか。(『砂の器』の世界ね)。だからこそ、皆、“村”を“都会”に変えていったんじゃないのか。 「村八分」的暗黒面。 それを踏まえた上で「“都会”の人間の非情さ」を論じないと、「“都会”の人間の“村”八分恐怖症から来る不自由さ」という泣くに泣けない、どうしようもなく情けない、醜い世界が到来しちゃうんじゃないですかね。) 本書に依ると、水俣病患者の孤立は凄まじいものがありました。ことに低所得者層に患者が多かった事も悲惨さに拍車をかけました(貧しさから来る栄養障害説まであったようです)。 いじめられ、友人も出来ず、一日中、海岸の小岩の上で、ボンヤリと海を眺めるだけの12歳のメチル水銀に侵された患者。 鬼気迫るものがあります。 p33「患者がいつまでも下の下であって欲しいと願ったのは、チッソより何よりも、一番身近に朝晩声掛け合っていた部落ン衆じゃあなかったか(一患者の談)」 こうした中で、若い患者は将来の人生設計や異性問題(つーか、「×××して~」って話)について悩む訳です。 この辺り、妙な話、彼らの、決して「前向き」の姿勢ばかりでもなく、また決して計画的でも、健全でもない姿に(正直、馬鹿っぽい。若者特有の馬鹿っぽさね(^O^)、反って“普遍的”な人間像が見出されます(本当は「水俣病患者」特有の苦悩を描きたかったのだろうが)。(この辺り一々紹介しません。大抵の人は想像付くでしょ)。 この馬鹿っぽさが本書に“明るい”色彩を与えており、救いが感じられます。 また、患者の語り口は方言のままで収録されており、これも虚飾のない庶民像を表すのに効果をあげています(その分、一寸読み辛い)。 ちなみにこの“下世話”な馬鹿っぽさが発表当初、「“神聖”なる水俣病患者“像”に誤ったイメージを植えつける」として社会的非難を浴び、7年間単行本化できなかったそうです。 ただ、本書は読むべき価値のある本でありながら、今後読まれる事は少ないのではないでしょうか。 “時代”臭が強すぎるのです(70年代)。 語調、論調、全て、悪い意味での“サヨク”ノリ。 なにやら、新宿辺りの安飲み屋で、ワケの判らんサヨク(全共闘)ジジイに捕まって、悲憤慷慨(火炎瓶の作り方をえらそうに喋ったりする。勿論、実は自慢話したいだけ)話に付き合わされたような、そんな感じであります。 内容の信憑性(客観性、正確さ)に疑問が感じられます。表現にサヨク特有のオーバーさが感じられるのです。“脚色”などもあるのでしょうか。 “公害”問題に限らずですが、大きな“思想”の“軸”が消滅(ソビエト崩壊が象徴的)した後、あらゆるサヨク的運動は「左翼こけたら皆こけた」的状況のようです。 社会的な“運動”の独善性、欺瞞性が暴かれるのは良い事ですが、(「“弱者”サマ」ではなく)救われるべき“弱者”がこの世界にいなくなった訳ではない筈です(実際、水俣病問題も未だに全て解決した訳ではないのです)。 本書が、著者の“サヨク”臭によって“記録”としての側面が忘れ去られるとしたら残念な事です。 本書の最も美しく感動的な箇所(p194~207)。 不思議にも、それは散文的に書かれた、若い胎児性水俣病患者の娘さんの「料理教室」の記録でした。 単にサンドイッチやみそ汁を作ったという記録だけなんですけどね(この女性の手足が不自由である事は念頭に置く事)。 “生活”する事という事の“凄さ(辛い事であると同時に美しい事でもある)”が、良く表れています(本来は“健常者”の“生活”だって同じ事なんですが)。 p195「5月14日サンドイッチ」 *「サンドイッチつくってみたい」という・・・・晶の希望。 *「○○さん、△△、□□□にも・・・」ごちそうしたい人、十人近い名をあげる。 *薄くスライスした食パン三きんも。 *パンの真中だけ、こんもりマーガリンの山、はしはしまで均一にぬれず。 *ぎっちょの私(支援主婦、西沢さん)のとおりにいきなり左手に包丁を持って、きゅうり切りだす。あわてて、右手に持ちかえさす。 けど・・・晶の右手左手の機能・力にあまり差はないのでは・・・と、ぎくしゃく動く右手を見て思う。 (略) *三時間近くかけて、でき上がったたくさんのサンドイッチ、ふろしきに包み、うれしそうにたくさんの人びとにごちそうして歩く。 おいしいおいしいとみんなから好評。 p197「5月16日<めし作り初日>」 (略) 6.野菜を切る。 *晶、ほうちょうは、いちばんおとろしそう。 人差指を突き出し、柄のはじっこの方を握る。手くびがフラフラしてて、刃の角度が定まらず、介添えして、たまねぎに刃を真直ぐあてがわす。片手の手のひらをほうちょうの背に押し付けて力いっぱい・・・・たまねぎ切りつける。 7.ぐらぐらしている、なべのふたをおそるおそる取る。 (こうした文章が淡淡と続きます。手の不自由な状況や真剣に料理に向き合っている姿や「誰かの為に役に立っている」と感じる事の幸福感が伝わってきます) (この本はチョット要約しづらいや(^^:ゞ) おまけ。 水俣病に限らず、公害の発生、再発を“現実的”に防いでいるのは何者なのか。 所謂、“支援者”でありましょうか(本書においても、“支援者”同志の政治的派閥争いが様々書かれている。協議会系、被害者の会(共産党)系、一任派系、中間派系、保守系etc)。 彼らがその後何かをしたという話は少なくとも本書では書かれていません。 “政治”的に“オイシイ”と、己の団体の組織拡充の為に群がってくる浅ましい姿しか浮かび上がってこないのです。 公害発生、再発防止に向けて“現実的”努力をしたのは、誠実な法吏、科学者、技術者ではないでしょうか。 常に公害の“物語”が“政治”運動史としてのみ語られているのは、“奇怪”な事です。 下下戦記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月17日 06時31分02秒
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