終戦記念日に歴史を思うぞ
こんにちは。残暑が厳しいですね。少しずつ体力が弱ってきている方もいるかもしれませんね。暑いけど、温かい物を飲んで胃を休めて、節電の夏でも寝るときにはあまり我慢をしないで、クーラーをつけて体力の維持に努めてくださいね。夜は電気があまってますから大丈夫です♪体が疲れきってしまうと、心まで暗くなってしまいます。心が暗くなってしまうと自分が嫌いになってしまいます。自分が嫌いになってしまうと、他者に対しても攻撃的になりやすくなります。それじゃ、いい事ないよね。自分を大事にしましょう。自分を大事にし、自尊心を保つと人は他者にもやさしくなれるのです。つまり、私が自分に甘いのは皆のためです♪(笑)なぜかは知らないけど、人間はそんなもののようです。だから自分が嫌いになるような自虐的な歴史観を持っていても、世界に対して友好的になるというわけじゃないし自分のルーツに誇りを失ってしまうと自分を過小評価して、たましいが萎縮してしまいます。日本人が外国語の習得がめちゃくちゃ下手なのもアルタイ語族という言語学的な単独性よりも世界に対して萎縮してしまうような歴史観を植えつけられている心理学的要因が絶対大きいと私は思っています。さて、今日は終戦記念日です。最近石垣島の新聞は中学校の歴史教科書をどの出版社の物にするべきかとか、その選定方法がどうとか大変にぎやかです。わたしは問題とされている教科書を通読したわけじゃないから、それを支持するわけではないが、本当の歴史はどうだったとか論争は学会や大人どうしでやるべきであって、教科書は発達心理学的観点から、どんな子供に育てたいか、どんな事を学んで欲しいかという親の想いを反映した物がいいと思います。先生のイデオロギーを反映した物ではなくて。いまだにマルクスの唯物史観から抜けられない他の教科書の方は私は読んでいるので批判できるけど私はそっちのほうががよっぽどどうかしていると思う。私が学んだ頃の歴史の教科書は暗かったな。日本は原始共産制だった縄文時代が幸せのピークで富の蓄積が始まった弥生時代以降は強権と暴力と搾取の歴史でそれは近代まで続き第二次世界大戦でついに極大まで肥大化し破裂!!その間、庶民は虐げられっぱなしでいいことなし!みたいな。冷静に考えれば、そんなわけ無いじゃん。地主が替わったって、そんな事お構いなしに、今までどおり咲く野の花のように庶民はほとんど政治の中枢とは無関係のところで日々の営みを送ってきたはずだ。いくさだって、本気で殺しあっちゃってるくらいだから、いろんな事情があったはずだ。(別に、だから、戦 OK!っていってるわけじゃないよ。)学ぶのに大切なのは何故そんなことになったかってこと。西暦何年に何があったとかそんなことは極論すれば覚えなくたっていいこと。だって、今の時代ネットで簡単に調べられるもん。でも、因果関係やその時代の考え方、それは簡単には調べられない。だから学ばなければいけないと思う。もっとそこんところを注目したい。つまり、この時代には、こんな事があったから、こんな文化がうまれたとか。そこに宿っている力こそが国の歴史をつくってきた、国民の生命力だとおもう。年表に書かれる中央の権力争いなんかはむしろ瑣末な事だ。大切なのは、それがおきた力学。さて、私ならあったかどうかも評価が分かれるような「国による強制的な売春」や「虐殺」を中学生に教えるよりも、今まで多く語られなかったけど、いろんな時代の中で、大変な時期も、けっこう庶民はしたたかに、たくましく、そして明るく生きていたという事実を見つめ私たちの命は、基本的に前向きにできているということを教えてくれるような教科書があったらいいと思う。振り返ってみると私が学んだ頃の「歴史」では自分のご先祖は極悪なので、自分がいい子であると思うのは認知的に不協和を起こすので性格が歪んでしまいました(笑)。それでもいい子でいたいと思い続けた友達は過去の日本を全否定する事で、「そのような高みに立てる自分」という位置づけで自己正当化を行い、歴史と国際感覚に対するバランス感覚を失ってしまったようです。何が大切な事でしょうか?