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『犬の鼻先におなら』

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2011年09月01日
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江戸町民の教養の高さ。支那の故事伝説の本朝への影響大なる事。

 江戸時代の川柳(古川柳)は世界的にもレベルの高い芸術ではないでしょうか。簡潔な形式ながら、滑稽、機知、風刺、奇警に富んでいます。川柳に限らず江戸文化の担い手がごく普通の町人であった事を思い出せば、如何に江戸時代の文化が成熟していたか、世界史的に見ても特筆に価するのではないでしょうか(歌舞伎も浮世絵も八っあん、熊さんが楽しんでいたんだよね。比して、オペラも西洋絵画も凄いけど、あれは上流階級が楽しんでいただけ)。恐らく、この「担い手が“庶民”である」という点は、今なお日本文化を語る上で、外せない“核”の一つだと思います(マンガ、アニメなんかそうだよね。フランスのバンド・デシネや東欧のアニメなんか凄いけど、日本ほど裾野が広いとは言えないんじゃないだろうか)。
 ただ、歌舞伎、浮世絵、俳句に比べ、川柳があまり海外では注目されていないのは残念な所です。西洋のリメリックを初めとして、こうした短い定型詩の文化は世界中到る所にある訳ですから、俳句のように受容され海外で発展する可能性はあるのではないでしょうか。

 さて、本書はその江戸川柳の内、歴史的教養を前提として創作、鑑賞されていた作品を収録しています。解釈には、日本のみならず支那の歴史に関するかなりの教養を要求される作品が多く、当時の江戸庶民の受けていた教育水準の高さが推測出来ます(というより、我々現代日本人の教養の貧しさか)。
 
 ただ残念ながら、こうした歴史的教養を前提として作られた作品の多くは、現代日本人には難解なものも多いのです。江戸川柳の鑑賞を難しくしているのは、教養の大きな歴史的断絶の為でしょう。1945年を境にして、“良心的”で“進歩的”な人びとによる“歴史教育(正確には反歴史教育か)”は今でも続いていますね(例えば「蛍の光」は最近殆ど歌われていないよう)。

 これによって、汎アジア規模での歴史的教養の“連帯”が失われてしまいました。“良心的”で“進歩的”な人々が「我こそはアジアの、特に中国、韓国、北朝鮮の良き理解者なり、連帯者なり」と自称しているのをみると、何とも皮肉な事と思わざるをえません(いや、寧ろ当然の事か)。

 実際、江戸川柳を理解するには、支那の歴史的教養をきちんと修めていないと無理な作品が数多くあります。これは江戸時代だけでなく、戦前まで、支那の歴史、故事、伝説は知識人はもとより、一般庶民にとっても馴染み深いものだからでした(例えば「蛍の光」の歌詞って、支那の「蛍雪の功」の故事が本だよね)。

 人類史とは移動の歴史であり、文化史、文明史とは伝播と交雑の歴史です。孤立した国、民族などありはしません。故に、一国の文化、文明を(“道義的”とやらの理由で)否定する事は、実は人類全体を(具体的には周辺地域の諸国、諸民族)を否定するのと同じなのです(そもそも、一国の文化、文明、一民族を“裁く”とは、倫理的にどういう事なのか。ナチスの珍概念か)。

 本書に収められた江戸川柳を見ると、溜息を出さざるをえません。物理的に言えば、江戸庶民が支那に渡るのは不可能であったでしょうが、心理的には現代人よりずっと深く、ずっと豊潤に、江戸庶民は歴史的教養を通じて支那と繋がっていたのです。

 現在、アジアとの“文化的交流”というと、尻振りダンス見物とプルコギピザを食べる事と思われているようですが、なんとも悲しい事です。既に、我々の中に“他国”“他民族”がある事に気づくべきでしょう。文化交流とは自己発見でなければならない筈です。

 逆に言えば、我々の御先祖さま(という事は“我々でもある”のだが)の世界観を知る為には、周辺諸国の他国、他民族の“協力”が必要という事でもあります(これは支那人が自己を知る際にも同じ事が言えます。念の為)。
 例えば江戸川柳で言えば、「そもそも本の支那ではこの故事はどういった受容のされ方をしているのか」「似たような着想の戯詩は支那に、また朝鮮にはないのか」等々といった研究が必要とされる訳です。

