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『犬の鼻先におなら』

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2007年11月05日
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ムンクに見る、「恋愛」と言う名の苦悩。

 上野の国立西洋美術館で開催中の「ムンク展」を観に行きました(08年1月6日まで開催)。

 ムンクの展覧会は何度となく日本で開催されていますが、今回は「フリーズ」という装飾形式に注目して展示しています。

 「フリーズ」とは古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分の事です。実はムンクの重要な作品はフリーズとして飾られる事をムンクにより意図されていました。つまり、個々の作品を独立した物として鑑賞するのではなく、一連の連作として鑑賞すべきだ、という事なんですね。このフリーズにおける連作を、ムンク自ら「生命のフリーズ」と呼んでいます。
 今回の展覧会はこの「生命のフリーズ」に加えて、マックス・リンデ邸やオスロ大学講堂、フレア・チョコレート工場、オスロ市庁舎といった場所に飾られた連作も展示されています。

 では、気になった作品について。

 「吸血鬼」
 俯いた男性に口を寄せる赤毛の女性。男性に被さった髪が、血が流れている様を連想させます。
 といっても、この「吸血鬼」という題名、ムンクがつけたんじゃないのでした。ムンク自身は「吸血鬼」という題名に難を示し「あれは単にキスしてるだけ」と述べています。

 「灰」
 「灰」という訳はあまり適切ではないような気がしますね。
 「Ashes」とashの複数形になっています。ashは単純に「灰」ですが、これが複数形になると「遺灰」という意味にもなるのです。欧米人なら「ashes to ashes(土より出でしものは土に帰る=死ぬ)」の文句が思い浮かぶ筈です。
 つまり、ムンクの“死”のイメージが投影された作品なんですね。
 これを「灰」と訳したんでは一寸普通の人には判らない。

 「メランコリー・ラウラ」
 鬱病に苦しんでいた妹をムンクが描いたもの。強張った眼の虚ろな表情が印象的な作品。
 部屋の風景全体が白々としていて、空虚感が現れています。
 明度はあるけど、弱い。そんな感じの色使い。
 北欧の日差しなんでしょうか。

 ムンクの筆遣いはニュルニュル感がありますね。サクサク、カリカリした感じがまるでない。
 まるでなめくじ(もとい、蝸牛にしときます)が這ったようです。
 このタッチが、独特の陰鬱感が生み出されている、要因の一つなんじゃないでしょうか。

 「橋の上の女性たち」
 橋の上に立っている4人の女性は尼さんでしょうか(同一の制服を着ている。もっとも黄色い帽子は妙ですが)。
 白い服に黄色い帽子の四人の女性。なんだか光滲を起こしているようです。そんな明るさ。
 構図はお馴染みのもの。橋、橋の上の人物群、そして下部に一人の人物の頭部だけが見える。

 「不安」
 「絶望」
 「叫び」を含めて、この三作品は有名ですね(有名過ぎて、「叫び」なんか、もうほとんど今ではギャグ扱い(T-T)。
 この三作品は三枚横並びに飾られるよう企画されていました(今回、「叫び」のオリジナルは展示されていません)。
 三枚とも同じ場所を同じ方向から描いた作品である事は一目瞭然。当に連作ですね(これを、「叫」んで→「不安」を感じて→「絶望」した、なんて、判りやすく書くとギャグだね)。
 まるで人形か機械のような群集が印象的です。
 自己も他人も、自己を取り囲む自然も、確かな存在感が感じられず、自己との生き生きとした“連帯”感が感じられないような世界。有情感の喪失。
 恐らくこの二作品の成立要因を、ムンク個人の精神的気質にのみ求めるのは間違いでしょうね。
 この二作品の制作年は1893~94年。当に(19)世紀末。20世紀“大衆社会”の予感のようなものがあったのではないでしょうか。

