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『犬の鼻先におなら』

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φ(..;)来た見た書いた

2013年08月07日
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ステレオタイプ。力点の場所を間違えている。固形物ばかり喰うな。「相棒」役者発見祭り。

 この映画は褒めないと“政治的”に正しくない事になりますよ。愛国運動も結構ですが、貶すと馬鹿と思われますよ(BYニポンリベラル)。以上感想終わり。

 
 (以下、“政治的”に“良い子”の皆は読んじゃ駄目だよ)

 アホらしいのでだらだら書きます。

 テレビで充分です。いつか必ず放送するでしょう。作っているのはテレ朝ですし。 
 水谷豊を観に行ったようなもんです(「相棒」好きだから、まぁいいか)。
 想像以上に駄目でした。

 まず原作。これが一部では有名な代物。妹尾河童の『少年H』。これが酷い、作者の人格が疑われるレベルと大評判(?)。
 「自らの記憶と体験を元に書いた作品である」と言いながら、「お前は超能力者か!」のありえない記述のオンパレード。戦後明らかになった史実を何故か父親が知っていたり、参考にしたモト本『昭和二万日の全記録5巻・一億の「新体制」』の誤記を右から左に写していたりと、「何がどう、自らの記憶と体験なんだよ」の世界。
 あんまりにあんまりな内容に、児童文学者の山中恒氏が『間違いだらけの少年H』という本を態々、病(癌、心筋梗塞)をおして著した程。『少年H』より『間違いだらけの少年H』の方がずっと分厚く興味深い本になりました(笑)。
 
 念の為に書いておきますが山中氏は別にネトウヨ(笑)でも軍国主義者でも何でもない、強いて言えば寧ろ左翼の人です。「夥しい数の歴史的な齟齬と事実誤認」の出鱈目さが嫌なだけ(「年表と新聞の縮刷版をふくらませて作り上げたような作品」「戦争体験者の酒の席での与太話を小説風にまとめただけのもの」とは山中氏の評との事)。
 なお山中氏は野間児童文学賞最終審査会でもオカシイ点を指摘したそうですが、ハイ無かった事にされました。出版社もグル。そして目出度く340万部のベストセラーになったとさ。
 これはある意味戦前より酷いんじゃない?それともニポンリベラルなら言論弾圧と印象操作はスバラシイのか。せめてやるならスターリン並に徹底すべきでしょうね。左翼の人の批判なのでニポンリベラル大困惑の大混乱。 

 なお、この『間違いだらけの少年H』が発表されると、妹尾河童はこっそりと指摘された箇所を修正しています。

 結局、“超能力”少年「H」クンの「ボクの一家はこんなに聡明で道徳的にスバラシイ一家でした。ドウダ。周りの人間は戦争賛美の馬鹿ばっか。だから僕達のような偉大なリベラル一家が迷惑するんだよね」という自慢話で、当然「ボクのような全知全能、道徳完全人間のリベラル人が、永久戦犯民族ニポン人を支配する。その為には、嘘に印象操作に隠蔽工作と、何をやっても許されるのさ」に繋がる訳です(ニポンリベラルというのは思想上の問題ではなく、ある種の人格異常者が自己の異常性を正当化する為の「オイシイ理屈」として所謂左翼思想を利用しているんでしょうね。〔もっとも「利用できてしまう、親和性がある」と言う事は結構大きい。フランス革命の時から左翼の歴史は言論弾圧、大量虐殺、強制収容所の歴史だからね〕)。

 (関係ないけど、山中恒氏ってNHK少年ドラマシリーズの『とべたら本こ』『ぼくがぼくであること』の原作を書いた人だったんですね)


 しかし、原作がクソでも映画が素晴らしいと言う事はありえるしな(脚本は『三丁目の夕日』の古沢良太氏)。

 それに、「盛られている思想がウ○チでも、映画としての評価は別」だしね(ナチの宣伝映画『意志の勝利』は冒頭の空撮から見せたものね)。

 という訳で、観てきました。同行者は戦争体験者の老母(昔の事を思い出すのはとても良いそうだ)。

 
 前半は当に上記の原作のノリ。“超能力少年H”の“超能力者”ぶりを遺憾なく発揮されております。「新聞で報道されているのは皆嘘だぁ」とかね、超能力で判るの(笑)。
 ニポンリベラルのプロパガンダ。
 プロパガンダでも別に構わないけど、台詞で主張(イデオロギー)を“説明”しちゃうというのは、映画として駄目なんじゃない。
 以下、如何にもニポンリベラルが言いそうなエピソードの連続。所々に妹尾氏の“自慢”が入ります。
 ステレオタイプのオンパレード

 横目で見たら、老母は寝てました。そりゃ寝るわな。
 起こす鬼息子。

 映画終了後、感想を尋ねたら一言「(主人公一家が)固形物ばかり食べている」。そこですか(笑)。
 ここ、説明が要りますかね。当時、日本の都心部は食糧難でとても薄い雑炊(?)ふうの“何か”を食べているのが普通だった訳です(念の為、書いておくと、日本の全地域がそうだった訳ではないよ。地方の農村なんかでは、一番酷い時でも白米をお腹一杯食べていたという所もある。色々ね)
 
 ストーリーの展開上、“液状食品”を出せなかったのかも知れないが、“プロパガンダ”としてここは間違えていると思うよ。「戦争は悲惨だぁ~。だから反対だぁ」と言いたい訳でしょ。だったら、こういう点をリアルに描写しなきゃ。台詞で“説明”してどうすんの。

 反戦物は細部描写が大事
 
 私も寝そう。
 ここで映画評論の神、淀川長治の精神を思い出します(笑)(この人は凄かったね。「どんな映画でも必ず良い所がある」と必ず褒めるの。どうしようもないクソ映画でも「レストランのシーン。出て来たお皿の模様が素晴らしかったですね」(笑)スゴイよ)

 という訳で、「脳内『相棒』祭り」(笑)。

 この映画、「相棒」でお馴染みの役者さんが結構出ているんですよ。君は何人見つけられるか。

 「小野田官房長」の岸辺一徳さんは直ぐに判る。吉村役の国村隼さんは「劇場版2」に悪役の「長谷川警視庁副総監」で出てたね。他、錠剤大好き「大河内監察官」の神保悟志さんがチラリと出ていた(たぶん)。

 「脳内『相棒』祭り」の最大の山場はこれ。
 トリオ・ザ・捜一の一番若い「芹沢巡査」が「杉下右京」を拷問していた(笑)。鉛筆を指に挟んでグイグイ。いいのか、芹沢。イタミンならまだしも、芹沢が杉下右京に拷問かけるとは。芹沢、大きくなったな。ファンとして嬉しい(笑)。

 本来なら特高警察は鬼畜のイメージ(ステレオタイプ)なんだけど、「芹沢巡査」のイメージが強すぎて、そんなに悪い人に見えないなぁ。

 結局、この映画の最大の問題点は「鑑識の米沢さん」の六角精児さんと、「暇かっ」の「角田課長」山西惇さんが出ていない事にある、といえるだろう(なんかもう、「相棒」の役者さん観に来てる感じ)。


(その2)に続くのかぁ。







最終更新日  2013年08月23日 07時23分46秒
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2013年08月06日
(その1)の続き。

 後半は少しマシに。
 ステレオタイプではなく、“人間”として父親が描かれる様に。

 少年Hが、人格のマトモな軍事教練担当の軍人から、自分の教練射撃部に入部しないかと誘われた時の、父親のアドバイス。「それで配属将校から目をつけられなくなるなら、入ったほうが良い」。同様のアドバイスを母親にも与える。

 また、少年Hが米国から来た絵葉書を友人に見せたばかりに、机に「スパイ」と落書きされる破目に。怒って少年Hは友人を詰問しに行こうとすると「その友人もお前に言われた通りの事を友達に喋っただけじゃないのかい。犯人探しなんて詰まらないからおやめよ」。

 大人の優しさと知恵で諭す父親。水谷豊の演技もあって味わい深い。

 こういう所を膨らますべきじゃないのか、この映画。力点の場所を間違えている。
 
 イデオロギー宣伝に主力を注ぐと、“硬直”した平板な人間像しか描けなくなくなってしまう。それは、どこの時代のどの国、どの民族にも通じる、豊かな人間描写を放棄するという事なんだよね。

 それに、時間も喰われちゃう(笑)。
 後半は、折角“面白く”なって来たにも関わらず、詰め込み、端折り過ぎ。

 終戦後、あの聡明で物静かだが強い意志を持った父親が気が抜けたような虚脱状態になる。
 興味深いエピソードなのに、ここ説明不足。軍国主義者、国粋主義者が負けた為に放心するのは判る。しかし、父親はそれらと全く正反対の人物の筈。何故、虚脱状態になるのか。これは「ミシンが焼けて仕事が出来なくなった」だけでは説明がつかない。

