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朝日新聞珍主張。中央のみが文化か。日本文化破壊主義の源泉。
前回、朝日3/29「韓国 鯨食文化ピンチ」と同朝日4/3「鯨は日本の伝統食?」における矛盾(3/29には韓国の鯨食文化についてレポートしながら、たった5日後には「韓国は昔は食べていた(今は食べていない)」と書く出鱈目ぶり)を書きましたが、今回はその原因について愚考します。 この明白な矛盾の原因は「日本以外は今現在、鯨を食べていない。鯨を食べるなぞという野蛮行為は日本だけ」という嘘をプロパガンダしたいからでしょうね(誰でもわかるか)。印象操作ですね。 無論、明白な嘘です。鯨(海豚)は多くの国々、民族で食べられています。 韓国の他、中国、インドネシア、フィリピンでも食べられています。アイスランド、ノルウェーには鯨のお刺身なんかもあるらしい。イヌイットもネイティブアメリカンのマカ族も食べていますから、「アメリカでも食べられている」と言って良いでしょう。 赤田康和、歌野清一郎両記者の印象操作はまだまだあります。 冒頭、「欧米人は鯨肉をどう感じているのか」とスペイン人、オーストラリアの感想を書いています。(無論ノルウェー人、アイスランド人に訊く筈もないですが)しかし、よりによって「オーストラリア人」。正に今問題の当事国。どうしてこれで客観性が(^O^)。(そういえば、両国ともに他民族の文化を再興不可能なレベルまで一大破壊した国ですね) しかし、もっと本質的な詐欺報道は「鯨食は日本の伝統文化ではない」という最近富みに盛んになっている、悪質な嘘を書いている事です。 赤田康和、歌野清一郎両記者は「?」を付けていますが、誤魔化せません。悪質です。 彼ら両記者は京都大の渡邊洋之の口を借りて(卑劣漢てしょうがないなぁ(^O^)主張します。「全国で日常的に食べるようになったのは戦後から」「鯨肉食の普及は、時代的にも地域的にも限定的と見るべきで、国策が作り出した習慣という側面が大きかった」 故に、「鯨食は日本の文化ではない」?? まず、朝日新聞内でそもそも矛盾しています。 3/29朝日新聞「韓国 鯨食文化ピンチ」と題した記事で、こう記しています。「韓国の鯨肉食文化は歴史がある一方、さほど広がりはない(略)長く沿岸の一部で食されていた程度だった。」 しかし見出しは「韓国 鯨食文化ピンチ」。「文化」とはっきり書かれています。 韓国のそれは「歴史のある伝統文化」であるが、日本のそれは「無い」?支離滅裂でしょう。 次に、「全国で日常的に食べるようになったのは戦後から。鯨肉食の普及は、時代的にも地域的にも限定的と見るべきで、国策が作り出した習慣という側面が大きかった→ 故に、鯨食は日本の伝統文化ではない」という嘘一般について(この嘘は頻繁にネット上でも見られますね)。 まず、ざっと捕鯨の歴史について。 日本人と鯨の歴史は古く、縄文時代の遺跡からも骨が出土されており、『古事記』『万葉集』に早くも「くじら」の名が出ています。 船を漕ぎ出しての漁の様子がはっきり資料に残っているのは1600年頃から。紀伊半島は太地浦での捕鯨業が記録に残っています。また、ほぼ同時期に九州地方でも漁は始まっていました。 技術革新の様子も無論記録に残っており、1677年に網取り式捕鯨法を太地角右衛門頼治が発明した事がわかっています。この方法は江戸時代を通じて鯨の接岸する地方では諸所で行われていました。 さて、「鯨食は日本の文化ではない」という嘘への反論です。 嘘つき反捕鯨派は意図的に「単に数字的な流通量の多寡の変化」と「それが文化として存在しているか、否か」をすり替えているのです。仮に国策で流通量が増えたからと言ってどうだと言うのでしょう。だから「日本に鯨食文化はなかった」?? そもそも、東西を問わず、近代以前では保冷、輸送技術が発達していないのですから、鯨に限らず海産物全般、沿岸地域でしか原則食べられなかったでしょう(干物では高が知れている)。なら、(国土全体が沿岸地域といった特殊な国以外では)あらゆる海産物にかかわる文化は「伝統文化ではない」のでしょうか。 嘘つき反捕鯨派によれば、「寿司(握り、ね)」は日本の伝統文化ではない事になります。当たり前ですが、生の魚を全国的に食べるようになったのは、冷凍技術の発達(冷蔵庫なんかね)と輸送網(トラックやね)の充実以後です。 鯨郷土料理いろいろ。 