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『犬の鼻先におなら』

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2008年07月24日
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(その1)からの続きです。

 裕福な人の例。
 (被差別部落は一般的にいって貧しいという点を踏まえた上での文章です)
 p113「しかし、同時に一方では大きな長屋門を備えた立派な邸宅に住む者がたくさんいたり、大学教授をつとめた人を大量に生んだ部落もある。(略)などに大きな商店を営んでいる者もたくさん存在する。」
 つまり部落内部も貧富の差がかなり激しいという事で、この点一般的民衆の姿となんらの違いもないという事です。
 (江戸時代の長吏小頭の太郎右衛門の場合など、家に千両箱がいくつあったかわからない程の大金持ちであったそうです。明治時代に至っても一千坪もある屋敷に住み、高さ5メートルの石垣と塀に囲まれ、さながら城郭( ̄□ ̄)であったそうです)

 なお、史料に「皮作」とあるからと言って、皮革業のみで生活していたわけではなく、農業もしていたとの事。部落=皮革業と断定しない方が良いというのは前述の通りです。


 「被差別部落の歴史的成立過程は依然として謎」。
 多くの人は教科書等でエタ、非人という概念が出来たのは、江戸時代の幕藩体制下であると教えられたと思います(近世政治起源説)。
 しかし、どうもそんなに簡単な事ではないらしい。著者は「明日からお前達を差別する」と言われて「はい、わかりました」と言う人間がいる訳がないでしょ、と言っています。また、教科書にはエタ、非人と書かれていますが、そんなにすんなり分けられたかと疑問を呈しています。

 また、筆者は「何故、江戸時代に身分制度反対の行動がなかったか」という疑問を投げかけています。これは「江戸時代=暗黒」史観、広く言えば、「進歩史観」への疑問ですね。
 p122「部落の側が、何の抵抗もしなかったのは、あるいは、抵抗する必要がなかったからかもしれないのである。」
 筆者はそこで、「部落=落武者子孫」説に触れ(各地にそうした伝承がある部落は存在するとの事)、こうした「元は名のある何々」という誇りが、江戸時代を通じて部落の抵抗が起きなかった理由の一つではないか、と推理しています。

  この見解は興味深いですね。
 「落武者の子孫」と言うのが例え唯の伝説だとしても、皆が信じていれば良いのです(地方の有力者宅で部落の者のみが奥座敷に招かれ、他の民衆は茣蓙の上という所があったそうです。「何故だ」という一般民衆の不満に「世が世ならばその方らはあの方達に近づく事すら出来ない身分なのだ」と一喝されたそうです。こうなると何が何やら網野先生ですね)。


 では「そもそも被差別部落とは」。

  一口に「被差別部落」と言っても、それが何を示すのか、または示すべきなのかが、どうも研究者の間でも分かれているらしいのです。
 p187「問題なのは被差別部落の概念です」「エタと呼ばれた人々の集団居住地を現在では被差別部落とか同和地区とか呼んでいます。それでは非人の人たちはどうしたのか、それに関しては全く検討されていません。部落というふうにも捉えられていません。」やはりかつて非人とされた人たちも差別されているので、考慮に入れなければいけないとの事です。

 被差別部落、同和とは何か。
 p193「被差別部落、同和地区に関して、どこまでをそう考えるのかわからないのです。現在部落とは何かと言うと自分から見て両親のどちらかが被差別部落出身者だったら部落民なのか、あるいは母方、父方の祖父母くらいまでの誰か一人が部落出身者だったら部落民と言うのかどうかという問題に関して全く整理がついていない。部落問題に関してそういう問題が残っているのですが、その場合に誰が部落出身者か決めるのは部落を取巻く外側の人たちです。」
 これは突き詰めると“哲学的”問題になりそうです。「アイデンティティとは何か」という普遍的問題に帰着するでしょうね。

 そういえば所謂「エセ同和」の問題がありますね。
 これ、どうやって「エセ」と判断するのでしょうか、当人が言い張っちゃった場合。「代々の言い伝えで、そうなのだ」と(君の居住地区は違うと言っても「行政、各団体が認定していないだけだ。」)。

 また、こんなケースもあるようです。
 p13「このA地区では、正式に運動団体が組織され、その上で行政に同和事業の執行を要求したわけではない。むしろその逆で、行政の側からA地区に働きかけて事業を行った、というのが真相のようだ。」レアケースでしょうがこのような事があるのですね。「同和事業とは何か」考えさせられます。


  「常識のウソ」。

 p102「部落問題をめぐる『常識のウソ』は意外に多い。江戸時代には、全国の部落はすべてエタとか非人と呼ばれていた、という説や、『士農工商エタ非人』という身分制度であった、という説など、その典型例である。
 部落大衆はみな貧しく、田んぼや畑といった農地をはじめ家とか財産を持てなかった、という説もまた、『常識のウソ』である。
 事実は全く違っていて、江戸時代でも部落大衆は田畑を耕作していたし、家も持っていた。年貢も納めていて、何ら変わった所がなかった所も多いのである。
 『部落貧困論』と関連する考え方なのだと思われるが、東京の(略)といった日雇い労働者の町に住む者は、部落出身者や在日朝鮮人が多い、という考え方がある。この考え方も『常識のウソ』である。」
 p107「部落出身者の場合には、寿町のような簡易宿泊町にはなかなか落ちていかない。部落はひとつひとつが孤立していないし、横のつながりが極めて強いから、安い給料を多少我慢すれば、どこかで必ず仕事も家も、結婚相手さえ世話してくれる。」
 所謂「ネットカフェ難民」に部落の人はいないのでしょうね。