 少年Hが自殺を決意するまで悩む、というのも、描写が足りないせいで「なんじゃこりゃ」。唐突に始まり唐突にエピソードが終わる。

 ホント端折りましたね。
 ここをメインに描写しなきゃ駄目じゃない。
 
 原田泰造演じる軍事教練教官が可笑しい。脚本家も監督も恐らく意図しない所で可笑しい。
 戦前は少年Hをボコボコに殴る鬼畜野郎で、おぉ、原田泰造氏見事に好演。
 で、戦後コロリと180度転向。共産党の演説集会なんかに出席している。 
 で、少年Hは「大人は信じられなぁ~い」と。

 でも、そうは感じられない。
 少年Hが転向を難詰すると、原田泰造、やたらと腰が低い。人の良い庶民という印象だけ。小狡さ、卑屈さが感じられない。
 つまり戦争中という特殊な社会状況だったから、凶暴であっただけで、元々は小心で善良な人物。単に元に戻っただけ(これ演じた原田泰造氏の解釈か)という事。転向という感じではない(糅てて加えて時々テレビで観るお笑い芸人としての印象もあって、「原田泰造。許してやろうよ。根はいい奴だよ、たぶん」(笑)。

 「大人は信じられなぁ~い」という話にするのなら、「腰が低い」では駄目。
 『橋のない川』の住井すゑレベルのクソクズ人間を出さなきゃ駄目
 
 「戦争はありがたい。戦争は価値の標準を正しくしてくれる。そして人間の心に等しく豊かさを与えてくれる」「戦争はありがたい。あり余る物によって却って心を貧しくされがちな人間の弱点を追い払って、真に豊かなものを与えようとしていてくれる」 住井すゑ。このクソクズは戦争中散々、こうした戦争賛美の随筆や小説を書いていたのだが、戦後一転「戦犯天皇粉砕ぁ~い」の反戦反差別作家として出版、言論界で絶大の権勢を誇っていたのだ。
 
 「そんな筈がある訳がない。ネトウヨには困ったもんだなぁ。ははは」と思ったでしょ(脊髄反射かい)。

 これは朝日新聞社の雑誌『RONZA』(95年8月号)に特集を組まれていたもの(「朝日はネトウヨだぁ」か)。
 あのアサピーですら、この住井すゑのクソクズっぷりに腹を据えかねたのだろう。
 だが、それだけではない。
 朝日の記者がこの件を突っ込むと、なんと住井すゑは「ほほほ・・・。何を書いたか、みんな忘れましたね」「書いたものにいちいち深い責任感じていたら、命がいくらあっても足りませんよ」と答えているのだ
 
 本当の人間のクズ。というより人格異常者だろう。正にこれが“ニポンリベラル”の正体。
 (今、この“衣鉢”(笑)を継いでいるのが、大江健三郎。このクズも原発を容認していたくせに、なんの説明もなく口をぬぐって反原発の旗手サマに御転向で、一山当てました。さすが、独裁国家北朝鮮を賛美しているだけの事はあるよ)

 そう、このレベルの鬼畜、クソクズっぷりを出さなきゃ「大人って信じられなぁ~い」の説得力が出ない。原田泰造じゃあ、ただの「いい人に戻ってよかったね。目出度し目出度し」だ。

 だが、クスクズは出せない。無理だ。何故か。
 作者の妹尾河童も、“ニポンリベラル”だから(笑)。


 モスクワ映画祭で受賞したのは“政治的”理由だろうな(地下資源がらみの問題でロシアは接近したがっているからね)。

 いや、もっと情けないレベルで、そもそも「戦争中、日本人が大量虐殺されていた」という事に衝撃を受けたからかも知れない。
 殆どの大都市は空襲で徹底的に破壊され、日本人非戦闘員が大量虐殺されていた(1945年3月10日の東京大空襲だけで死者10万人以上)。海外では、一流のジャーナリスト、インテリの類でさえ、こうした事実は全く知られていない。えっ!って驚くぐらい知られていない。


 結論。
 プロパガンダなら、プロパガンダでもいいけど、プロパガンダ映画としても三流。
 出演俳優のファンだけ、テレビで見ればいい。

 たぶん、ちゃんとした“反戦”映画を作りたいなら、第二次大戦に材を取ってはもう駄目なんじゃないでしょうか。



ひょっとして角田課長出てた?






最終更新日  2013年08月23日 07時32分25秒
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2013年07月09日
豊富な写真。鯨発条の限界が残念。

 からくり人形の写真が多数収録されています。からくり人形は美術品としても側面もあって目を楽しませます。
 ただ惜しむらくは、どのような動きをするのか判り辛い点。分解写真のような図解が欲しい所です。

 江戸時代、金属発条がそれ程普及していなかったのは残念な事です。鯨発条は金属発条に比べどうしても力が弱い。

 メモ書き。

p4
 からくり儀右衛門こと田中久重の製作した「弓射り童子」の連続写真。的を見定める首の動きが大変素晴らしい。ほんの少しだけ首を傾げている。
 この「弓射り童子」人形は個人向けの商品であった。お金持ちではあろうが、貴族や特権階級向けではなく庶民が買っていた物だったのだ。
 この辺り当時の歌舞伎とオペラの客層の違いと似ている気がします。日本文化の特異性とは庶民文化の洗練に多く拠っているのでしょう。
p74
 「弓射り童子」の人形の表情。
 「西洋のオートマタであれば、目や口が動くところであるが、『能』にみられるような極めて日本的な動きで、同じ動きであるのに、矢が当たったときはうれしさが、外れたときは悔しさが見事に伝わってくるのである。」
 そういえば、現代のからくり人形とでも言うべき恐竜のロボットで、日米に差が見られたのは面白い事と感じた事がありました。米国製の恐竜ロボットは眉の辺りが動くのです(これは科学的にはオカシイよね)。これは恐竜の登場する子供向きのアニメなんかも同じですね。欧米人が作ると欧米人の“顔”をした恐竜になる。

p22
 「中国では時計でも、世界に先駆けて優れた機構を発明していた。11世紀、宋の時代に蘇頌(そしょう)、韓公廉(かんこうれん)らが水運儀象台なる天体観測機械を作っている。この機械は水を利用して動きの周期を決め、天球儀や時計などを自動運行していた。この機構が後に西洋に伝わり、機械時計の基になったとも言われている。」
 中国の技術の多くは一部特権階級に貢献するだけのものだったのに対し、西洋は実用、生産の手段として発達させた、との事。どうして両者にこのような違いが生まれたのか(技術的には本来支那の方がずっと上位であった)。生産力と生産関係で政治体制や文化が決定されるとする唯物史観の観点からはどう説明されるのか、なんて考えると面白いかも知れません。

p36
 「遊女の愛したからくり」
 吉野太夫「蟹の杯」。精巧な蟹の細工物。甲羅に杯を載せると、歩き出して客のもとに杯を運ぶ。見せてもらった滝沢馬琴が『著作堂一夕話』に記しているある。このからくりは現存している。
 他に同種の現存するからくりとして亀もある(蛙や兎だったら(笑)。

 この「蟹の杯」や茶運び人形のような給仕をする人形は西洋にはない。オートマタは完全に観賞用の人形。

p42
 「段返り人形」はしばしば失敗するという話(「段返り人形」とはとんぼ返りのような動きをしながら階段を下りていく人形。人形胴部に納められた水銀等の移動による)。
 「綾渡りと同じように、失敗するから人気があったと思われる。西洋のオートマタで、失敗を売り物にしたものなど聞いた事もない。日本人独特の感覚から生まれたからくりである。」
 「弓射り童子」には意図的に失敗する矢が混ぜられています。
 演出上の効果としては日本の方が一枚上手。
 ただ、もしからくりを自然の模倣、再現と捉えるなら、西洋と日本の自然観の違いが現れているのかも知れません。謂わば、最初に神様が螺子を巻けば後は自動的に間違いなく運行される“自然”と、その都度生成し変化する“自然”の違い。

p76
 江戸時代の日本は「無螺子文化」。
 技術レベルは非常に高く、かつ「螺子」という概念を全く知らなかった訳でもないのに、普及しなかったのは何故だろう。

p49
 「幕末から明治初期に活躍した田中久重は現在の東芝の前進である芝浦製作所の創始者としても有名である。
」からくり儀衛門が東芝を作ったのか。

p108
 「(幕府)天文方に文化八年(1811)設けられた蛮書和解御用係は後に、開成所を経て、東京大学の母体となっている。」東大のルーツは幕府天文方だったのか。

