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2009年09月26日
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読み易い感動的中篇。「私の死」とは。テーマは普遍か。

 有名な作品ですね。この本に関しての解説、感想等も、活字媒体、ネットを問わず多く見聞きします。何も付け加える余地はないでしょう(でも書くんだよね)。

 良い本ですので、未読の方はどうぞ(^-^)d
 類型的な俗物であった主人公が、“自分の死”を“発見”し、そして“死”がない事を悟る話です。

 ページ数も少なく、岩波の文庫本で100ページ程。別に「二転、三転の複雑な筋」ではなく、よって読み難くもありません。薄い文庫本ですので、背広やらジーンズやらのポケットに入れて行き返りの電車内で読んじゃえます(その本が「ポケットに入る」か「鞄ですら重過ぎるか」なんて“書評”する奴は私ぐらいか。“サル”だ(^O^)。

 “サル”ついでに。
 有名作家(広辞苑に載っている)「トルストイ」は実は三人います。
 レフ・トルストイ(この本の作者。通称「大トルストイ」。他に『戦争と平和』等)。
 アレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイ(『白銀公爵』。レフとは又従兄弟)。 アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ(「旧ソ連」の人。古い白黒SF映画『アエリータ』の原作者)。
 「トリオ・ザ・トルストイ」「ロシア文学界の黒い三連星」。


 閑話休題。
 一寸、粗筋など。
 『イワン・イリッチの死』はイワン・イリッチが死んだ所から話が始められます。
 訃報を聞いて葬儀に集まる人々。でも他人事なんですよね。「“死”はいつでも他人事」。この第1章で、トルストイは読者の我々の姿を描いていると言っても良いと思います。
 で、第2章以降、イワン・イリッチの人生が語られるわけです。

 主人公イワン・イリッチは極めて世俗的な意味合いで“成功者”でした。彼は官吏として栄達の階段を登り、また如才なく世間の人々と交友し、人生を楽しみました。彼が人生に認める価値は「“愉快さ”と“上品さ”」。
 ほどなくして結婚。妻との関係は次第にギスギスした息苦しいものになっていきますが、なに良くある事です。彼は仕事に逃げる事で「comme il fauit(申し分のない)」生活を送ります。

 象徴的なのは、彼が得た新居。嬉々として彼は調度品を買い整えていき、彼の好きな「“愉快さ”と“上品さ”」に溢れた新居を作って、大いに満足するのですが。
 (p36)「けれど、それは実際において、飛び抜けて裕福でない人たちの所でよく見かけるありふれたものに過ぎなかった。彼らは裕福な人に似せようと心がけているので、そのためかえっておたがい同士似かよってくるのである。」
 主人公の俗物性と、その俗物性から来る類型性が端的に描かれています。「自分自身の固有性の忘却」。ハイデッガー言う所の「ダス・マン」(「世人」という言葉で訳されているようです)。そして、ハイデッガーの指摘を待つまでもなく、世俗に埋没した俗人は自分自身の“死”を忘却します。

 だが、ここで皮肉な事件が。彼はその「“愉快さ”と“上品さ”」に溢れた、しかし類型的な部屋を作るべく、壁紙張りを職人に指示するのですが、その際、梯子から落ち、脇腹を打ちます。これが彼の死の遠因(直接の原因はこの小説では明白にされていません。器質的病変ではなく、神経症から来るストレス等が原因だったとも読み取れます)。
 いずれにせよ、緩慢に、原因不明の病魔が主人公を死の淵に追い込んで行きます。最初は微かな口中の味覚異常と脇腹の重苦しさ。彼は大した事ではないと、死を意識する事を拒否しようとしますが、次第に「死の意識」は彼の生活全般を覆っていき、常に意識せざるを得ない状態となります。主人公から片時も離れない苛立ちと苦しみ。

