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『犬の鼻先におなら』

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2008年02月03日
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共に食して共に病む。日中庶民、友好の証。瓢箪から「統合の学」。

 案の定、有耶無耶になりそうですね。マスコミ様も誤誘導、じゃなかった、我々愚民を“正しい”方向に指導なさるのに必死の努力をなさっています。頭の下がる思いです。
 (また、「騒ぐと日中友好に罅が入る」なる懸念を表明なさっている識者様も多いようです。中国共産党政府と進歩的知識人、マスコミ様方の麗しい連帯と支持の前には、中国と日本の庶民の命など、鴻毛の如きものだという事が未だに愚民どもには分かっていないようで、困った事です。人の命より“友好”が大事なんですからね。)


 あまりにも、単純で明白な事。「中国製品で事故が恒常的に起きている。これは構造的問題である」。
 (穴が開いていただの、どうしただの、そうした個々の状況報道は、実は、事の本質から目を逸らす為の報道でしょうね)

 中国製品の事故は、米国での中国製ドックフード禍、パナマでの風邪薬禍等々、検索すれば幾らも出てきますね。無論中国国内での惨禍はこれらを遥かに上回るものでしょう(一番の被害者は中国の庶民であると思います)。
 物凄く極端な事を言えば、今回の事件が全くの虚報であったとしても、この本質は変わらない訳です。

 故に、もし本質論を展開しようとするのであれば、「中国産業界、延いては中国社会の構造分析」でなければならない筈です。
 「中国“非難”」で終わっていては駄目で「中国“分析”」が出てこないとアカンでしょうね。


 と、言うような事は既に誰かが書いていそうですね(書きたいから書いちゃいましたが)。
 という訳で、もう少し別の事を書きます。

 この事件が大きく話題となったポイントは「自分の食卓で起こりうる事」だ、という点でしょうね(何を今更(^^ゞ)。
 “等身大”の問題だという事です。極普通の平凡な人の“等身大”の問題です。
 そして、その問題が日常意識されない外国と繋がっている。密接にその外国の社会構造やら、その国と我が国の外交やらと繋がっている。
 つまり「家族のお腹を心配する事」が「地球全体」と繋がっていると、そういう事なのです。
 そういう事を実感させられた、という事ですね。

 先ほど「地球全体」と書きましたが、これ、オーバーでなく広がる訳で、もう少し蛇足を付け加えるならば、「安い中国製冷凍餃子を何故買っているのか」をキチンと考えると、本当に、この問題広がる訳です。例えば、「共働きで料理をする時間が無いから」とくれば「日本の労働状況」やら「家族構成の変化」やら、あるいは「日本経済の構造」まで行きますね。また「餃子という食品」という観点から見れば、「何故、餃子という食品がメジャーとなりえたか」という「第二次大戦後の満州引揚者の歴史」やら「日本人の味覚嗜好の変化」やらも出てくる訳です。

 つまり、「私が、あなたが生活する、している」という事、その事を(のんべんだらりと生活するのじゃなくて)キチンと私が、あなたが把握して生活する為には、“世界全体”を対象とした、把握が必要だという事です。
 そういう事を、この事件は“意味”しているんですね。

 あくまで、徹頭徹尾、自分の生活の、等身大の自分の生活を起点として、そこから外れる事無く、世界全体を把握する

 では、如何に行うか。具体的にその方法があるのか。

 それは「個々の人がその個別の人生を通じてガンバルよりしょうがない」という(オイ、オイ)「書いて損した(馬鹿野郎「読んで損した」だ)ものでしかないのですが。

 ただね、“学問”としてみた場合、上記の「等身大の自己の生活を起点として、如何にして“世界全体”を把握するのか」という問題、“答え”がありそうな気がするんです。
 「如何にして“世界全体”を把握するのか」。現在、“世界全体”ではなく、個別、各分野バラバラならそうした学問は既に発達し確立していますね。一番分かりやすいイメージは、やはり図書館でしょう。図書館の「日本十進分類表」のイメージ。
 例えばこの「毒ギョーザ」事件を考察するとします。毒の有機リンという事で「430化学」。外交関係を知りたくて「310政治」。中毒の症状もチェックしなきゃ、で「490医学」。
 個別分野としてなら、個々の学問は発達しています。

 でも「統合の学」が無い。正確には「統合の学」という視点がない。

 「哲学」でしょうか。確かにかつては「統合の学」を「哲学」が担っていました。
 しかし、今「哲学」は少なくとも「極普通の人が生活をトータルに把握する事」に関しての“具体的”なメソッドを提供しようとはしていないと思います(実は“具体的”という点がミソだったりする)。
 
 では、「統合の学」を如何に求めるか

 図書館の「日本十進分類表」を見ていて思い付いたんですが。
 妙な“学問”があるな。これは盲点だったな、と。

 「家政学」

 考えてみれば、「家庭」と無関係な学問は実は無いのではないか、という事であり、逆に言えば「家庭」を要として諸学を統合できる、正確には統合するための視座を用意できるのではないか、という事です。

 実際、思いつくままに学問の名前を挙げていき、それが「家庭」と本当に無関係か、考えてみてください。
 医学、経済学、法学、関係ありますね。心理学や宗教学だって無関係ではないでしょう。政治学だって関係がありますね。

 (わざわざ断るまでもないと思いますが、現実にある今の「家政学」は「統合の学」を志向するようなそんな学問と違いますよ、たぶん(^o^)

 現在、人間の知識のあり方、世界の認識の仕方(=学問)は分割され、分断され、セクショナリズムの弊害さえ起こっています
 つまり、極普通の人が(あなたが、私が)自己の“生”のあり方をトータルに把握できなくなっているのです。

 そうした状況下、「家政学」を核とした「統合の学」の可能性は、検討されても良いと思います。


 おまけ。
 もう一つ「統合の学」の核となりえる学問があるような気がしますね。
 家政学はギリシャのクセノフォンの「家政論」(Oikonomicos) に端を発します。「オイコスOikos」は「家」で、「ポリスPolis」つまり「国」と対になる概念ですね。 
 オイコスの側からの「統合の学」の視座が「家政学」であるなら、「ポリス」側からの「統合の学」の視座は何であるか。

 「軍事学」(あぁ、これもやっぱり盲点の感のある学問だ)
 近代において「戦争」こそは、「国」そのものがトータルに考察される場ですからね。
 (そしてやっぱり、「家政学」同様、「軍事学」と無関係な学問ってないでしょ)

 というような事を書くと「お前、戦争大好き人間だろう!」なる頓珍漢な勘違いをする人が出てくるかも知れないので、ここで終了。)

やはり「餃子製作」というのは難事であるという事が判った。急に思い立ったからといって出来ないのだ。





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最終更新日  2008年02月03日 09時28分21秒
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