p108
 伊能忠敬が全国測量に使った器具を製作したのが、大野弥三郎規好。その息子の大野規周は文久二年(1862)、欧州に留学生として派遣されている。この当時から職人(技術者)を派遣していた訳だ。
 彼の腕にはオランダ人技術者も驚嘆したという。

p108
 文政年間には大野規周らの他にも天文具司や測器師が現れる。それも幕府御用ではなく、一般庶民向けであった。
 大隅源助を名乗る店の引き札(広告)が残っている。江戸時代から浅草茅町二丁目で営業され、眼鏡、望遠鏡、温度計、時計、幻灯機らしいものの広告がある。
 凄いね、江戸時代。流石に子供が「望遠鏡、買って、買って」と店先で駄々を捏ねていたとは思いませんが、大店の道楽息子が買って帰り、太鼓持ちが「よ、若旦那、粋なご趣味でげすな」ぐらいは言っていたかもしれません。女の子にも、もてたんじゃないでしょうか。

p110
 からくり伊賀七の「酒買い人形」の話。
 「茶運び人形」の様なものであろうか。筋向いの酒屋まで酒を買いに行ったという。酒の量を誤魔化した時には動かなかったという。
 動力は何だったのであろうか。誇張された伝説のような気もします。

p113
 「からくりでは、まさに科学と技術の区別がない。目に見えるものが全てである。」
 名言のような気がします。

p86
 1800年代には真鍮の手延べの発条が使用され始める(田中久重らが使用)。
 金属加工の為の知識と技術は当時の最先端のもの。例えば、沖牙太郎は江戸時代は秋芸藩の銀細工師であったが、明治になってからは、その知識と技術を活かし、電信機などの製作を行い、現在の沖電気の創始者となったのである。 
 
 日本の電気メーカーの歴史を辿ると、江戸時代まで行き着くというのは興味深い事です。明治維新でいきなり近代化した訳ではないんですね。







最終更新日  2013年07月31日 22時59分57秒
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2013年06月20日
傑作。カタルシスゼロの大人の味わい。たとえハーモニーは崩れるとも、人生は続く。

 文句なく傑作だと思います。お勧めです。
 ただし、若い方は感情移入が難しいかもしれませんね。

 粗筋。
 世界的に著名な弦楽四重奏団「フーガ」。記念すべき25周年に演奏するのは難曲ベートーベンの「弦楽四重奏第14番」。
 ところが、リーダー的立場の老チェリストがパーキンソン病に蝕まれてしまう。引退を決意するチェリスト。友情以上の固い、しかし繊細な絆で結ばれていた弦楽四重奏団メンバーに動揺が生じる。
 やがてその動揺は、メンバー達が当人達も気付かずに蓄積していった様々な葛藤を表面化させて行く。競争心、嫉妬、怒り、そして浮気。
 果たして、25周年記念演奏会の幕が上がり、「弦楽四重奏第14番」は演奏されるのだろうか。


 粗筋のみですと、他にも同工異曲の作品があるのではと、お思いになるかと思います。
 私もロックバンドの話で観た事があるような気がします。仲のよかった仲間が、途中から仲間割れ。しかし、ある切欠から再び友情を取り戻し、ロックコンテストやらレコーディングやらに漕ぎ着け、目出度し、目出度し。こういった話。

 ただ、思い出して欲しいのですが、貴方がご存知のこういった話、それは、「青春物」ではありませんでしたか。そして「青春物」に相応しく最後はハッピーエンドで、スカッと爽やか、カタルシスが感じられる映画だったのではないでしょうか。

 この映画は違います。何しろ「25年目」ですから。全員、中高年(笑)。
 簡単にやり直せるようにはなりません(というより、無理でしょう)。
 
 “文芸映画(ここではこの語を褒めて使っています(笑)”なので、この辺り、娯楽色の強い、所謂“ハリウッド”映画とは違う展開です(所謂“ハリウッド”映画なら、絶対「年齢なんか関係ない。いつでもやり直せる。いつでも心は若者さ。若さバンザイ」という話になるのでしょう)。
 
 その為、最後に、スカッと爽やかなカタルシスが観客に与えられる事はありません。ある意味、苦い映画なのです。

 だが、最後の最後に、希望ならざる“希望”とでも言うべきものが立ち上がり、話は「解決が付かない」という“解決”をみる事になります。
 逆説的な話です。
 若者ではないから修復は不可能。しかしそれ故に、「人生にはそういう解決が付かない問題もあるのだ」という知恵を身につける事が可能になるのです。

 ただ、最後の最後にメンバーに大きな変化があった後の演奏の音色、それはそれ以前に比べ、力強く、明るく、希望に満ちたような響が感じられます。
 やっぱり、ハッピーエンドなんでしょうね。

 
 ベートーベンの「弦楽四重奏第14番」を人生のメタファーに持ってきた本作品、着想の点で素晴らしいです。
 ベートーベンの最高傑作の一つとも言われ、愛好家の多いこの楽曲は、全7楽章をアタッカ(楽章の境目を切れ目なく)で演奏する事が要求されます。約40分間弾きっぱなし。人生の様に止まることなく進むよりしょうがない。
 たとえ演奏するに従って、楽器の音程が狂ってきたとしても、途中で調律は不可能。人生と同じように、元に戻って最初からという訳には行きません。
 “ハーモニー”が徐々に失われていく中、どう“曲”を弾き続けるのか

  
 老チェリスト役にクリストファー・ウォーケン。私が最初に印象に残ったのは『デッドゾーン』でした。もうスッカリお爺ちゃんですね。最近だとテレビ東京『孤高のグルメ』シリーズでの飄々とした演技が印象的です(それ違う違う、松重豊さん)。
 他、「冷静沈着の筈がやっぱりそりゃマズイよ」の第一ヴァイオリン奏者役にマーク・イヴァニール。「秘めた矜持」と「馬鹿やっちゃって」と「鉄拳」であがくの第二ヴァイオリン奏者役にフィリップ・シーモア・ホフマン。「妻、母、演奏家の全部は無理が露呈」のヴィオラ奏者役にキャサリン・キーナー。「意外とこの子が一番大人の判断を示したんじゃない」のヴィオラ奏者の娘役にイモージェン・プーツ。見ごたえばっちりの一流の役者さん達、演技の火花が散ります。


 本作品、“欧米文化”というものも感じます(テーマは充分に普遍的なんですが)。
 「あそこで、あんな直球で事を言わないだろう。やらないだろう。空気読むだろう」という気がするシーンもあって、でも当然の事ですが、そもそも“空気”に当たる概念が欧米にはないのでした。よって、即座に亀裂は表面化。
 日本人だともっと隠微な展開になっていたかも知れません。文化の“チューニング”能力(これはこれで大変なんだけどね)。


 ベートーベンの「弦楽四重奏第14番」は、バッと上がって、ポンッて感じで終わる印象。これはこれで幸福な人生かな。






最終更新日  2013年07月02日 21時30分20秒
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2013年05月26日
意外と盲点だよね、近代中国史と日本。

 近代中国の歴史的重要人物の多くは留学、亡命等、日本と関係が深い人物が多い。この辺り、今の中国ではどういった扱いなのでしょうか(たぶん党による隠蔽)。
 一方日本では、「近代中国に於ける日本の影響」と言えば「兎に角、悪事しかしてこなかった。未来永劫永久に土下座謝罪です!」としか教えてはいけない事になっている(こちらもニポンサヨクによる隠蔽)。ニポンサヨクの紋切り型台詞「ニポン人は歴史を知らない」の“歴史”とは「特定歴史」とでも称すべきものなのでしょう。
 有史以前からの両地域の密な交流関係(一方向的な関係じゃないよ)は、戦前まで脈々と続いていたのに、この認識は。
 中国では共産党が独裁体制を敷き、日本ではニポンサヨクがヘゲモニーを握っている今が、一番両地域が疎遠になった時代なんじゃないでしょうか。皮肉と言えば皮肉、当然と言えば当然の話なのでしょう。 