 そのほかにも、住所番地に関するウソ。
 「住所で番号が飛ぶ場所が部落」というのは誤り。暴れ川の周辺地では川の流れが始終変わるため良くあるとの事です(p182)。



 その他、気になった記述。

 「白山信仰の謎」
 p79「東日本各都県の部落には、必ずと言ってよいほど白山神社が祀られている。」
 ちなみに現代では痕跡を残して消滅している所も多いそうです。また、白山ひめ神社総本社が末社の全てを把握している訳でもなく、さらに、神主さんもいない神社ばかりだそうです(近くの神社の神主さんが兼務)。
 何故、白山神社が鎮守社に多く設定されているか判らないそうです(大塚民俗学会編『日本民俗事典』参照)。
 p84「部落が先で神社が後から出来たのではない。それに、東日本でも非人系部落は白山神社を祀っていない。祀っているのは長吏系部落だけである。(略)また、白山神社はなぜ北陸の部落内にはひとつも存在しないのだろうか。加賀白山の地元でありながら、北陸の部落内には白山神社はまったく存在しない。これに関連するが、関西はじめ西日本の部落内にも白山神社は存在しない。」
 以前は白山信仰を部落が受け入れたのは、ケガレから生まれ清まるためだ、という説があったそうですが、誤りであるとの事です。

 白山と言えば白山菊理姫神ですね。白山ひめ神と同一視されるこの神様には謎が多いです。黄泉で、イザナミの変わり果てた姿を見て逃げ出したイザナギに、黄泉比良坂で、この菊理媛神は「何か」のアドバイスをします。イザナギはそれを褒め、帰って行きます。
 日本書紀の一書にたった一箇所だけ書かれている神様です。菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども全く書かれていません。謎めいていますね。


  映画『男はつらいよ』と部落問題
 筆者は映画『男はつらいよ』を観ると部落問題を想起すると言っています。中学校中退という学歴、そしてテキ屋という商売、さらに彼の苗字からだそうです。
 テキ屋という商売は江戸時代の身分で言うと非人になるそうです。また、江戸時代に浅草にいた非人頭は車善七というそうです(p201)。
 山田洋次監督は(御免、『学校』という映画は愚作だと思う)良い意味でも悪い意味でもインテリであると思いますので、彼がそうした差別問題に関する知識を持っており、「わかる人にはわかる」と言う形で『男はつらいよ』シリーズにメッセージを込めた、という事は十分ありそうですね。


  この本で、某所の有名な民俗芸能が実は部落の方が、嘗ては担っていたものと初めて知りました(現代は違う)。
 研究者の間では常識らしい。検索してみましたら、上位に挙がるもの全て、微笑ましくも暖かい民俗芸能という視点でのみ記載しています。(う~ん。書いた方が良いのか)
 p96「一部の人たちが主張している部落の文化というのは、あたかも歴史的にも社会的にも、部落だけが独自の別世界を形成していたかのごとき論であって、それは正確な物の見方ではない。」
 我らが日本文化の形成維持発展には当然被差別部落の人々もまた関与していた訳で、それはつまり皆、“我ら”だという事だと思います。


  「『週刊金曜日』95年2月3日号に誤記あり」。
 阪神大震災で倒壊の多かった某地区を「最も金持ちでない階層が住む地区」と記すが、実はそこは、最も金持ちが多い部落であるとの事。p133「この文章の筆者は部落=貧困というイメージにとりつかれているのではないか」


 「部落形成に関する法則」。
 p15「全国的に確かめられる部落形成の一般的傾向として、城下(町)には必ずある、というひとつの法則がある。」
 関東圏では「長吏」と呼ばれていた事を想起すれば想像がつきますね。
 戦国時代、彼らは街道警備、水運、敵情視察といった事を行っていたスペシャリスト集団だったのです(断っておきますが、中世ですから、現代と差別観、蔑視観が違いますよ)。
 
 戦国時代の、あるいは江戸時代の時代劇に被差別部落の人々が登場するという事はまず無いですね。残念な事です(私が知っているのは漫画の『カムイ伝』ぐらい。でもこれ、「江戸時代=差別暗黒時代」観に則った物なんですよね)。
 みじめでも、哀れでもない、スペシャリストとして、部落外の人々と交流しつつ、苦悩と共に人生を楽しんでいる(場合によってはかっこよくすらもある)被差別部落像という物が時代劇では欺瞞でもなんでもなく成立可能なんじゃないでしょうか。
 そういう差別解消のアクセスの仕方もあると思います。
 (そういう時代劇を作ろうとした場合、障害となるのはどういう団体、機関そして人々なんだろうね)。


 最後に。
 被差別部落問題を取り扱った本を読んで思う事。

 「私は何をなすべきか」が十分に具体的なイメージを伴って想像できない(実際に行動出来るかどうかは別としてね)。
 「差別をしない」という消極的な事を言っているのではないですよ。積極的な事。
 この辺りが、例えば「障害者の問題」等と大きく違う所ではないでしょうか。
神奈川県の被差別部落
流石の楽天さんもこの本は「在庫なし」だって。残念。





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最終更新日  2008年07月24日 00時54分56秒
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