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『犬の鼻先におなら』

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2013年07月09日
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豊富な写真。鯨発条の限界が残念。

 からくり人形の写真が多数収録されています。からくり人形は美術品としても側面もあって目を楽しませます。
 ただ惜しむらくは、どのような動きをするのか判り辛い点。分解写真のような図解が欲しい所です。

 江戸時代、金属発条がそれ程普及していなかったのは残念な事です。鯨発条は金属発条に比べどうしても力が弱い。

 メモ書き。

p4
 からくり儀右衛門こと田中久重の製作した「弓射り童子」の連続写真。的を見定める首の動きが大変素晴らしい。ほんの少しだけ首を傾げている。
 この「弓射り童子」人形は個人向けの商品であった。お金持ちではあろうが、貴族や特権階級向けではなく庶民が買っていた物だったのだ。
 この辺り当時の歌舞伎とオペラの客層の違いと似ている気がします。日本文化の特異性とは庶民文化の洗練に多く拠っているのでしょう。
p74
 「弓射り童子」の人形の表情。
 「西洋のオートマタであれば、目や口が動くところであるが、『能』にみられるような極めて日本的な動きで、同じ動きであるのに、矢が当たったときはうれしさが、外れたときは悔しさが見事に伝わってくるのである。」
 そういえば、現代のからくり人形とでも言うべき恐竜のロボットで、日米に差が見られたのは面白い事と感じた事がありました。米国製の恐竜ロボットは眉の辺りが動くのです(これは科学的にはオカシイよね)。これは恐竜の登場する子供向きのアニメなんかも同じですね。欧米人が作ると欧米人の“顔”をした恐竜になる。

p22
 「中国では時計でも、世界に先駆けて優れた機構を発明していた。11世紀、宋の時代に蘇頌(そしょう)、韓公廉(かんこうれん)らが水運儀象台なる天体観測機械を作っている。この機械は水を利用して動きの周期を決め、天球儀や時計などを自動運行していた。この機構が後に西洋に伝わり、機械時計の基になったとも言われている。」
 中国の技術の多くは一部特権階級に貢献するだけのものだったのに対し、西洋は実用、生産の手段として発達させた、との事。どうして両者にこのような違いが生まれたのか(技術的には本来支那の方がずっと上位であった)。生産力と生産関係で政治体制や文化が決定されるとする唯物史観の観点からはどう説明されるのか、なんて考えると面白いかも知れません。

p36
 「遊女の愛したからくり」
 吉野太夫「蟹の杯」。精巧な蟹の細工物。甲羅に杯を載せると、歩き出して客のもとに杯を運ぶ。見せてもらった滝沢馬琴が『著作堂一夕話』に記しているある。このからくりは現存している。
 他に同種の現存するからくりとして亀もある(蛙や兎だったら(笑)。

 この「蟹の杯」や茶運び人形のような給仕をする人形は西洋にはない。オートマタは完全に観賞用の人形。

p42
 「段返り人形」はしばしば失敗するという話(「段返り人形」とはとんぼ返りのような動きをしながら階段を下りていく人形。人形胴部に納められた水銀等の移動による)。
 「綾渡りと同じように、失敗するから人気があったと思われる。西洋のオートマタで、失敗を売り物にしたものなど聞いた事もない。日本人独特の感覚から生まれたからくりである。」
 「弓射り童子」には意図的に失敗する矢が混ぜられています。
 演出上の効果としては日本の方が一枚上手。
 ただ、もしからくりを自然の模倣、再現と捉えるなら、西洋と日本の自然観の違いが現れているのかも知れません。謂わば、最初に神様が螺子を巻けば後は自動的に間違いなく運行される“自然”と、その都度生成し変化する“自然”の違い。

p76
 江戸時代の日本は「無螺子文化」。
 技術レベルは非常に高く、かつ「螺子」という概念を全く知らなかった訳でもないのに、普及しなかったのは何故だろう。

p49
 「幕末から明治初期に活躍した田中久重は現在の東芝の前進である芝浦製作所の創始者としても有名である。
」からくり儀衛門が東芝を作ったのか。

p108
 「(幕府)天文方に文化八年(1811)設けられた蛮書和解御用係は後に、開成所を経て、東京大学の母体となっている。」東大のルーツは幕府天文方だったのか。

p108
 伊能忠敬が全国測量に使った器具を製作したのが、大野弥三郎規好。その息子の大野規周は文久二年(1862)、欧州に留学生として派遣されている。この当時から職人(技術者)を派遣していた訳だ。
 彼の腕にはオランダ人技術者も驚嘆したという。

p108
 文政年間には大野規周らの他にも天文具司や測器師が現れる。それも幕府御用ではなく、一般庶民向けであった。
 大隅源助を名乗る店の引き札(広告)が残っている。江戸時代から浅草茅町二丁目で営業され、眼鏡、望遠鏡、温度計、時計、幻灯機らしいものの広告がある。
 凄いね、江戸時代。流石に子供が「望遠鏡、買って、買って」と店先で駄々を捏ねていたとは思いませんが、大店の道楽息子が買って帰り、太鼓持ちが「よ、若旦那、粋なご趣味でげすな」ぐらいは言っていたかもしれません。女の子にも、もてたんじゃないでしょうか。

p110
 からくり伊賀七の「酒買い人形」の話。
 「茶運び人形」の様なものであろうか。筋向いの酒屋まで酒を買いに行ったという。酒の量を誤魔化した時には動かなかったという。
 動力は何だったのであろうか。誇張された伝説のような気もします。

p113
 「からくりでは、まさに科学と技術の区別がない。目に見えるものが全てである。」
 名言のような気がします。

p86
 1800年代には真鍮の手延べの発条が使用され始める(田中久重らが使用)。
 金属加工の為の知識と技術は当時の最先端のもの。例えば、沖牙太郎は江戸時代は秋芸藩の銀細工師であったが、明治になってからは、その知識と技術を活かし、電信機などの製作を行い、現在の沖電気の創始者となったのである。 
 
 日本の電気メーカーの歴史を辿ると、江戸時代まで行き着くというのは興味深い事です。明治維新でいきなり近代化した訳ではないんですね。







最終更新日  2013年07月31日 22時59分57秒
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