知られざる「安眠」CDの新定番(?)。敬虔なムスリムの祈りが、聴く者を天国へと誘う(のかな、多分)。
「クルアーン」とは、いわゆる「コーラン」の事。
何が悲しゅうて欧米人の間違った発音を日本人が真似しなきゃアカン、という事で、最近は「クルアーン」と表記される事が多いのです。
独特の節回し(旋法)による、うねるような、けだるいような、それでいて情熱的なクラアーンの朗誦。
内容自体は、いわゆる「お経」ですね。「お経」CD。
このCDには全部で10「曲」納められています。
(参考までに。
1.アザーン
2.第1章「開扉」第112章「信仰ただ一筋」第114章「人間」第2章「牝牛」より
3.第2章「牝牛」第3章「イムラーン一家」より
4.第6章「家畜」より
5.第74章「外衣に身を包んだ男」より
6.第57章「鉄」より
7.第77章「放たれるもの」より
8.第93章「朝」第94章「張り拡げる」第95章「無花果」第97章「定め」より
9.第2章「牝牛」より
10.マホメットへの哀歌)
妙に、くぐもったような、力んだような声の印象が残ります。オペラのアリアなんかの清明感とある意味対極。これはアラビア語の特色。喉の奥のほうでhやgなどを発音するような独特の発音がアラビア語にはあるからです。
(因みにこのCDの読誦者はイスタンブールの方。イスタンブールの「コーラン(クルアーン)」読誦は「マカーム」と呼ばれるトルコ独自の旋法体系に基づいています)
クルアーンの朗誦は、仏教の「お経」に少し似ているといえます(というより民謡か)。
ただし木魚(^O^)は使いません。パイプオルガンも。
実は、ここ重要。
楽器は一切使わない、「宗教音楽」という概念そのものを認めない、というのがイスラムの立場であります。
同様に宗教画も一切認めません。
「唯一絶対の神」の絵姿という概念そのものが涜神的であるからです(そりゃ、そうだ。「描こう」という発想そのものが問題ありだものね。第一、描ける訳もなし)
日本では何故か、
イスラム教の過激なまでにロジカルな側面が知られていません。
よく、平均的日本人(発生源は欧米人ね)が夢想する「神(キリスト)=金髪碧眼の美青年」の様な無知蒙昧な誤りが発生する余地そのものを予め根絶させているのです。
「神(アッラー)は神なり」「神のほかに神なし」。眩暈がするほどにロジカルにして、ロジカルであるが故のダイレクトさ。
故に「音楽の力を借りて」だの「絵姿を拝む事によって」だのの発想はありえません。
当然、神父や僧侶といった「聖職者」の概念もなし(学者さんはいるけどね)。個々の人間が神に“直”に向き合う、それ以外の姿勢があろう筈もない、という事。
“あそび”なし、“ゆるさ”なし、“妥協なし”
で、
「ロジック」とは“言語”である。
故に厳格に「ロジック」を追求する行為は必然的に「正名」(正しい言葉使い)へと結びつきます。
正しい発声法と正しい語の区切り。
これらを厳格に追究する。
と、
あれ?音楽みたいに聞こえちゃいますね、我々、異文化、異教徒の耳には(^O^)。
アラブ音楽の古典的旋法スタイルじゃないの?(勿論、違います。違うんだけどね(^o^)。
このCDを聴くと、アッラーの御慈悲によって?、非常に安らかな気持ちになり、眠くなりますので、不眠でお悩みの方はお聞きになっては如何でしょうか。つまんないヒーリングミュージックとやらよりはずっと良い筈です。
「サラリーマン、心のお薬 イスラム安眠編」のコーナーで売られている筈です(うそ)。
クルアーンの他、収録されているもの。
*「アザーン」
「召喚」を意味しています。礼拝(サラート)への呼びかけ。
これが一番馴染み深いですね(って、馴染んでる奴は、そうおらんか)。モスクのミレット(とんがり塔)から流れる声はTVの旅行物で一度は耳にした事があるでしょう。
「アッラ~ アクバル(エキベルに聞こえる)」の四回の繰り返しから始まります。
「神は偉大なり」の意。
「~」の部分が長~~~い。そして、随所に“こぶし”が入っています。
イスラム圏旅行者の旅愁を誘う、このアザーン。よくクルアーンと混同されますが、アザーン自体はクルアーンではない。呼びかけてるだけ。
*「マホメットへの哀歌」
収録「曲」中、これが一番リズミカル。
何故か、ほとんど「大漁節」ヾ(⌒▽⌒)ノ♪"。
「エンヤ~トット、エンヤ~トット」のリズムと相性が良い!(≧▽≦)!。思わず口ずさんじゃいました。
最後にNHK放送の日本語弁論大会から。あるイスラム圏からの留学生の逸話。
近所の通りを、毎夕決まった時間に、アザーンのような声が聞こえ、敬虔な日本人の祈りの声だろうと、来日当初は思っていた。
しかし、日本語が上達するにつれ、何を言っているのか聞き取れるようになった。
「いーし、やき~~いも。お芋」