 とはいえ、話題に挙がる中国史が古代(三国志とかね)にのみ偏っているとは言えそうです。「中国近代史と日本」というのはもっと語られて良いテーマでしょう。 
 (忙しいので今回は手抜きのメモ)

p14「もっとも倭寇といっても、その八割は中国人だった。王朝交代期に前王朝の残存勢力で海にのがれた者、もともと戸籍をもたない者など、自分だけでは勢力にならない者が倭寇と称して海岸を荒らしたのです。」
 八割!ならば殆ど“冤罪”ですね(他に朝鮮人もいたとすれば、更に日本人の割合は)。

p122「1902年、魯迅は江南督練公所から派遣されて日本に留学します。1年後に魯迅は辮髪を切る。そして「私にはじめて満漢の区別をさとらせたのは、書物ではなく辮髪であった」と留学当初のころを回顧しています。(辮髪を切った為、帰郷すれば謀反人として殺される魯迅は、上海で2元で辮髪のカツラを買っているとの事)。」
 恐るべし、辮髪!切れば死刑(あれ、トイレで誤ってウxxの上に垂らしちゃうなんていう事はないのかな)。

p142 シンポ的知識人から見れば、“反動”であった王国維の人生の哀しさ(入水自殺っていうけど、意外と水深浅かったのね。湖底の泥による窒息死だったのか)。


 中国史関連の本を読むと、しばしば妙な気分に襲われます。「あれ、何時代の話だったっけ」。時代の“ホワイトアウト”現象。時代の前後が一瞬混乱。
 マルクスなぞは馬鹿にして「アジア的停滞」なんぞと言っておりますが、「中国は古代から進みすぎていた。進みすぎていたから後は特に変化(進歩)しようがない」と言えると思います。

 でもこれ、逆に言えば、「現代でも“古代”“中世”」とも言える訳で。
 現代中国の社会事情は時々日本人を面食らわせますが、あれ、所謂“近代”の感覚ではないからかもしれない。

 「近代」は普遍的か。あるいは超地域的、超民族的なものか。







最終更新日  2013年05月26日 15時03分50秒
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2013年03月12日
単なる訳本ではなかった。星氏の分析が面白い。

 星新一氏の本は数冊を除いて全て読んでいると思いますが、この本はその例外中の一冊でした(因みに他は『生命のふしぎ』『黒い光』『天国からの道』)。
 ただの翻訳だろうと敬遠していたのですね。流石に竹取物語なら話を知らない訳はありませんし。

 しかし、読んでみると意外に面白いものでした。
 
 章が変わるごとに「ちょっと、一息」と星新一独自の感想が入るのです。この部分が想像以上に長い。長くて得した気分。
 主に創作者としての視点から、竹取物語の“工夫”と“仕掛け”について、星新一が解説していきます。

 五人の求婚者のそれぞれの特徴分析など面白いなぁ。そもそも各々に性格的な違いがあると、考えた事もなかった(子安貝の人だけ若干違うかなと思った程度)。やはり、きちんと読まなければいけませんね(「有名な物語の不幸」というものはありますね。誰でも粗筋を知っているので、読んだ気になっちゃう。読む気になれない)。

 また、性格に関する論評も星新一ならではのものが感じられます。例えば、騙す為、「玉の枝」の偽造を職人に命じて作らせ、延々とかぐや姫に冒険譚を語った求婚者。私の昔受けた印象では、悪知恵の働く汚い人物というものだったのですが、星新一は違います。
 p50「計画の立て方もよかったし、それなりの努力もしている。」
 p51「まったく、すごいやつさ。その着想、財力、努力、物語を作らせても天下一品。しかも、身分だっていい。普通だったら、理想的な人物と扱っていいと思う。」
 ちょっと、ちょっと(笑)。しかし道徳訓ではないのだから、こういう評価で良いのでしょう(“アメリカンドライ”だね、星新一氏は)。
 一方、子安貝を得るべく、律儀に燕の巣を探っているうちに落ちて死んでしまった人物。私の昔の印象では、まぁまともな人物というものでしたが、星新一の評は
 p88「この人物の特色は、他人の意見をつぎつぎに求め、よりよい意見があると、それを試みる。最後には、自分で確認しようとする。経営学のはじまりみたいだ。」
 p89「この部分の物語の面白さは、自主性のない人物と、その部下の男達の、ドタバタにあるのは、すぐにわかる。」
 とバッサリ。


 天人がかぐや姫に着せる、羽衣の機能のアイディアが凄いと星新一。着用させると思考を一変させてしまうのです。確かにこれは凄い着想。空を飛ぶとか、百人力になるといった物理的なものは思いつくでしょうが。少なくとも10世紀以前にこのアイディアは凄い(これも指摘されて気付いたなぁ)。

 なお、星氏はチベットにある竹取物語類似の民話との関係について、日本の竹取物語が伝わったものではないかと、述べています(自分の作品も良く翻訳されているので、そのうち自分の話も民話扱いになるのではないか、だって(笑)。


巻末に原文も収録されていました。






最終更新日  2013年04月26日 06時09分20秒
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2013年02月27日
必要なのは感傷ではなく考える事では。

 う~ん。これで良いのかなぁ。
 話の決着の付け方も、描き方も、これで良いのかなぁ。
 でも、実話だそうだからなぁ。良いも悪いもないのか。

 やっぱり犬の映画だと点が甘くなります。

 パンフより粗筋。
 保健所に収容された母犬と生まれたばかりの3匹の子犬。母犬は近寄る人全てに激しく吠え、懸命に我が子を守ろうとする。妻を亡くし男手一つで二人の子供を育てる保健所職員の主人公は、そんな母犬の姿に心を打たれ、彼らを助けようと奮闘する。だが、保健所が預かれる期間は7日間だけであった・・・。

 主演は堺雅人。私の好きな俳優さんです。ご出身は宮崎県だそうで、本映画の宮崎弁は“ネイティブ”。
 また本映画監督の平松恵美子女史は20年間山田洋次監督の助監督を務められた方だそうです。そういえば、山田洋次監督の後期作品に作風が似ている気がします。
 
 犬の演技が素晴らしい(正確に言うと「調教師の宮忠臣さんが」でしょうが)。母犬を“演じた”柴犬は『マリと子犬の物語』でマリ役を務めた犬だそうです。2作も主役級を務めたというのは大スターですね(牙をむき出しにして威嚇しているアップのカットが数箇所あるが、あれは機械仕掛けのぬいぐるみなんではないだろうか。少しぎこちない気がする。機械仕掛けのぬいぐるみは一箇所も使っていないのなら、完全に脱帽)。

 オードリーの若林正恭氏は本作品が映画初出演。
 初出演なのに出るわ出るわ、完全に主要登場人物。出来は、う~ん「初めてにしては上手い方です」。
 オードリーの若林氏って動きで笑わせる芸人ではないよなぁ。なんで抜擢したんだろうか。暇をもてあましてブラブラしている演技とか、こけて転ぶ演技とか、あんまり笑えるとは思わず。漫才コントの才能と喜劇俳優の才能は全く別のものだと改めて認識。
 まぁ、演じた人物の人柄の良さは伝わったので、それで充分なのでしょう。


 ここからネタバレ。

 肩透かしを喰ったような気分です。
 ストーリーとしては『ロレンツォのオイル』のような展開を期待していました。
 つまり、「“感傷”を越えて、理知と人々の協力により解決“方法”を見つけ出す物語」という事ですね。

 本映画、ハッピーエンドなんでしょうかね。
 というより、ハッピーエンドにして良かったのか(そりゃ、実話だからこうなるんだと言われたら、終わりなんですが)。

 たまたま、この犬が良い人に巡り合ったというだけですよね(身も蓋もない言い方ですが)。
 収容施設の他の犬はどうなったんでしょうか。

 (そもそも題名の「7日間」からして首を捻ります。だって最終的には保健所職員の方が引き取るんですよね。だったらさっさと初めから引き取って、自宅で7日間といわず一ヶ月でも一年でもたっぷり時間を掛けてこの犬の心を開けばいいじゃないですか。「この犬を第三者に引き取らせたい。しかしその為には人を噛む状態じゃ駄目だ。あぁ時間は7日間しかない」だと思いましたよ。「おぉ、この主人公の保健所職員は2頭も大型犬を飼っている。なるほど、これはこの人が新たに犬を飼えないという、伏線だな。上手い」なんて、そんな事も考えておりました(笑)。これもやっぱり「実話だからしょうがない」かなぁ)

 ここには(観客自身の問題でもあるという)普遍的な“方法”への“希求心”“意志”がない。普遍的な“方法”を求める心がなければ、(観客とは所詮関係のない)ただの“感傷”と“感想”が残るだけなんでは。

 いや、別にいいんですけどね、映画だから。値段に見合う分だけ楽しんで、それで帰れば充分ですから(皮肉に非ず。映画は“商品”なり)。

 ただ・・・。
 「現在、日本では年間約8万7千頭の犬が保健所に収容され、そのうち約5万3千頭が殺処分されている」とはパンフの文章。
 本作品、制作者サイドは所謂“社会的問題”の提起を願ったと思うのですが。

 
 本作品では犬が大量殺処分されている原因を、犬を棄てた人間の“人格”にのみ求めています。つまり「世の中には悪人がいて、悪事を行う。何故悪人は悪事を働くかというとそれは彼らが悪人だから」という思考停止の循環論法。

