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『犬の鼻先におなら』

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2008年07月23日
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語られる事の少ない関東以東の被差別部落。被差別部落の誤てるイメージを崩す。「お侍さんに謝れ、進歩史観論者は」

 関東圏の被差別部落に関してはあまり研究される事がないので貴重な本だと思います。被差別部落の問題はなかなか“難しい”面があります(所謂「同和利権」の問題等)が、そもそもその議論の前提となる知識が一般人には十分とは言えないのではないでしょうか。
 本書の著者、本田豊氏は30年以上に渡って地道な(文字通り地面をてくてく歩いて)調査活動を行っている方のようです。
 時間のない方は第三章「神奈川県の部落の歴史と現状」だけを読んでも十分有益でしょう。講演を筆記した物ですので読み易いです。

 なお、本書はズバリの地名こそ挙げていないまでも、地形、周辺建造物等の説明から、グーグルアース等を使って容易に場所を特定できる箇所があります(被差別部落問題と衛星写真の結合!)。
 「ズバリで良し」という考え方もあろうかと思いますが、今後研究者はこうした技術の発達普及を念頭において著作物を発表する必要があるでしょうね。
 (ちなみに私は必要最低限以外、具体的地名に繋がる事は書きませんので悪しからず) 

 先ずは超基礎的な事から。
 「関東圏にも被差別部落はある」という事ですね。実際、本書の書名だけでも驚かれる方は結構多いのではないでしょうか。
 私自身は本書を読む前まで「理論上、ある筈である」と考えていました。本書を読んで、実際に「存在する」という事を改めて認識しました(横浜市内で20箇所以上との事)。
 恐らく今現在、関東以東に住む大多数の人は「関東圏以東には問題は存在しない」または「ありえるが、自分個人として具体的にこの差別問題を見聞きした事はない」という方が大部分だと思います。
 これは「差別意識を克服した」という事ではないでしょうね。しかし「隠蔽している」という意識でもないような気がします。

 変な例えですが、今の日本人は「日本に住んでいる無茶苦茶日本通の外国人さん」の意識と似た様なものではないでしょうか。

 そういえば、これから益々日本に住む外国人、そして新たに日本人となる人は増えると思います。そういった人たちにどう、同和教育等を行っていけば良いのでしょうか。当たり前ですが、彼らは先ずそもそも「被差別部落」という概念そのものを知りません。また、当然ながら他の日本人との違いなど分りません(何故なら違いなど無いからです)。「外国人への同和教育を如何に行うか」というのは“広がる”テーマになるかも知れません。

 「関東圏と関西圏の差異」
 
 関東圏の被差別部落を研究したこの本には、所謂「被差別部落」の問題を一括りにする事の誤りが随所に指摘されています(冒頭述べた「何故、関東圏の人間は被差別部落の存在を認識しないのか」という事と関係します)。
 どうも、関西圏に関してのみ当てはまる事が、学者さんですら全国的にも当てはまると勘違いしているらしい。

 部落問題の啓発書も関西圏中心で関東圏の記述は全くないそうです。
 それは一つには関西圏では研究が昔から行われていた為、研究そのものが楽であるという事。
 そしてもう一つに絶対的な数の問題があるそうです。
 p185「もう一つ大問題なのは、全国で6000部落と言われ、神奈川では33とか34と言われているわけです(最近の調査では45~50)。きわめて部落数が少ないのです」「(大阪のある部落の人口数は3万人)しかし、関東地方の部落、特に神奈川県などでは、大きな部落と言っても30戸から50戸なんです。100戸を越える部落というのは3ヶ所しかないのです」
 関西の「大規模集中型」に比べ、このような「少数点在型」ですと、人口の大移動、大流入による「混在化」によって元々の部落そのものが判らなくなりますね(大きなテーマ。「それを被差別部落問題の一種の解決策」と見なせるか、否か

 また、江戸には弾左衛門という強力な長吏頭(白土三平『カムイ伝』にも登場)がいて、関東地方および東北地方の一部などを支配していましたが、これほど広範囲の支配権を持った者は西日本には全く見られないそうです。

 よく言われる皮革業との関係も、直ぐに結びつけるのは誤りだそうです。神奈川県下でそのような例は皆無との事。
 横浜の屠場は外国人が居留地に作った物がルーツであり、歴史的に部落とは何の関係もないのだそうです(p181)。
 牛の屠殺や皮革に関係していたから差別をされたというのは真っ赤なウソで、皮革に関係していたのは関西の一部分だけ。
 関西の一部のあり方を全国的に当てはまるのだ、とする教科書等に問題がありますね。
 
 また、東京や神奈川といった大人口の流入県は県外からの被差別部落出身者についても考慮しなければいけないという事(p190)。
 確かに東京、神奈川は多くの人々が県外から移動、移住している地域なので、その内の何%かは(著者に拠れば1割)被差別部落出身の方でしょうね。関東圏にある部落数が少ないと言っても、そういう人々を念頭において教育活動をしなければいけないという事だそうです。