 「赤と白」
 白いドレスの女性の肩辺りが良い。目を射すくめるような白さ。
 ムンクは何故か「白」を使っている箇所だけ、ニュルニュル筆遣いが感じられないですね。ガッと打ち込んでいる筆遣い。

 「女性、スフィンクス」
 三人の女性が描かれている有名な作品ですね。左より、若い女性、成熟した女性、老いた女性の三相を描いたものと言われています。
 で、やっぱり左端の女性の、白いドレスの「白」が良い(^-^) 。

 なにかムンク氏、「白」だけは気合を入れているような。
 白の絵の具だけ、筆を打ち込んだ箇所、絵の具が盛り上がっている絵が多いです。

 「生命のダンス」
 この主題、構図も繰り返し表れるもの。
 「生命のダンス」という題名と裏腹に皆さん顔色がやたらと悪いです(これじゃゾンビだよ)。

 「ゴルゴダ」
 キリスト磔刑の図です。
 イエスさん、顔が完全にシンボライズされております。(∵)←こんな顔です(^O^)。
 ローマ兵とパリサイ人、「グヘェ」といやらしく笑っております。マンガみたいです。しりあがり寿氏の影響が見受けられます(嘘)。

 「屍臭」
 ベッドに横たわる人物。部屋に入らんとする人々、鼻を押さえております。
 題名、そのまんま。「屍臭」ですよ。不味いんじゃないでしょうか、そのまんまは(^o^; 。
 ブラックユーモアなのでしょうか。

 「嫉妬、庭園にて」
 ムンクの実体験を基に描かれた作品。ムンク氏は人妻と浮気をしていたのでした。
 同一のテーマで何作も描かれていますが、初期の「見りゃ、誰がモデルかズバリわかっちゃうだろう、不味いでしょ」的描写から、段々にムンクは離れていき、本作品のように人間に“普遍”的な感情の描写へと移っていきました。

 ムンクにとって“恋愛”とは、決して無条件に肯定すべき、喜び一辺倒のものではなかったのです(と言うより、あんのか、そんな恋愛)。
 実際ムンクは何人もの女性と恋愛関係に陥りながらも、全てバッドエンド。生涯独身。ある女性とは、銃を撃ったんだか撃たれたんだかして、自分の左手中指を吹っ飛ばしております。

 ただ、かえってだからこそ、“恋愛”の本質に迫っているのでしょうね(断るまでもありませんが、“恋愛”は普遍的な“人類愛”とも“同胞愛”とも無関係です。また「楽しく異性と遊ぶ事」とも全然違います)。
 実際、ムンクの絵に表れる女性像(と、その背後にあるエロス」)は常にタナトス(死)の影と表裏一体なのです。

 ムンクの絵は描かれた女性の髪の毛に注目。男性に覆い被さっている、絡み付いているものが多い。
 エロスは甘美で魅力的であるであると同時に、当にそうだからこそ、自由な“魂”を束縛する不気味な存在でもあります。

 「星月夜1」
 ムンクにしては静謐な、苦悩を感じさせない作品。
 北欧はノルウェーの空だ(見た事ないけどね)。夜空の濃い青色が気持ち良い。

 「公園で愛を交わす男女」
 本来は裕福なお医者さん、マックス・リンデさんのお宅を飾ったであろうシリーズの一作。子供部屋に飾る絵を注文されたのです。
 でも、描いた作品の一つがこれ、「公園で愛を交わす男女」。子供部屋に「愛を交わし」ちゃってる(キス)男女の絵はどうなんでしょうか。
 で、一連の作品は突っ返されてしまったのでした(そもそも、あのムンクに子供部屋用の絵を頼むというのも、変ちゃ変なんでは)。