 そりゃ確かに犬をただの玩具だかアクセサリーだかの“物体”だと思っているクソ野郎もいますよ。
 しかしそれで、殺処分されている5万3千頭の全てを説明できるんでしょうか。

 典型例が本作品に登場した「老衰し恐らくは病気の大型犬」を保健所に引き取ってもらおうとした市民と保健所職員の問答のシークエンス(画面に市民は登場しません。オードリー若林氏演じる職員の報告という形)。
 本映画では市民がただのクソ野郎という設定なのですが、現実の問題としてどうか。

 仕事による転勤、飼い主の健康問題etc、様々な理由で犬が飼えなくなる、泣く泣く手放すという事があるのではないのか。
 無論、通常引き取り手を探すわけですが、「老衰し病気の大型犬」を引き取っても良いという人がそう簡単に見つかるとは思えません(見つかった場合でも多くは「既に老衰し病気の大型犬を飼っている」ので更にもう一頭飼うのは難しいでしょう)。
 どうすれば良いのでしょうか。

 「どうすれば良いのか」と考えるべきなのであって、それを「悪人がいるからだぁ」で止めてしまってはイカンでしょう(もっと言えば、仮に「原因は全て飼い主の鬼畜人格」であったとしても、その「鬼畜人格の持主」にどう対応するかという問題がやはり出てくる筈です。でもこの映画では「犬を棄ててけしからん」と登場人物が悲憤慷慨して終わり。誰も登場人物は“考え”ようとしないのね)。
 
 また本作品でしばしば「税金」という言葉が出てきます。主に“悪役”が発する言葉です。
 “悪役”(市民)が、犬を保健所で引き取ってもらえる根拠として述べているのが「この制度は『税金』で運営されているから」であり、他の“悪役”(主人公の上司)が犬を7日間で処分しなければならない根拠として述べているのも「予算(『税金』)の制限があるから」です(救いは主人公の上司を演じているのがベテラン俳優小林稔侍氏である事。氏の演技のおかげで、“悪役”臭が消臭され、ある程度には良識的な響を持つ台詞となっています)。

 恐らくこれ、制作者サイドの「金の問題はどうでもいいんだぁ~。命、命の問題だぁ~」という主張なのでしょうが、本当に犬の殺処分の問題を解決しようと考えるなら、この「金の問題」こそ真正面からまず考えなければならない問題の筈です(しかし映画では非難するのみのスタンス。ここでもだれも“考え”ない)。

 本当はここにこそ大きな焦点を置くべきだったと思いますよ(上司をただ予算予算と煩く言うだけの人物として描くのではなく、きちんと上司の立場にも正当性があるのだと描けば、必然的にそこに主人公と上司の対決が生まれ、ドラマに奥行きが出来たと思うんですがね)。

 更に言えば・・・。
 実は行政側は欺瞞でもなんでもなしに、棄て犬を減らしたいと考えていると思いますよ(役所つまり国家即悪と考えたい人も多いでしょうが)。何故か。
 だって、お金かかっちゃうから。仕事も増えるし。別に善意からでもなんでもないですが。
 そう考えると、役所は敵でもなんでもない。寧ろ味方につくと考えるべきでしょうね、棄て犬を減らしたいと考える人に取っては。
 「お金の為なら“善事”だってなんだってしちゃう」可能性を経済至上主義批判なり資本主義批判なりしている人はよく看過しがちです。


 映画のラスト、ほんのおまけ程度に犬の譲渡会が開催されている様子が描かれていましたが、本当はこれこそちゃんと描くべきではなかったんではないでしょうか(ちゃんとここに重点を置いたのなら「“感傷”を越えて、理知と人々の協力により解決“方法”を見つけ出す物語」になった筈なのにね)。
 

 また本映画では、この「7日間」規定による犬の殺処分を、主人公が服務規程違反を犯す事(黒板の数字を書き換えちゃう(笑)によってしばしば“解決”します。
 良い人だと思うよ、主人公。だけどそれは別の問題を引き起こしていないかい。
 もしかしたら犬の殺処分より、もっと怖い問題を引き起こすかも知れませんよ、こうした考えは。

 
 結局、ある保健所に善い人がいたよね、という話で終わっちゃってます(実話としては良いのですが、映画としてはどうなんだ)。
 少なくとも、私にとってはここに感動はなかったですね。(そりゃ、主人公が犬の前で泣く山場では涙腺を刺激されたけどね。そういうのを感動とは呼ばないのです)。感動というのは自分が信じている世界観を揺さぶられるものです。


 もし、社会的問題を提起したいのなら感傷的に描いては駄目です。淡々とドキュメンタリータッチでやらないと。いや「タッチ」抜きで「ドキュメンタリー『殺処分』」が一番良いかもしれません(映画『ブタがいた教室』は結構よかったですね)。

 “情緒”で人々を動かそうというのはデマゴーグのやる事人々に“考えて”貰わなければ駄目です。
 無論、一人一人が“考えて”出した結論が、自分の主張、支持している(主に政治的に)“正しい”答えと一致するとは限りません。しかし、それで善い筈です。

 逆に言えば、民衆という“道具”を煽動して、権力を奪取、保持したい“政治的に正しい”人々は、必ず“情趣”で訴えますね。「ほぉ~ら、こんなに可哀想な人達がいるぞぉ~(そういう私は彼らの代弁者サマであるぞ)」。
 かくして、神聖にして犯すべからざる最強権力者集団“弱者サマ”が生まれる訳です。
 (因みに、こういう事を言うと「ヘイトスピーチ」認定をもれなく受ける事になりますね)

 他雑感。

 実話だから、実際に「痛くない、痛くない。ただ怖かっただけなんだよね」の「リアルナウシカ」行為(もしくはムツゴロウプレイ)をこの保健所の方は行ったんでしょうね。噛まれた時に、普通は反射的に腕を引っ込めてしまい、なかなか腕の力を抜くというのは出来ないものです。偉いものです(これ、映画の演出で実際には行っていない、なんて事ないよね。それなら「ナウシカのパクリ」だ。怒るよ)。

 山田洋次監督の後期作品って私はあんまり評価していないと改めて認識。一昔、二昔前の所謂“進歩的”主張がもはや何の意味もなく、いや意味がないどころか反って物事を考える上で桎梏にすらなっている状況なのに、その事に気付いていない、というような“鈍感”さ。そんな感じを受けるからでしょうか(でも、“職人”としては、例えば寅さんシリーズは凄いと思います)。

 「雲海」は旨い麦焼酎だと思う。協賛しているらしい。

 犬食文化のある民族の方が見たら、どういう感想を持たれるのか、少し気になります(「殺処分された犬の肉を売って、その金で収容されている犬の生存期間を伸ばせば良いのでは」なんていうアイディアが出るのでは)。







最終更新日  2013年03月18日 05時56分12秒
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2013年02月05日
 『南極料理人』と同じ風合い。大人の為の80年代青春映画。

 悪い映画じゃないです(う~ん、正直困った)。
 原作は吉田修一氏の『横道世之介』。第23回柴田錬三郎賞、2010年本屋大賞3位を受賞した「青春小説の金字塔」と呼ばれる長編小説だそうです(未見)。
 たぶん「青春物」というジャンルが私の好みじゃないからでしょうか。
 同じ沖田修一監督作品の『南極料理人』の方がずっと私の好みには合いました。

 ただ、この映画をご覧になった方で「時間と金を損した」と思う方はいないと思います。
 興味が湧きましたならば、ご覧になってはいかがでしょうか。
 (今気付きましたが、原作者と監督の名前がどちらも「修一」。名字もどちらにも「田」の字。御兄弟でしょうか・・・・オイオイ)

 粗筋。
 長崎の港町から上京した主人公、横道世之介と彼を巡る若者達の恋や出会いといった、愛おしい青春と、その後を描く。
 主人公横道世之介の人物描写が秀逸。ユーモラスで思いやりがあり、しかし、少し頓珍漢。彼と巡り合った全ての人々に笑顔(失笑?)と爽やかな記憶を残していく。
 高良健吾が好演。
 緩やかな描写は同じ監督による『南極料理人』と同じ味わい。
 

 もう少し余計な事を。
 ネタバレではないと思うのですが、先入観なしで御覧になりたい方は御注意を(そもそも、「ネタバレで興を削ぐ」という事はズバリの推理物以外ないのでは、とも思いますが、一応ね)。

