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『犬の鼻先におなら』

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2007年08月20日
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(その一からお読みください)

 で、ちゃんと池田女史は“指導”するんですね。この人は真の意味で立派な“教師”だったと思います(ソクラテスみたいですね)例えば陸田氏の「死を恐れる事の無意味さへの考察」に関して以下のように。
 p113池田「考えそれ自体として、あなたは間違えています。(略)もしも、この{陸田氏の}文章を匿名のものとして渡されて、そこに述べられている考えのみを読み取ったなら、全くその通りだ、と(略)私は同意した事でしょう。ところが、これを『陸田真志』が書いたものとして読むと、『これは、違う』ということになるのです。どうしてだと思いますか。存在するものは存在だけで、無は存在しない。したがって死も存在しない。存在しないものは恐れるべきではない。(略)なんていうのはごく普通の(と、あえて言いますが)『存在論』なんであって、、考える限りの人間が必ず行き当たることになる思考の限界、または思索の開けであって、これをのみ語るのなら、とくに陸田真志でなくても、かまわないのです。(略)」「まさしく、あなたも言っていましたね、『今、現在の私の生死なぞどうでもいい』と。そして、これが、語るに落ちたところなのです。あなたが自分の生死なぞどうでもよくても、あなたに殺された人の生死については、どうなのですか。」「他の人ならまだしも、殺人者としてのあなたが、『自分の』思索の世界に入り込むことは、許されません。死は存在しないと思うのはその人の勝手ですが、それなら、他人の死も存在しないのだから殺してもいい、という理屈になるからです。殺されたほうにとっての死とは何か、あなたはどう考えていますか。」 

 p116池田「他の誰かではない『陸田真志』の立場での、思索の深化をはかること。」
 そう、正にこれが、“考える”という事ですね。

 池田女史はそこで、殺人という特異な行為に関して考察するよう示唆します。
 p192池田「私は思うのですが、『心の中で』人を殺している人は、世の中にはけっこう多い。(略)けれども、そう思っても『現実に』人を殺す人はきわめて少ない。これはなぜかと考えると、必ずしも明確に倫理的な自覚があるわけではなくて、『観念』と『行為』の間には、決定的な断絶がある、そこに無自覚に躓いているからではないのか。」
 p194池田「{殺人のみならず}できることができることになるのは、できないことができることになる『瞬間』があるからです。観念が行為になる瞬間です。人はそこを、意識せず日々飛び越えているけれど、本当はここには、恐るべき深遠があるのです。」
 これを受けて。
 p214陸田「私も『殺す』という観念を持っていたにせよ、やはり理性による抑制はどうしてもなくなりませんでした。『出来ない』という躊躇がそれだったのですが、(略)その『躊躇』を、自分が小さい頃から超えるべきと思っていた弱さと考えていたのですが、事実は全く逆で、その躊躇こそが自己の本質(理性)であり、それによって『相手に勝ちたい、負けたくない』という羨望や嫉妬、見栄といった欲望、つまりは本当の自分の弱さに勝たなければならなかったのです。私が戦うべき、そして勝つべき相手とは、他でもない自分自身の不必要な欲望だったのです。本当の強さとは、誰かを相手に勝つ事ではなく(古い言い方ですが)自分に勝つ事だったのです。結局、私は誰かに勝ったつもりで、自分にはその生き方において負け続けていたのです。なんとも情けない話です。」
 p215陸田「『やりたい事が出来ない』というその心の動きにこそ、私は正直であるべきでした。」

 私は時々、「人は、十分に“弱い”自分になるべきだ」などという言い方をしたりします。「出来ない」ないという“躊躇”に“負け”ちゃう自分ですね(*^-^*) 。


 p205陸田「『金銭目的で人を殺した』という事がすぐ納得できる人間は、以前の私と同じく、その全的目標の為なら人間は殺人でも何でも出来る、つまり自分もそう思うと考えている訳で、これは大変危険な思い違いです。」
 言われてみれば確かにその通り。“納得”しちゃイカンです。


 p116池田「『気づく』ということはじつは易しく、それを『保つ』もしくは『為す』ことのほうがよほど難しいのだ(略)『わかった』そのこと、絶対としてのその質を、この相対界、この人生において生きること、生き通すことの、いかに困難であることか。」

 
 締め。
 p222池田「理性とは、別名『言語』です。『ロゴス』は本来、ふたつの意味を持っています。あなたはこれまで『理性』の語を、『事柄を判別する反省的意識』の意で用いてきましたが、事柄が事柄になるためには、先にそれが言語によって定立されているのでなければなりません。とにかくまず事柄を、言語によって『語り出す』ことなしには、じつはそれを判別することもできないわけです。」
 p223池田「『歴史』が断絶しているのに対して、『物語』が反復され得るのは、言うまでもなく、それが言語によって語られたものだからです。『陸田真志の物語』は、たぶん、誰もがどこかで聞いた覚えがあるような、そういうものになるような気なします。」

 p227池田「{読者へ}ひとりの人間の、『考える』という行為の可能性を、共に信じていただけるなら、嬉しい。」



 この本は大変な良書である。この事は間違いないです。にも拘らず、“違和感”が残ります。
 二人とも凄い“主知主義”者なのだ(^O^;)。



 おまけ。
 所謂従軍慰安婦について。
 p48陸田「『辛かった』とか言っている韓国人のバーサン{注、所謂従軍慰安婦}たちも、『死ぬ程の恥』と自分が考える事をされる時に、死んでもその誇りを守らなかった自責の念を(誰かにそうしろと唆されたのか知りませんが)今は関係ない他人や何かに怒る事で紛らわしているようにしか私には思えないのです。それでとどのつまりは『金払え』なんですから、そりゃ自分の正義や誇りが金に替えられると叫んでいるのと変わらん、すごく恥ずかしい行為だと、私には思えるのです。」ただでさえ、サヨク的には「死刑廃止運動にNOという死刑囚の本」である為に、隠蔽したいのに、さらにこういう事が書かれてあると、ねぇ(^O^)。

 子供へのディベート教育について。
 p148陸田「ここ何年か雑誌、TVなどで『日本人は意見をはっきり言わない』という、あの言論人お得意のフレーズが叫ばれだしまして、なにやら『意見をはっきり言う』事や『自分の意見を通す』事が、もうそれだけで美徳で、日本人皆が目指すべき目標であるかのようになった感じを私は受けるのですが、いつも思うの、『では、その人が言わんとする意見は本当に正しいのか?』という事なのです。対立する討論にしても、『その対立させている意見のどちらも正しくなかったらどうするのか?』という事なのです。ディベートの優劣よりも、『正しさ』を独りで考える方が先ではないのか、その考えが真実正しければ、どんな論駁の技術がなくても、その『正しさ』において相手を説得できるはずではないか、それが普遍の、真の『正しさ』の、つまりは『言論』の力ではないか」

 刑務所での待遇。
 p216陸田「何故か看守という仕事はイメージが悪く、多分懲役出身の三下作家や死刑廃止論者、人権派とかのせいなのか、大抵『囚人=弱者、看守=悪人』という構図がありますが、全然そんな事はないのです。ほとんどの場合、囚人どもの(それが犯罪の原因になった)本当に『ガキじゃねえか』という位の自己中心性が悪いのです。」






最終更新日  2007年08月20日 07時24分02秒
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