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『犬の鼻先におなら』

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2009年09月03日
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結構ズブズブ愛欲模様なのに清清しい香気。「労働」の意味。

 予想していたより楽しめました。
 この映画、ココ・シャネルの「人生」を描いた映画ですので、ファッション自体はあくまで背景扱いです。その上、世にファッションデザイナーとして出るまでの話ですので、豪華絢爛な衣装の出てくるシーンはラストのワンシークエンスのみ。
 という訳で、シャネルのファッションそのものに関心がある人が見に行くとガッカリするかも知れません。

 以下ネタバレは避けるつもりですが、白紙の状態で観たい方は別の所へ。



 田舎の孤児院で育ったアヴァン・シャネルはキャバレーで歌手として生計を立てつつ、パリで成功する夢を持っていた。しかし夢は適わず仕立て屋でお針子。
 そんな境遇に満足できない彼女は、キャバレーで知り合った金満家の将校バルサンの邸宅に転がり込むのであった。
 そこから彼女の人生はファッションデザイナーとして大きく舵を切る事となる。果たして、彼女の運命は。はたまた、運命の人との恋の行方は。

 て、まぁ、実在の人だから、ネタバレもなにも、結末はどうなるか知ってるんだけどね。
 因みに「ココ・シャネル」の「ココ」はキャバレーでのニックネーム(源氏名のフランス版?)。 


 話には聞いていましたが、ココ・シャネル、男がらみでは、かなり奔放。奔放というより、ベッド関係を含めてボーイッシュな魅力で上手に、お金持ちに寄生しちゃってるというべきか。
 本映画では金満家の将校バルサンと、その彼の館で知り合った青年実業家カペル(愛称ボーイ)と、ココ・シャネル、三人の“特殊”な人間関係を、シャネルがデザイナーとして世に出るまでを追っかけて、描いています。

 かなり“特殊”な、男性(お金持ち)との「人間関係」の持ち方ですが(簡単に妾状態で御屋敷に仮寓するココ・シャネルに、「ココを二日ばかり貸してくれ」なんて相談しあう男達。もう、まるっきり物品扱いの世界)、戦前の欧州のガチガチ階級社会では、上昇志向が旺盛な貧民階級の娘としては当たり前の事だったのかも知れません。この辺り、現代日本の、しかも庶民の尺度では図れない世界なのでしょう(だからココを道徳的に断罪しちゃ駄目だよん)。

 下手すりゃ、「体とセレブ生活のバーター取引」の大変「不潔感」漂う映画になりかねない世界なのですが、不思議と清清しさが主人公に感じられます。
 その理由。
 一つには主人公の意地っ張りな(おっと、「反骨精神」と言いなおしますね)性格。
 もう一つには二人の男が、それ程悪人じゃなかった(^-^)。どちらも(対等な立場からではないのですが)ココを愛していましたから。
 さらに言えば、演じた女優オドレイ・トトゥのボーイッシュな姿態と演技(いい女)。

 だけど、一番大きな理由はココが「労働(物作り)」を目指していたからでしょうね。
 「帽子作り」という「労働」が、金満家の自堕落な生活にあって、ココを「人格的腐敗」から救い、また、この映画にある種の清清しい「香気」を与えていたと思います。これがなかったら、ただの意地っ張り娘と自堕落金満家の愛欲模様で終わっていたでしょう(この辺りは製作者もかなり自覚的で、劇中、ココが読んでいたのが『貧困の哲学』。これ仏の思想家、プルードンの著作。労働者の問題について思索した人ですね)。


 多くの男性を魅了し続けたココ・シャネルでしたが、生涯独身でした。最愛の人ボーイを失った事も大きな原因の一つであるでしょうが、本映画ではそれだけでもないような描き方です(「結婚」という男女の関係そのものを否定するような台詞があります)。
 これは彼女の育った家庭環境から来る「結婚」への嫌悪感だけではなかったと思います。

 ヒントは彼女がデザインした服にあるのではないでしょうか。
 当時のファッションはゴテゴテと飾りつけると同時に、コルセット等で体を締め付ける不自由な物。そうした「様式」にココ・シャネルのデザインは反旗を翻した訳です。

 彼女は、特定の異性との永続的な恋愛関係を結ぶ事を心の底で拒んでいたのだと思います。
 恋愛には必ず相手を、そして自分を拘束する要素があり、彼女は何よりも「自由」を望んでいたのです。
 その自由を求める精神が彼女の生み出す服装のデザインに反映されていた訳ですね。
 (因みに、ココ・シャネルを「元祖フェミニズム」のように言う人が時々いますが、それは後世作られた“神話”としての側面が強いようです。単に彼女個人の“資質”が生み出したデザインと解釈した方が良いでしょうね。たぶんココ・シャネルは自身以外の他の女性の「社会進出」とやらに興味も関心もなかったと思います)


 ただ、本映画、惜しい事に、本格的に仕事として服飾を制作しているシーンがほとんど出てきません。つまり、職場の“同志”が全く出て来ないのです。
 ために、この映画、晩年の誇り高く美しくはあるが、寂しげな主人公の顔のワンカットで終わってしまうのですが、これは残念な事です。
 「労働」は必然的に人と人を結び付けます(否応なしにね。無論、嫌な奴ともね(笑)。
 キャプションによれば、彼女は死ぬ前日まで仕事をしていたそうですが、恐らく寂しくはなかったのではないでしょうか。
 (なお、「消費の為の消費(享楽)」は実は、人と人を遠ざけてしまう要素があります。放蕩の金満家バルサンが主人公から「金がなければ友人が一人もいない」となじられていた事を想起してください。)


 しかし、「芸者は男の奴隷」という制作者の認識は、「フランス人のアジア蔑視は未だ変わらず」と、トホホな感じ。
 ところで、芸者と言えば「粋筋の人」ですが、その「粋」とは何ぞや。
 「理想主義の生んだ『意気地』によって媚態が霊化されていることが『いき』の特色である」(九鬼周造『「いき」の構造』)
 
 つまりセクシーなだけ(男に媚びているだけ)では粋ではなく、そこに「意気地」つまり反骨精神がなければ駄目という事です。

 だったら、ココ・シャネル、“芸者”とは、君のような人の事じゃないか。

 (実際、芸者は“芸”を売っている訳で、芸者さんにお金を出す旦那さんも、言ってみたら芸術家のパトロンに近い側面がある。日舞、三味線と服飾デザインを入れ替えたら、芸者とココ・シャネル、大変近いものになるのではないだろうか)


 なお、念の為。
 実際のココ・シャネル女史はもっと“エグイ”人物だったらしい。
 例えば、ナチス占領下のパリでは、ナチス将校と関係を結ぶ事によって、オイシクやっていたらしい。
 また、ユダヤ人嫌いでもあったという噂もある。だから「シャネル天誅!」というフランス人や「シャネル斬奸!」というユダヤ人が時々いるらしいとの話(どこの国の人だよ(笑)。


 最後に。
 禁煙中の方はご覧にならない方がよろしいかも知れません。本映画は「世界スパスパ滅多矢鱈、煙草吸い映画」ヒロインの部で優勝を争った作品です(嘘)。






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最終更新日  2009年09月06日 06時34分53秒
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