 この絵、黒い服の男と白い服の女が数組、抱き合ってキスをしているのですが、右から左に行くに従って、両者は輪郭を崩し、一番左では完全に黒白、ぼた餅とお餅のくっ付き合い状態(^O^)。
 また画面下部、頭部だけ描かれている少女、何故か本物の新聞紙?が顔にくっ付いています。
 これはムンクが生乾きの状態で絵を新聞紙で包んでしまったからか('_'?)。
 まさか、コラージュって事はないよな。あれ、ブラックとかピカソだろ。
 まさか、この作品からヒントを得て、なんてね。

 「公園の夏」
 緑の色が美味しそうではない。「不味そうなほうれん草の御浸し」の色。
 ほうれん草の御浸しは好きなんですけどね。
 
 「浜辺の木々」
 これはムンクにしては晴々とした開放感が感じられる作品。海が広々としてすがすがしい。
 上部、広がっている海、右手より日が射しています。夏の日。北欧だから暑苦しくない。

 以上、「公園で愛を交わす男女」「公園の夏」「浜辺の木々」の三作品、距離を取って観た方が気持ちいいですよ。
 ぎりぎりまで距離を取って観てみてください。
 また、メガネをかけている方はメガネを取ったり、そうでない方は片目をつぶって見たりしてみてください。
 ベタッとした筆遣いにもかかわらず、立体感が感じられる筈です。
 
 「浜辺の若者たち」
 題名から予想されるものと裏腹に、孤独を強く感じさせる作品。

 「歴史」
 オスロ大学講堂の壁画。老人と幼い子供の絵。孫にその祖父が何か語りかけている、そんな情景でしょう。
 題名「歴史」から、ムンクの言わんとする事は明らかですね。

 「雪の中の労働者」
 「疾駆する馬」
 二作品ともオスロ市庁舎のための壁画。
 全面一面の「白色」(二作品とも雪景色だから当たり前だけどね)。
 このオスロ市庁舎に飾られた「労働者シリーズ」、あの「叫び」のムンクのムンクらしさが微塵も感じられません。「額に汗して働く、我々は労~働~者ぁ~!」という絵です。労働者の群れが力強くシャベルで除雪作業を行っております
 「疾駆する馬」なんて凄いですよ。馬の表情が凄い。散歩に行きたくてしょうがない犬が、リードをグイグイ引っ張ってる時の表情のような、走りたくて堪らない顔をしています(馬の表情を犬のそれに例えてどうすんだ)。
 この「疾駆する馬」、絶対離れて観てください。離れて観た方が迫力が感じられますよ。

 あの「叫び」のムンク氏の絵で、です。どうしたんでしょうか。
 実はムンク氏、アルコール依存症だったんです。その治療が終わったのが1909年。これら二作品の制作年は1910年。

 「雪景色」って言うところが興味深いですね。
 ムンク氏の心の原風景は雪景色だったんでしょうか。
 北欧のノルウェーの人らしいですね。

 だから、「白」の絵の具を、元気一杯、成長する若い女性を表す時に使い、「白」絵の具の時だけはグッと筆の打ち込みに気合が入っていた。
 というのは私の勝手な空想ですf(^_^)。
 
 オスロ市庁舎を飾る壁画で、かつテーマが「労働者」という符合も面白いですね。
 彼は結局、個人的な、「愛」と「生」「死」の苦悩の果て、それを超克する形としての“NATION”に辿り着いたのでしょうか。
 「愛(=生殖)」を挟んで、個々人の「生」と「死」。
 偏狭な個人(エゴ)から観れば乗り越え難い不条理であるこれらも、大きな「生命と“魂”の連鎖(“NATION”)」から見れば受け入れられる、ごく“自然”なものとして捉える事が可能なのではないでしょうか。
 
 ムンクはデンマークでの治療の後、故郷ノルウェーに帰ってからは、絵が少し明るくなるんですよ。


 (でも結局、自分の部屋に飾りたい絵はなかったなぁ(^-^)。北欧料理を特に食べたいとは思わない(第一、どんなんだ)のと、何か通底するものがあるのかも知らん。)





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最終更新日  2007年11月05日 06時16分04秒
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