 非常に残念な事ですが、現代中国における日本への興味の向き方は、科学技術や経済、及び現代の文化、風俗(アニメとかね)に限られているようです。支那の学者及び好事家の活躍が期待されるところです。周作人のような教養人が現れないかな(どうも中国共産党が権力握って文化大革命なんかで一大歴史破壊運動を展開して以来、支那人も教養の歴史的断絶を経験しているようなのだ。実は権力欲亡者にとって一番邪魔なのは歴史によって培われた良識なんだよね。だから、彼らは権力闘争のオイシイ非難道具として“歴史”とやらを利用するけど、本質的には歴史破壊的なんだよね。お互い苦労するね。)。


 なお、本書は日本編は聖徳太子まで、支那編は始皇帝までで、終わっています。もう本当に歴史の入り口まで。あぁ、これも残念(でも、厖大すぎて物理的に一冊に纏めるのは不可能なんだよね)。


 という訳で、いくつか句を紹介(比較的知られた故事に基づいた句だけで、長い説明を要するような句は省いてあります)。

 日本編

p11「せんずりを国常立ちの尊かき」
 最初から破礼句(笑)。国常立尊は『日本書紀』の最初に登場する神様。最初だから理論上(笑)生涯独り身だった筈だから、そういう事もしただろうという句。

p12「ヲホホとアハハ鶺鴒の尾に見とれ」
  「鶺鴒は一度教えて呆れ果て」
  伊邪那岐命、伊邪那美命の話。

p17「信濃へは地響きがして日が当たり」
  天手力男神が放り投げた天岩戸が落ちたのが信州の戸隠山との伝説。

p20「神代にも欺す工面に酒が要り」
  「神代の物入り瓶を八つ買い」
  「蛇よりまづ尊一杯きこしめし」
  須佐之男命の八岐大蛇退治。

p30「打ち出でて見ればびつくり孝霊五」
  「孝霊五年あれを見ろあれを見ろ」
  孝霊五年に突如として琵琶湖が一夜にして出来、その土が富士山になったという伝説。「あれを見ろあれを見ろ」って言う表現がなんか好き(笑)。

p40「女形その始まりは日本武」
  日本武尊の熊襲討伐。

p78「佐用姫はあきらめのない女なり」
  領巾振山で知られる松浦佐用姫の伝説。出征した夫を見送り、そのまま石に化したという伝説もあり。悲しい伝説も川柳になると・・・。

p81「いら高に守屋を謗る数珠屋町」
  守屋とは仏法廃棄を主張していた物部守屋の事(当然、この時代数珠屋町はまだない(笑)。

p83「善光も木仏なればうつちやる気」
  善光寺の伝説。本田善光なる人物が難波堀江の水中にあった黄金仏を引き上げたのが始まりと言う。

p87「御厩へ取揚婆駆けつける」
  聖徳太子の伝説(取揚婆=産婆)。


 支那編

p95「神農はたびたび腹を下してみ」
  神農は支那の伝説上の人物。百草を自ら舐めて、薬効を探ったとされる。

p99「錠というものが出来たと桀の民」
  世を善く治めた堯、舜と違い、悪王桀の時代は悪人が跋扈したという伝説。

p111「喰ひますかなどと文王そばへ寄り」  
   「魚偏のない鯛を釣る妙な針」
   太公望の話。太公望こと呂尚は善く文王を補佐した人物(太公が「こういう人物を望んでいた」から「太公望」と呼ばれる)。その補佐された文王が基礎を作ったのが「周」王朝。

p116「兄弟で書き熨斗を喰う意地つ張り」
   「片意地な事だと蕨採りがいひ」
   「痩せこけた死骸があると蕨採り」
   伯夷、叔斉の話。周の武王の紂王討伐に反対して首陽山に隠れ、蕨を食って餓死したという伝説。

p131「老?子不孝の目には大たわけ」
   ?子は周代の人物。大の親孝行。70歳の時、親が歳を取った事(90歳ぐらいか)を嘆かないように、わざわざ幼児の服を着て遊び、わざと転んで幼児のように泣いて見せたりした(息子がまだ幼児だと思っているボケ老人に調子を合わせたと言う事か。一寸気持ち悪い伝説。孫文も気持ち悪がった)。