 パンフ、公式HP等ではハッキリ書いてありませんが、舞台は80年代の東京。その世代の人々には懐かしい気がすると思います。
 例えばファーストカットは斉藤由貴のカセットテープ!の街頭広告がバ~ンと(笑)。その他、主人公がVHSのビデオを見ていたり、友人がカセットのウォークマンを愛用していたり。 
 「人生の折り返し地点を迎えた全ての日本人に。もう一度懐かしいあの友、あの頃を思い出してみませんか」なんてキャッチコピーが付きそうな感じ。
 ここは、この映画の一つの見所なんじゃないかと思うのですが、宣伝では強調されてません。

 沖田監督自身はあまり80年代と言う事に関して意識していないという事ですので、その為でしょう。そして、「80年代を意識せずに制作した」という姿勢は正解だったと思います(意識したら、あざといものに堕した可能性がありますね)。

 もっと書けば、“xx世代”“xx年代”(大抵マスコミでは「≒“流行”」)とやらが本当に“存在”するのか、という疑問がありますね。たぶん、私の気付かない、その当時流行っていたもの(流行っていたとされていたもの)が、まだあちこちのカットに登場しているのでしょう。デートシーンで登場する巨大ハンバーガー屋なども、たぶんそうなのでしょう(原宿か?)。当時の私の学生生活圏とは場所的にも時代的にも重なっているのですが、私は全くそういう事に関心がなく、今後もやっぱり関心がないと思います。
 関心があった人は「あぁ、あの頃私は若かった」式のしみじみとした感傷に浸る事が出来るのかもしれません。

 こういうのって、どちらが幸福なんでしょうね。「時代(≒流行)の変遷」をしみじみ感じる(それはつまり自己の加齢を感じるという事でも)人か、最初から「時代の変遷」とは無縁の人か。

 私が唯一感じたのは、ここ。登場人物の一人、知的スノッブの人物の部屋に柄谷行人の本があったカットで失笑してしまいました(たぶん、ココ笑う所じゃない(笑)。おぉ、浅田彰の『構造と力』じゃないんだ。

 登場人物の一人の下宿にビデオがありましたが、あれはお金持ちという設定なんでしょうね。

 あぁ、そういえば、この頃ビデオが普及し始めたんでしたっけ。この「録画して観るというナウイ行為」に飛びついたテレビ局(フジテレビ?)が深夜に延々の長時間番組特集を組んだのを憶えています。確か一回目が浅田彰をメインに据えた「現代社会を分析する」的な番組。冒頭、浅田彰がタクシーの中からフランス現代思想っぽい(笑)事を述べたのでした(この頃はまだ祖母が健在で、この番組を観て「ようわからん」と感想を述べていましたっけ)。「録画」という行為が一般家庭に普及し始めた頃と浅田彰、いや“フランス現代思想”の“ブーム”は同時期だったなぁ、というどうでもいい話(この時期、評論家呉智英氏が「フランス現代思想などというが、北朝鮮の主体思想だって“現代”思想だ(爆笑)」と言っていたのを覚えています。ただの冗談のようですが、今考えると深い)。 
 そして、この特集企画のたぶん二回目は劇団夢の遊眠社の劇の一挙纏めての放送。ワーグナーの「ニーベルングの指輪」に材を取った劇でした。そういえば、この劇、観に行ったんだよね。やたら長かった記憶があって。円城寺あやさん、どうしてるのかな。

 と、まぁ、まさに取りとめもなく、どうでも良い話が思い出されます。

 映画を鑑賞している筈なのに、無関係な事を思い出す。という事は、この映画は駄目な映画か。
 
 違うと思います。この映画は“スペクタクル(感覚への暴行)”とは無縁の映画だからでしょう。こういう映画も良いのです。喚起する為の映画。
 もっと言えば、“芸術品”ではなくて“工芸品”の映画。

 唯一、時代考証(笑)的におかしいと思ったのは、登場人物の一人が「違ぇ~よ」と言った点。当時こんな言い方は存在しません(因みに「なにげに」も「サクサク(物事が順調に進む形容で)」もありません)。
 

 閑話休題。
 
 この映画の構成、最初は少し面食らいました。『スローターハウス5』のようなアヴァンギャルドな(ナイナイ(笑)作品かと一瞬思った程です。
 最初は80年代の主人公が上京し友人達との生活が始る所からスタート。時間軸は主人公に沿い、時間は80年代を流れます。
 ところが唐突に時間は16年後に飛び、話の時間軸は16年後の主人公の友人達の上に立てられます。
 
 時間が飛んだ瞬間が今の若い人は判らないんじゃないでしょうか。だって「茶髪の若者」のアップが出て判る仕掛けになっているのですから。
 80年代に髪を染めている若者は東京でもミュージシャン(パンクス)といった特殊な人以外ほとんどいませんでした。

 ここで16年後の主人公の友人達は主人公を思い出し、現在の生活の幸福を噛み締めつつ、笑顔と共にこの幸福を得るきっかけを作った主人公に思いを馳せるわけです。「あいつどうしているのかな」と。

 で、また時間は突然80年代。主人公の視点でさっきの話の続き。で、また唐突に16年後にジャンプ。またまた友人が現在の幸福を噛み締めつつ・・・。

 流石に二巡目からはこの映画の構成が判り、安心しました(笑)。

 (ここからネタバレ)

 そして、三巡目の16年後で主人公が夭折した事がわかります(だからこの映画のキャッチコピーが「涙なんか流さずに笑いながら観てください。」なんだと、ここで得心しました)。

 この夭折した原因の設定が上手い。ある事件が原因で亡くなるのですが、それが如何にも、この、人柄良い主人公ならでは、と納得がいくものなのです。しかもその事件、恐らく多くの日本人の記憶に残っているだろう、有名な事件なのです。

 再び時間は80年代へ。ここから一挙に緊張感が私の内に沸きあがりました。主人公は相変わらずユーモラスで少し頓珍漢なんですけどね。
 「なんでもないと思っていた日々が、どうしてこんなにも愛おしいんだろう---。」とはパンフのコピー。私も全く同じ感想。あぁ、この人、その後、あぁなっちゃうんだね。悲しいね。でも、そういう事と関係なしに一生懸命生きているんだね。なんて愛おしいんだろう。
 仏陀の目にはあらゆる存在が、愛おしく可憐な存在に映るらしいですが(中島敦『悟浄歎異』)、主人公の生の有限性を知っている私は、プチ仏陀状態。
 良い映画です。

 だけど、何で劇中盤、三巡目から、なのか。冒頭から主人公の死を暗示していた方がよかったんじゃないでしょうか。

 劇始って直ぐ(一巡目の冒頭80年代)は、私に取っては緊張感に欠けるように感じました。「拙くはないが、特筆するべき事も無い、よくある学園青春物」といった感想。
 『南極料理人』と同じ味わいなのですが、南極と違い特殊な舞台設定でない分、緊張感に欠けるように感じたのでした(これ、テレビで観ていたら、消しちゃってそれっきりだったろうな。逆にいえば『南極料理人』は上手い。本当に良い映画でした。特殊な舞台設定だからこそ、緩やかな描写が絶妙な味わいを生み出していたと思います)。

 
 死んだ人は大抵“善人”(と見なす)。これは社会の通念ですね。
 通念だから自分の信じている世界観が揺らぐ訳ではない。つまり所謂“芸術”から来る“感動”はここにはない。
 そして、これはそういう映画で良いのです。


 ところで、「青春物」というジャンル、当の青春を現在送っている人たちは見たがるものなのでしょうか。
 この映画、どういった方々が観に行ったのか。また現在青春期を送っている人が見たらどういう感想を持つのか。気になります。
 (「クソ~、リア充め~」なんて僻んだら駄目だよ。「リア充」なんて“幻想”なんだから。だって“リアル”そのものが“幻想”だからね)


 なお横道世之介が実家で食べていたカステラは蝙蝠マークの福砂屋です。長崎なら当然。
 創業寛永元年(1624年)、福砂屋のカステラは美味しいよ。
 ここにオリジナルスクリーンセイバーもあります。福砂屋の「こうもり」マークが、マウスの動きを追いかけながら次々と登場してはヒラヒラと舞うのです。


「ビバビバ」の景気の良い時代ではありました。






最終更新日  2013年03月01日 06時28分36秒
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2013年01月31日
奇書にして名著。読むべし。異様な感動の「(非)被爆者」のドキュメンタリー。

 凄い本です。読後、なんとも“奇妙”な感動に襲われます。
 極めて真摯誠実なドキュメンタリーなのですが、映画や小説のように“どんでん返し”があり、最後に起きる悲劇は“物語の結末”めいた印象さえ読者に与えます。
 
 ある“被爆者”の記録です(いや、そう見なしてあげるべき本なのでしょう。違うかも知れません。私は“文学的”判断を留保しておきます)。
 世界苦の体現者のような人生を歩んだ話者に、読者は強烈な印象を受けると思います。特に原爆症での闘病生活中の姉との思い出は、読む者全てに鮮烈な心象を与えるでしょう。
 