鯨熨斗(博多)、松浦づけ(佐賀)、百尋(長崎)、はりはり鍋(大阪)・・・・・。 無論、近代以前、江戸時代からある料理です。 書くのも面倒くさい(オイオイ(^o^)ので、それこそ、ここのブログの楽天さんのお店で調べてみてください。山ほど鯨の郷土料理を扱っているお店が見つかります。 九州、四国、近畿地方、つまり西日本なら、鯨はお馴染みの食材であり、鯨料理は極当たり前の料理だったのです。 むしろ、ここ20年前程の極々最近になって、一部の陰謀反捕鯨屋と、牛、豚肉消費拡大を狙う国が圧力をかけ、鯨料理が食べられなくなったというのが真相なのです。 嘘つき反捕鯨派は「日本政府の画策で鯨が食べられるようになった。以前は鯨は食べられていなかった」と主張していますが、真実は全く逆なのです。 日本に鯨食の伝統文化はあります(キッパリ)。 明白すぎる事実を誤魔化すのは止めなさい、嘘つき反捕鯨屋。下らないプロパガンダで新聞を汚すのを止めなさい、赤田康和、歌野清一郎。 終わり。 としたい所ですが、さらに書きます(しつこいね(^o^)。実は私の母は長崎出身なので御座います。そう、我が一族は何百年にも渡って延々鯨を食べ続けて来たのに(特にお正月)、私の代になって食べられなくなってきたのです。ここで頑張らないと次の代は完全に食べられなくなってしまいます。御先祖さまに申し訳が立ちません(*^-^*) 。 重要なポイント。 嘘つき反捕鯨派の「戦後になって鯨は食べられるようになった。鯨食は日本の伝統文化ではない」発言には、もっと重大で、グロテスクな“思考”が根底にあるのです。 それは、 「“中央”だけが文化である」「“地方”文化など文化では“無い”」 この場合、“中央”とは東京(関東)を意味します。 また庶民ではなくスノッブギョーカイ人サマも意味します。 もっと地球規模で言えば、牛はバコバコ喰う白人サマも意味したりします。 長崎に文化が無い?博多に文化が無い?高知に、大阪に文化が無い? 無論あります。食文化だって当然あります。 豊かな鯨食文化があるのです。 アイヌ民族のイオマンテは「小熊を殺すから可哀想」なんでしょうか(事実、この理由により55年から07年まで禁止されていた)。アシリチェップノミ(新鮭を迎える儀式)は「他に食べ物はいっぱいある。ハンバーガーを食べればいい」から必要ないのでしょうか(私、わざわざ北海道まで行って儀式に参加したんだよね(⌒∇⌒ゞ)あ、話はずれるけど、参加全然かまわないって。オープンなんだよね、アイヌの人達の儀式)。 「日本全国規模ではなく、アイヌ民族だけの話だから、文化ではない。保護する必要などなし」なのでしょうか。 況や、西日本の多くの地域、地方に根付いている鯨食文化をや。 たとえ反捕鯨屋の言う通り「全国で日常的に食べるようになったのは戦後から。鯨肉食の普及は、時代的にも地域的にも限定的と見」たとしても、全く、問題の本質は変わっていません。 地方、地方、地域、地域の“文化”の集積こそがNATIONの“文化”を為しているのであり、先に「国全体が文化を持つ」などという発想自体、転倒したものなのです。 「これこれの文化は元々一地方の文化であり、故に国の文化ではない」。あたかも地方、地方、地域、地域を離れた「国家文化」とやらがあるような口ぶりではありませんか。 さらに、この“思考”には奇妙な“類似物”があるのです(いや、そちらこそ本家なのでしょう)。 意図的に伝統文化を破壊し、正に「国家文化」とでも言うべき人工物を新たに創造しようとした国々がありました。 旧ソビエト連邦、中華人民共和国、クメールルージュのカンボジア等がそれです。 「共産党のみが全てである。あらゆる人間の営為は共産党の旗下にあらねばならない。プロレタリア芸術論によらねば、文化にあらず」 「文化大革命だぁ」 しかし残ったのは瓦礫の山でした。 日本の反捕鯨活動屋は実は、単なる伝統文化破壊主義者であり、地方圧殺者であり、少数民族弾圧者なのです。彼らは共産主義者の退廃、零落した末裔なのでした。 (念の為。退廃零落していない共産主義者はもっとマシだし、況や、サヨクが全て共産主義者ではない)。 「私は超地域主義しか信じない」bySalvador Dali 百尋と同じく、グニャ時計も酢味噌をつけると美味しそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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