 この時、唯一の慰めが、甲斐甲斐しく主人公の為に働く、誠実な百姓ゲラーシムであったという設定は、いかにも『イワンの馬鹿』の著者といった感じですね。
 ただ、ゲラーシムの存在は主人公の苦悩、延いては、誰もが迎えなければならない“死”とは何か、を読み解く鍵となっています。
 (p72)「イワン・イリッチの主な苦しみは嘘であった」
 主人公がもう直ぐ死ぬであろう事は、周囲の人間一同も、また本人自身もよくわかっています。明白な事実なのです。しかし、周囲の人間も主人公も、そんな事は無いかのように振舞っているのです。
 (p71)「彼は『でたらめはもういいかげんにしてくれ!わたしが死にかかっているのは、君たちも知っていれば、わたしもちゃんと承知している。だから、少なくとも、嘘をつくのだけはやめてくれ!』こんなぐあいに言葉がもう口の先まで出かかるのだが、しかし、そう言いきるだけの気力が、どうしても出ないのだった。」
 ところが、ゲラーシムだけはこのような態度を取りません。献身的な奉仕を続けながら、はっきりとこう言います。
 (p72)「『人間はみんな死ぬもんですからね、骨折るなあ当り前でがすよ。』
 このお百姓さんの台詞は考えてみると、一寸凄い(実際に死ぬ間際の人を目の前にして言っている点がミソ)。
 彼だけは、死によって本質的に有限性を宣告されている「人間」という存在を理解しています。

 いよいよ死の時が近づいて来ます。彼は自問自答します。
 (p87)「『いったいお前は何が必要なんだ?何がほしいというのだ?』彼は自分で自分に言った。『何が?---苦しまないことだ。生きることだ。』(略)『生きる?どう生きるのだ?』と心の声がたずねた。『今まで生きてきたように、気持ちよく愉快に?』と心の声がたずねた。」
 ところが、彼が人生を回想してみると、幼年時代以外は真に「幸福であった」と言える時がなかった事に気づくのです。無意味な人生。

しかし、何故こんな事になったのか。苦痛、死。これらは一体何の為なのか。

 臨終です(かなり鬼気迫る意識描写です)。
 (p99)「彼は感じた---自分の苦しみは、この黒い穴の中へ押し込まれることでもあるが、またそれと同時に、ひと思いにこの穴へ滑り込めない事に、より多くの苦痛が含まれている。ひと思いにすべり込むじゃまをしているのは、自分の生活が立派なものだったという意識である。こうした生の肯定が彼を捕らえて、先に行かせまいとするために、それがなによりも彼を苦しめるのであった。」

 が、しかし。
 (p100)「突然ある力が彼の胸や脇腹をついて、ひときわ強く呼吸を圧迫した。と、彼は深い穴の中へ落ち込んだ。すると、その穴の端のほうになにやら光りだした。」
 この瞬間は、彼の手が偶然に中学生の彼の息子の頭に触れ、息子は彼の手を自分の唇に持っていき、わっと泣き出した瞬間でした。
 (p100)「ちょうどその時、イワン・イリッチは穴の中に落ち込んで、一点の光明を認めた。そして自分の生活は間違っていたものの、しかし、まだ取り返しはつく、という思想が啓示されたのである。」

 彼は傍らに妻と息子の姿を認め、彼らへの憐憫の情を感じます。
 (p101)「『そうだ、おれはこの人たちを苦しめている』と彼は考えた。『可哀想だ、しかし、おれが死んだら、みんな楽になるんだ。』
 
 (p101)「すると、とつぜん、はっきりわかった----今まで彼を悩まして、彼の体から出て行こうとしなかったものが、一時にすっかり出て行くのであった。四方八方、ありとあらゆる方向から。妻子が可哀想だ。彼らを苦しめないようにしなければならない。彼らをこの苦痛から救って、自分ものがれねばならない。『なんていい気持ちだ。そして、なんという造作のないことだ』と彼は考えた。」

 この時、彼は悟ります。
 (p102)「死とはなんだ?恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。」「死の代わりに光があった。」