 しかし...。
 ここまでこの拙文をお読みになった、意地の悪い、若しくは“ある種の政治的権力集団(私は彼らを「珍思考権力集団ニポンサヨク」と呼んでいます。≠まともな左翼)”のプロパガンダに辟易している方は、こう考えるかも知れません。「ハイハイ、カワイソな人を出して『核兵器反対、戦争反対だぁ~』って本ね」
 恐らく、そういう方はこの本の“どんでん返し”に衝撃を受けると思います(ドキュメンタリーなのに、どんでん返し)。
 そして、かくも異様にして感動的なドキュメンタリーでありながら、“封印”されてしまっているのは、正にその“どんでん返し”の為なのでしょう。
 ニポンサヨクにとって、このような記録は、“政治”的に存在してはならない事例であり、故にこの本は“存在しない本”なのでしょう。中国や北朝鮮のような一党独裁国家ではありふれた思考ですね。
 
 ニポンサヨクのヘゲモニーが揺らぎ始めた今こそ、再評価されるべき本だと思います。

 是非読んでください(復刊したらしいので、是非)。
 

 著者の伊藤明彦氏は、1002人(!)の被爆者とのインタビュー、及び録音をした方。録音テープは950巻に及ぶそうです。しかも、この行為、全くの自費(p194さしあたりの生活において、自分より貧乏な被爆者にあったことが私にはありませんでした)。原爆の記録を後世に何としても残さないといけないという使命感に支えられた行為です。この事自体、驚嘆と敬意に価します。

 また、この伊藤氏は(読んでみれば判りますが)極めて誠実な方のようです。安易な“政治的に正しい思考”を押し付けません(何よりも自分自身に対して)。ありのままの“どんでん返し”をそのまま記録し発表します。その為、この「“被爆者”の記録」を生み出す事が出来たのでしょう。

 “粗筋”を知るのではなく、実際に読むと、相当衝撃を受けます。
 是非読んで欲しいものです(2回書いちゃったね)。


 以下、メモ書き。

 1980年刊行。1971年11月13日より数年間にわたる、吉野啓二氏(仮名)へのインタビューを纏めた物。記録された時期はかなり古いのものですね(若干時代背景等に説明が必要なのかも知れません)。
 なお、インタビューを受けた吉野氏は重度の吃音症の方でした。

(p74)一年前に代々木病院を退院して、このアパートの三畳間に移り、生活保護を受けながら、自炊し、通院し、闘病し、活動し、好きな音楽を経済的に許される限りで鑑賞するのが、吉野さんの現状でした。
(p74)(吉野さんの健康状態)病名は原子爆弾後障害による無気力症候群、自律神経失調症、再生不良性貧血によるアレルギー疾患、出血性素因、副腎皮質機能障害、慢性肝機能障害など、数えると24にもなり、80種類の薬を飲んでいる事。

(p30)「吉野さんの話によれば、吉野さんに放射線障害の症状があらわれたのはそれからでした。鼻血・歯茎からの出血が最初のきざしでした。やがてはげしい下痢もはじまります。吉野さんの記憶では、それは被爆後三日目のことでした。」

 映画、小説ならば本書の前半の山場。薄幸の姉弟の原爆症闘病生活記録。原爆症の悲惨さと印象深い姉弟愛の記述(感動的ですがそれは本書を読まないと。詳細は割愛)。
(p83)吉野さんの話が最も具体的な情景に満ちているのは、いうまでもなく、その15年の入院生活についての部分です。
(p83)ただひとり生き残って敗戦の日救護病院にかけつけてきた「姉さん」が、吉野さんの枕元に置かれた両親の遺骨にしがみついて泣いたシーン。
 吉野さんには白いご飯を食べさせ、自分は芋を食べていた「姉さん」。
 砂糖を買って来い、ミカンを買って来いという吉野さんの無理難題に、廊下で泣いていた「姉さん」。
 窓の外の風景をみたくないといって、病室の窓にカーテンをつけさせながら、こっそり、外をのぞいて「姉さん」にみつかり笑われた吉野さん。
 お土産のお菓子を目の前にぶら下げて、犬や猫をじゃらすように吉野さんをじゃらした「姉さん」。ベッドにに寝たまま、それにとびつこうとする吉野さん。
 「姉さん」の具合が悪くなって、同じベッドに背中合わせに寝かされ、何ヶ月ものあいだ、ひとことも口をきかなかった思春期の姉弟。
 見舞いの中学生が持ってきた果物を、自分でもよく説明できない気持ちから放り出してしまった吉野さん。そのとき、床に転がった果物や、枕元にとりだされた一匹の折鶴のイメージが、私にはくっきりと浮かんできます。
 そして死の床にあっ、しきりに吉野さんの名前を呼んでいる「姉さん」と、その傍らに運ばれていった吉野さんが、手を伸ばして、「姉さん」に触れようとする、印象的なシーン。
 それからまた、東大病院の病室のベッドから、布団をかかえては転げ落ち、床を這う練習をする吉野さん。
 三人の看護婦に前後を支えられながら、歩行器にとりすがり、汗びっしょりになってはじめて5メートルを歩いた吉野さん。
 15年の吉野さんの入院生活の物語は、数々の豊かなイメージを私にあたえてくれます。

(p86)吉野さんの話の中で、最も印象的な登場人物はいうまでもなく、昭和28年に亡くなった吉野さんの「姉さん」です。吉野さんの話の中で、というより、被爆者に私がうかがった話の中に登場してくる、数千人以上の人々の中で、私にとって最も印象的な人物はこの「姉さん」です。
 10代のはじめ、原子爆弾によって両親、兄、姉と家・財産の一切をなくし、ただ一人生き残った病弱でききわけのない弟の養育と看病に一身をなげうち、ついに自分も白血病に犯され孤独の内に死んだ「姉さん」。この少女くらい、無名戦士という称号にふさわしい存在はないのではないか、私はそう思いました。私はこの「姉さん」の生涯、その生と死に深く心を動かされました。


(p53)「吉野さん、お姉さんの生涯を考えてみられて、いまどんなお気持ちをもたれるでしょうか?お姉さんはわずか13歳くらいのときに被爆して、ご両親、兄姉を亡くされ、寝たきりの弟さんひとりを残されたわけですね。勉強したい自分の望みは捨てて、一生懸命働いて、看病に明け暮れて、とうとう力尽きて、弟さんの行く末を案じながら、22歳の若さで亡くなってしまわれたわけですね?そのお葬式にきてもらえる肉親もいなかったわけですね?」吉野さんの顔は赤くなり、こめかみの血管はふくれました。広い額の下にひっこんでいた吉野さんの奥目は怒りに燃え、飛び出しそうになりました。(略)「もう、それをいわれることじたい、もう、ちょっと、僕にとっては残酷すぎますよね、ハッキリいうとですね。」


 (その2)に続く。






最終更新日  2013年01月31日 20時20分08秒
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2013年01月30日
(その1)の続き。

 感動的な吉野さんの台詞。
(p76)「吉野さんの現在の生き甲斐はなんでしょうか?(略)」「(略)生き甲斐といったら、それこそ社会を、政治をですね、変革するということになるんじゃないでしょうかねぇ。そのひとことだけで、いいきれるんじゃないかと思うんですよ。」(略)「将来に託せる希望といったら、いまいったように、社会を変革するということと、それからもうひとつは、自分がですね、もういちど社会に出て、本当にあの、人間らしい生活ができるということですね。というのはですねぇ、僕ですね、最近ですねぇ、この押入れの中にクモの巣ができていたんですね。小さなクモなんですよ。で、小さなクモの巣のところをちょっと手で触れて、網をひっかいたんですね。そしたらそれをですね、そのちっちゃいクモですらね、編み始めるんですね。一生懸命ですね。これをみてですねぇ、クモの巣がですね、クモが編んでゆくようなあの自力ですね、なんで僕が、それが出来ないんだろう、そう思ったですね。本当にそう思ったんですよ。本当に俺は、今まで人間らしい生活をやって来たんだろうか、そう思いましたですねぇ。」

(p79)吉野さんが「生き甲斐は社会を変革する事だ」といいはなった瞬間、これこそが、言葉の正しい意味での「原子爆弾の効果(エフェクトオブアトミックボム)」だ、と直感しました。
(p84)最後に、吉野さんが問わず語りに語ったクモの巣の話は、私を驚かせました。木賃アパートの三畳間の片隅で、破れた巣を一心につくろっている一匹の小さなクモ。そのクモの営みを見つめて、人間らしく生き抜こうという思いを、もう一度自分自身にたしかめている吉野さん。それは26年間にわたる吉野さんと原子爆弾との闘いの物語を締めくくるのに、もっともふさわしいシーンであるように私は感じました。