 
 「江戸時代=差別暗黒時代」観の誤り

 以下の指摘は重要です。
 p209「部落問題に関して言いますと、江戸時代には部落は物凄く差別されていて、虐げられていた、と見られがちですが、実際には全くそんな事はありません。むしろ問題は明治になってからの部落外の差別意識の方がきわめて強いという事です。」
 どうもサヨクの人達はお侍さんの悪口を言い過ぎている(^o^)のではないでしょうか(「進歩史観」の事。もっともこういう事を言うと「歴史修正主義だぁ~、バカウヨだぁ~」と非難される事があるので気をつけないといけませんね)


 p196「先程の教科書の中では士農工商、エタ、非人という身分制度であったと言いましたが、実際はそういう身分制度ではなかったのです。(略)江戸時代の身分制度でもエタ、非人が通用するのは関西地方の一部だけです。こちら(関東圏)に来ますと被差別者は長吏と呼ばれていました(略)エタ、非人という言葉で説明ができる地域は日本全国でもほんの一部です。(略)なぜ教科書に出ているのかというと声の大きいところが載る。近世政治起源説という研究者の間で主張されている一つの学説が、載っているだけにすぎない。部落の成立に関しては中世説、古代形成説や異民族説、寛文・延宝期説や、明治説などたくさん考え方はあります。しかし、教科書に載っているのは近世政治起源説です。その中の記述を見るとたった10行ほどしかない部落の説明で卑しい身分とか、低い身分とか、皮革をやっていたから差別されたなどの言葉が数箇所出てきます。これを子供達が読んだら部落問題に関してどういうイメージを持つかはわかると思います。部落=悲惨、暗黒、みじめ、低い身分、卑しい身分という考え方がストレートに結びついてしまうのです。(略)これは起源説の中の一つの学説が載っているにすぎないことを言っていかないといけないのです。実際には江戸時代の部落は悲惨でも暗黒でもありませんでした。
 「江戸時代には部落は貧困とは全く無関係だったのです。なぜ無関係であったかというと権力に一番近いところにいたわけですから、食と職業が保障されていたからです。」

  また、江戸時代の経済的豊かさについての指摘もあります(p206)
 よく「当時の百姓はしぼれば絞るほど・・・という幕府の政策の下、極貧に喘いでいた」というような事が教科書に書かれていますね。
しかし、筆者の地道な墓石の研究からそれは誤りだというのです。元禄期頃から、農村でも部落でも石の墓石が急激に増えるそうです。つまり墓石を立てられるだけの経済的な豊かさがあるという事ですね(今でも、墓石結構高いよね)。
 p207「部落でも、部落外でも墓石が作れるようになったというのは、農業生産力の向上があったはずです。そうすると今までのようにしぼればしぼれるだけ取れるというのは違うのではないか。」

  また、部落は近世には苗字を持てなかったとか、持つ事を禁じられていた、という説もウソだそうです。近世の墓石を見れば苗字が刻まれているので判るとの事(p141)。

 年貢の取り決め方などに関しても地域の力関係で相当に動かせたようです(p208)。
 「お前ら、お侍さんに謝れよ、『搾り取れるだけ』なんてお侍さんしてないじゃないか」といった所でしょうか。

 なお、百姓一揆というのは農民が喰うに困って起こした訳ではないという事です(p208)。
 通常、百姓一揆は味噌、米、麦を三年分ぐらい用意して、絶対に負けないという準備をした後、行うのだそうです。

 そうそう、この「百姓一揆」という言葉、マスコミでは「農民一揆」と言い換えするそうです。言葉狩り。
 p208「誤解のないように言っておきますが、マスコミの中で禁止用語が増えているのですが、かつては解放同盟がさせているとか、解放同盟の圧力によってと言われていましたが、真っ赤なウソです。」
 また、p178「歴史的文献や史料の改ざんは、絶対に避けるべきである」とも筆者は記しています。
 「言葉狩り」にNOという事ですね。


  江戸時代は被差別部落にとっても「移動する時代」
 p205「部落の人達は各地を非常に動き回っていたようです。特に非人と呼ばれた人達は全国を歩き回っていました。江戸時代は身分制度がきちんとしていて生まれた村から動けなかったという考え方があるのですが、そうではなくてかなり動き回っていたのです。今までの教科書的な発想から抜け出たほうがいいのです。」
 この視点は江戸時代全体を考える上でも重要ですね。江戸時代のダイナミズム

  旅をした被差別部落の人の具体例が出ていました。
 『伊勢参宮旅日記』という大磯の助左衛門が残した文書があるそうです。彼は江戸時代の長吏(「近世、えたまたは非人の長。また広く、えた・非人の称」by広辞苑)小頭です。
 p42「この道中日記を見る限りでは、助左衛門ら長吏身分の者であっても、一般の百姓町人と同様に伊勢参りを行っているのだ。それだけでなく、長吏だからといって旅籠屋から宿泊を拒否された様子もみられない。百姓町人と同様の旅籠に泊っているのである。このような道中日記は、ほかの長吏小頭の家の所蔵文書でも見た経験がある。旅が頻繁に行われていた証拠であろう。」
 なお、この助左衛門さん、なかなかのインテリさんであったらしく、伊勢参宮の帰り道、江尻過ぎの「おとよ坂」で戯れに狂歌を詠んでいます。「はるばるとのほりて見ればおとよ坂 色志ろ志ろと富士の白酒」。

 そう、古文書が残っているんですね。実は古文書は被差別部落に多く残っているのだそうです。
 p40「右に見てきたような『部落貧困論』に基づく部落観、教育観が近世の部落にまでさかのぼって語られるのである。どこかおかしくはないか。
 しかし、それならどうして部落内に大量の近世文書が残されているのであるか。部落大衆が字が書けなくて読めなかったなら、厖大な量の古文書が残されている理由がないのではないか。」
 部落には裕福な人も高度な教育を受けた人も多い(江戸時代も現代もですよ)という事なのです。

(その2)に続く。






最終更新日  2008年07月24日 00時40分26秒
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