 先に、「良い本ですので、未読の方はどうぞ。」と書きましたが、少し訂正を。

 良い本ですので、未読の方はどうぞ。ただし10代~20代前半の方はピンとこないと思います。

 「生きてきた絶対的な時間」という壁があると思うんですよね。ある程度、年齢を重ねてこないと、「死は所詮他人事」という感じから抜け出られないと思うんです(逆に10代でこの本にひしひしと実感を感じる子がいたら、その子は可哀想な子供だと思うよ。難病か何かだよね)。


 で、「年齢の問題」が出てきた所で、ここで疑問点。
 この小説の主人公は以上のような過程を経て、45歳で死ぬ訳ですが、これが例えば80歳だったらどうだったでしょう。
 この話のように、死が迫って来る事に激烈に苦悩を感じるでしょうか(正確には「激烈に苦悩するという設定に疑問を感じないか」)。
 こうはならなかったような気がします。

 ざっとネットを見て回ったのですが、「主人公が45歳で死んだ」という設定に、注目している人はいませんでした。
 この小説におけるトルストイの“トリック”(一寸語弊がある言い方ですが)ポイントのような気がするのですが(私の読み方は滅茶苦茶だからね)。

 何故でしょうか。病気等同じ条件で死んだとしても、何故、老人はそれ程苦悩しないのか(当り前のように思われるかも知れませんが、「何故か」。「寿命だからと諦めるから」というのは実は答えになっていないと思うのです。だって「寿命でも、諦めきらない」という事だって可能だし、また「10代で死んでも、それが天命、寿命」という考えだって成立しえるでしょ)。

 この小説は“普遍的”な「個人の死」の問題をテーマにしている筈です。
 地域も時代も超越している筈なのです(設定を21世紀の日本人に変えても成り立つ話でしょ)。

 でも、年齢は超越していないようだ。
 主人公の年齢を変えると、この話は成立しない


 「死の苦悩」というのは自意識と関係がありそうです。
 「死の苦悩」とは「私という自意識が消滅する」という「苦悩」なんじゃないでしょうか。

 で、老人になると、良い意味で自意識が薄れていく。我執が薄れていく。そういう傾向があるような気がします。もとい、そういう“神話”があると思います(やっぱり“神話”だろうなぁ)。
 たぶんこれは、洋の東西を問わず言える事なんじゃないでしょうか。


 何故、薄れていくのか。またはそういう“神話”があるのか。

 これは、21世紀前半、日本で発見されたという「老人力」を究明する事により何か判るかも知れません(^O^)。
 (赤瀬川翁の名言「宵越しの情報は持たねぇ」。「自意識」と「記憶」というのは何か関係がありそうです。また、即物的な意味での「肉体の衰え」じゃなかった「肉体面での老人力向上」も実は、直に「自意識」の問題と繋がっているかも知れません。「自意識」と「身体」の問題)。


 さらに、遡って考えてみれば、そもそも本当に『イワン・イリッチの死』のテーマは普遍的なのか、という問題も考えられると思います。
 「死」が厭うべきものである事は、古今東西変わらぬ事でしょうが、「苦悩」の“あり方”は各時代、各民族によって違っているかも知れません。
 “近代的自我”が唯一の“自我”のあり方ではないからです。

 と、誠実ではあるが無学な筈のお百姓さんゲラーシムが、平然と覚者のような言葉「人間はみんな死ぬもんですからね、骨折るなあ当り前でがすよ。」と言う事が出来るのは、彼が“近代的自我”の持ち主ではないからかも知れませんね。






最終更新日  2009年09月30日 19時17分47秒
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 邪道ですが   鯉口のおせん さん
ここで旦那の書評を読んでるとそれだけで充実&満足。
内容についての評はもちろんのこと
横道にそれたり、閑話休題や蛇足の部分までもが
ステキに連携(?)しあってて読み応えありますので。

とうの御本を読みたくなる効果は十二分にございますが
旦那の書評はすでに一つの作品といえましょう。やっぱり
イワン・イリッチの死を読みたくなってきましたが
はてさていったい いつになったら読むのか
アテも自信もございません。
ア、旦那の映画評も好きでございます。 (2009年10月08日 05時33分04秒)