(p95)原子爆弾が吉野さんから、人間らしく生き死にするために必要な条件を根本から奪うものだった、そのゆえに、吉野さんがその後も生き続け、人間らしく生き続け、自分の人間らしさを回復しようと努めたその営みのひとつひとつは、抜き差しならず、原子爆弾を否定し返す性質を持つほかなかったのだ、と。
 その営みの二六年目の到達点として、私は「生き甲斐は社会を変革する事だ」という言葉を聞いたのです。

(p97)最も根本的に自分の人間らしさを原子爆弾によって否定された吉野さんは、自分の人間らしさを最も根本的に取り返し、原子爆弾を否定し返す事の結論を、社会の変革にみいだすほかはなかったと思うのです。

(p97)原子爆弾と吉野さんのこの関係を、原子爆弾=加害、吉野さん=被害者、という図式だけでとらえきれない事は明らかでしょう。私は吉野さんの話を聞き終わった時、もう、これから先どれだけの数の被爆者に会っても、これ以上の話にめぐり合う事はないのではないか、と感じました。豊かな感情、躍動する言葉、意外性とクッキリした情景に満ちた話には、これからまたいくらでもめぐりあう事が出来るでしょう。
 しかし吉野さんより多く、原子爆弾から奪われる事はまずない以上、吉野さんより多く、原子爆弾から奪い返す事はありえない以上、その話の本質において、吉野さんの話を超えるものはないだろう、そう感じたのです。

(p99)原子爆弾を廃絶させようとする被爆者の意思は、自分達の人間らしさを回復しようとする、被爆者の営みの到達点としてあります。
 それは原子爆弾の使用が奪う事が出来なかった、被爆者の生命の力の、必然的な帰結でしょう。
 自分達の体験が、同じ体験を人々にさせないうえで役立った、という事をつうじて、被爆者はその人間らしくない体験が、人間世界のなかで意味を回復し、自分達の人間らしさがすこしでも回復された、と感じる事ができるでしょう。


 しかし時々インタビュアー伊藤氏が感じる小さな違和感(この辺り、小説、映画ならゾクリとする伏線に当たる)。例えば。
(p68)(小さな疑問。当時の吉野さんの初任給が高すぎる事)ただ三日目に録音に訪れたとき、吉野さんが、「あの額はやはり、間違っていなかった。自分は全国金属という労組に手紙を書いて、昭和35年ころの工場労働者の初任給を問い合わせ、大体、自分が言った金額と同じくらいという答えを得た。」と、こう主張したことは私を驚かせました。鉄鋼労連ではなく全国金属だったわけもよく判りませんが、それはともかく、巨大な官僚組織でもある大きな労働組合が、こういう問い合わせに、すばやく返事をくれるものでしょうか。(略)これもまた、たいして意味のないエピソードかもしれません。

(p80)傍らで私は、この話は本当だろうか、と思いました。その傍証が欲しいと思いました。

(p80)私はまず、吉野さんの話に深い感銘をうけました。第一にこの話が、鮮やかな情景に満ちていることに感じ入りました。第二に、吉野さんの話の中の最も印象的な登場人物である、「姉さん」の生と死に、心からうたれました。第三にこの話の内容全体に--つまり原子爆弾から、人間らしく生き、人間らしく死んでゆくために必要な条件を徹底的に奪われた人間が、人間らしく生き抜くための営みのあげくとして、最も徹底的に原子爆弾を否定し返す、その高みにたどりついているという、吉野さんの半生そのものに、最大の感動を感じました。

(p82)ただし被爆以前の生活や、直接の被爆体験そのものについては、吉野さんの話はけっして「第一級」のものとはいえません。この部分についての吉野さんの記憶は多少混乱しているように私には感じられました。ほかの人々の話をぬきんでている、具体性をもっているとも思えません。

 段々と、インタビュアー伊藤氏の中で膨らむ疑念
(p110)吉野さんの話そのもののなかにも、細かい点では、よく判らない事がありました。
 1935(昭和10)年の早生まれの人は、被爆した時国民学校の五年生のはずですが、吉野さんは四年生でした。
 生き残った「姉さん」を除く、ほかの兄や姉の名前を、吉野さんが憶えていない事も一寸不思議でした。

(p111)夏休み中の八月九日、生徒達を登校させていなかった事は、三年前、教頭先生から、直接うかがっていた事でした。これは吉野さんの記憶違いでしょうか。それとも生き残った先生方の気がつかない「史実」があったのでしょうか。

(p111)爆心地から至近距離にあった長崎医科大学付属病院が被爆によって廃墟となり、その直後、組織的な救護・医療の活動をその場所では行えなかった事は、当時、長崎にいた誰もが知っている事です。長崎市や諌早市の病院、学校などを転々とした長崎医大が、被爆した坂本町の施設で病院を再開したのは1950(昭和25)年10月の事です。この間、多くの被爆者は長崎市内、諌早市、大村市などの病院を転々としました。あれほど印象深く語られた吉野さんの病院生活の中に、この時期の転院が語られていないのは何故でしょうか。

(p112)被爆後20年以上もたってから被爆者を訪問し、その話の中の細かい矛盾を指摘する事自体、意味のない事であり、相手に対して失礼といわなければならないでしょう。かりに被爆者の記憶に曖昧な部分が生まれていたとしても、その責任は遅すぎた訪問者の方にあるのですから。私は「歴史家」として、歴史を編む為、被爆者に史実を質しているわけではありません。検察官として、被爆者を取り調べているわけでも勿論ありません。私は被爆者が正確な記憶を持っている事、それをそのままに語ってくれる事を期待はします。しかしそれを要求する筋合いではありません。被爆者がなにかの事情で事実を語らなかったり、粉飾や虚構をまじえてその体験を語ったとしたら、そのような人間の心、その心とその人が被爆した事の関係には、深い関心をいだきます。しかし、その事に私が苦情を述べる筋合いではないでしょう。

(p112)自分の疑問を露骨に述べる事を私はためらいました。そして心の中で、吉野さんは自分で話しているよりも、実はもっと若いのかもしれない、つまりもっともっと子供のころ被爆した人なのかもしれない、と考えました。

(p113)ただ、それにしても。
 この話を正真の事実として第三者に紹介するという事になると、事情がかわってきます
(p113)この話が大筋では、一番大事な中心の部分では真実であるという、傍証が欲しいのです。吉野さんの話を人々に聞いてもらい、それが私の期待通りの波紋をよんでいるうちに、吉野さんの過去をよく知っている人が現れて、「この話の大筋は本当でない」といってくるようになっては困るのです。
 私は長崎の友人に手紙を書きました。友人からは二度に分けて、返事がきました。「長崎市役所の吉野さんは大陸からの引揚者で、お母さんも現存している。東京の吉野さんのお兄さんである可能性は全くない。」「当時の城山国民学校の教頭先生には、その姓の生徒についての記憶はない。在校生の名簿は無論残っていない。」

 印象深い衝撃的シーン。
(p115)はじめて吉野さんにあった、その次の年の五月のある日、吉野さんが通院している目黒の診療所で、私は吉野さんと顔をあわせる機会がありました。その時、私は思い切って、本籍地から戸籍謄本をとってみてはどうか、と吉野さんに提案してみました。行方不明となったお兄さんやお姉さんの名前や正確な生年月日が判れば、長崎にいる友人達に頼んで、消息を調べてもらえると思う、私はそう説明しました。
 その時の吉野さんの怒りを忘れられません。吉野さんはその時診療所のある部屋の椅子にすわっていたのですが、その椅子からとびあがりそうになって怒りました。「一体全体、それはどういう意味ですか!」黒い顔を真っ赤にして吉野さんは叫びました。吃音はいっそう激しくなりました。吉野さんの奥目は充血し、飛び出しそうになり、鼻の脇に、怒った犬のような皺がよりました。

(p116)得ようとした傍証や裏付けは、得られませんでした。吉野さんは私にとって、あいかわらずニュールンベルクの孤児のような謎の存在でした。

(p116)私は主としては、吉野さんを信じていました。被爆者がその被爆体験を語る、その行為のなかに、故意のいつわりが入り込む事ができる、と考える事自体が、私には憚られました。被爆者が偽りを語るかもしれない、という事を前提としては、私たちのこの作業は成り立ちません。話のウラをとる。これ自体がイヤな言葉です。
(p117)吉野さんが日本共産党の熱心な支持者であった事が、私の信頼を深めた事も正直に告白しておかねばなりません。


(その3)に続く。






最終更新日  2013年01月31日 19時33分02秒
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