 以下、江戸町人に大人気、「孔子とそのお弟子さん」シリーズ
 識字率が異常に高かった江戸町民にとって論語は寺子屋でおなじみ(解説は若干省略します。論語を読んでね)。

p134「陽虎ではござりませぬと曰く」
  「曰く(のたまわく)」が効いてます(因みに孔子が言った場合は「のたまわく」、お弟子さんの場合は「いわく」と読み分けます)。

p135「三日目はああひだるいと曰く」
  「ひだるい」はひもじい事。

p139「変なものぶち殺したと西の狩」
  難易度高い句。『史記』にある、孔子だけが変な動物の正体が麒麟だと判った話。

p141「木枕もなくて顔淵だだをいひ」
  顔淵(顔回)が言うかな(笑)。でも肘枕では安眠できないかも。

p143「十哲の中で一てつ短慮なり」
  私も子路は好きです。

p147「唐土は昼寝をするとしかるとこ」
   「宰予昼寝ぬ」の「寝ぬ」は、「寝ていた」ので「眠っていた」のではないという説あり。

p148「孔子の涙此の人の膝へ落ち」
  これはユーモア抜き。ハンセン氏病に罹った伯牛。

p151「読めねへ本が出やしたと左官言ひ」
   難易度高し。焚書坑儒の際、儒者が壁に本を塗り込め焚書を避けたといわれる(江戸っ子の言い方なのが可笑しい)。

p159「おつかさんまた越すのかと孟子言ひ」
   「習わぬ経を覚えたで孟母越し」



p156「楽しんで淫せず野暮な柳下恵」
   柳下恵は、寒さに震えている婦人を自分の体ごと一つの衣服で包み、自らの体温で暖めた人物。有徳で知られた人物だったので、誰も「スケベ」と非難しなかった。

p158「荘子が夢の飛び歩くうららかさ」
   「荘子が寝言この猫めこの猫め」
   たしかに時々蝶々を追っかけている猫っていますね(因みに荘子は「そうじ」と読むと良いでしょう。「そうし」と読むと孔子の弟子の「曽子」と紛らわしいから)。


p164「桑を摘む女房に惚れる馬鹿なこと」
   魯の人、秋胡は結婚五日目で、五年間旅に出た。帰ってきて桑畑を見ると美人がいたので口説いたら、奥さんだった(笑)(奥さんは浮気?に腹を立てて入水しちゃいます。五年間の間、夫の母親を養っていたのだから無理もないか)。

p171「無分別だと蟷螂は意見され」
   蟷螂の斧。『淮南子』。

p193「唐土で名高い鰒は無塩なり」
   鰒(ふぐ)はブスの事で無塩は鐘離春の事。『古列女伝』より。「頭は平らで臼頭、かなつぼまなこで、大きな指、骨は節くれだち、高い鼻にくびれた喉、太い首に髪はちょっぴり、腰は曲がって鳩胸で、肌は漆のように黒く、歳が四十になっても貰い手がなく、自分で売り込んでもかたづかなかった」醜女が斉国の宣王の元に行き、あんまり酷いので興味を惹かれた宣王との謁見が許された。で、実は賢婦だったんだよね。国家が危ない理由四か条(四殆)を述べ、宣王は感心し、斉国は大いに栄え、結局、この醜女は后となりました。めでたしめでたし。

p194「裏長屋嚊(かか)あが蘇秦ほどしやべり」
   蘇秦は戦国時代の縦横家。合従策で有名。

p197「鶏を一つ頼むと関で言ひ」
   「懲り果てて函谷関に時計出来」
   孟嘗君の「鶏鳴犬盗」の故事(因みに、宋の王安石は「食客に、こんなくだらん人物を集めていたから、大人物が来なかったのだ」と突っ込んでいます)。

p205「屈原の絵を俊寛と履違い」
   どちらもやつれている。

p206「楚の国の土左衛門とんだ学者なり」
   同じく屈原。

p220「始皇帝めりめりめりと逃げて行き」
   荊軻の暗殺未遂。「めりめりめり」は袖の引きちぎれる音(笑)。

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 おまけ。
 そういえば、江戸川柳に朝鮮の故事、伝説って出てこないね。いや、江戸川柳に限らずか。





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最終更新日  2011年09月10日 08時40分03秒
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