 Re:邪道ですが(09/26)   千鳥道行 さん
鯉口のおせんさん
とんでもございません。おせんさんと違って、独創性やら想像力やらが、欠けている為でございます。
他人の褌で相撲を取っているのです(ところで。この「他人の褌」という表現、妙な例えですね)。
おせんさんの旅の様子を知るのが密かな楽しみです。 (2009年10月10日 00時38分58秒)

 Re:レフ・トルストイ著『イワン・イリッチの死』を読む(09/26)   引きこもり さん
>逆に10代でこの本にひしひしと実感を感じる子がいたら、
>その子は可哀想な子供だと思うよ。難病か何かだよね

自分は此の身分で喫煙者なので多分に
ご都合主義も含まれているのだろうけど
パニック発作に数年間悩まされた経験があるので
気持ちは分かる。パニック発作が
「死ぬものでは無い」と知識として知ることで
また経験を積むに従い段々と
楽になったわけだけどアレは正に死の疑似体験。
自分が改めなければ自分の死ぬ時は
ああいう風になるのかな。奪われていくような
感覚が凄まじかったね。一番最初は
過呼吸過ぎて親がいるところに駆け込もうとして
左右の壁にブツかるわ空けて貰ったベッドの上で
寝転がったら部屋は暗いのに
至る所で青や黄色の点は見えるわで大変だった。
パニック発作の人も理解できるよ。
(そのような些末なことはどうでも良いか) (2017年09月03日 18時14分00秒)

 Re:レフ・トルストイ著『イワン・イリッチの死』を読む(09/26)   引きこもり さん
自分語りで申し訳ない。死を意識するには
荷が重すぎるので普段は意識していないけど
数日おきに大小様々な不安が渦巻く時に
「ふっ」と頭の中に現れる感じではある。
「殺人」等もそうで昨日は自分が殺される夢を見たので
3時間くらいしか寝られなかった。

そういう事をもう10年くらい続けている。
考える時は考えるが荷が重いので
その時だけ考えるようにしている。以下ループ。

覚悟決めないと一向に辛いままだが
覚悟を持つには荷が重すぎる。
自分を律するのは大変だ・・・・。
でも律しても律しなくても
「死」というのは万人共通。

真面目に生きている間は確かに果実は得られるのだが
・・・真面目して良いことなどあるのか否か。

単に面倒くさいと思う性分により問題から
逃げている側面もあるにはあるのだけど
ふとした切欠で何時も死がチラつくのも事実。
その所為で頑張ろうという気持ちが萎える。

所業無常。子供の頃の思い出が詰まった家も
何れは朽ちていく。誰もがそこに
自分や家族が居たことは認識しない。
道路になるのか更地になるのか工場が建てられるのか。
何とも虚しいこと儚いとしか言いようがない。 (2017年09月03日 18時33分30秒)

 Re:レフ・トルストイ著『イワン・イリッチの死』を読む(09/26)   引きこもり さん
物は溜め込む習慣から脱して捨てられるようにはなったが
こういうのは何時まで経っても無理だな・・・。
世界中を飛び回っている人は・・・まあ凄いかどうかは
兎も角として現代的な人間ではあるね。
そういう意味で言えば自分は古い人間ということになる。

白髪混じりの髪、痛んでいく家を見ていると
否が応にも枯れ=死を感じさせられる。
誤魔化しても現実は刻一刻と迫ってきている。
そうでなくとも現代社会では突然に死ぬこともある。

序に(何が序かはともかく)自分は職歴もない中卒。もう無理。
色々ありすぎて頭の中が整理整頓出来ない。
ツケを後に回してきた自業自得か。

先送りにするとヤバイね重症化する。
それでも誤魔化して真面目に生きられる人は
最期ヤバいだけから決めれもしないことで悩むよりも
仕事して色々謳歌した方が人生華やかか。

純粋にピュアに突っ走られたらどれだけ良いことか。 (2017年09月03日 18時53分31秒)


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