428384 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

.

.

・ユダヤ人と彼等の嘘 続き

彼等は我々の富をつかって我等を奴隷とする。
こうしたやり方で悪魔が我々キリスト教徒の間に自分の天国を持つ事ができた時には彼は笑い踊るので
はないだろうか。そこでは彼の使徒であるユダヤ人を通して悪魔は我々の所有物をむさぼり食らい、
我々に感謝して我々の口と鼻を満たし、神と人間を冒涜し呪うのである。彼等がダピデ王やソロモン王
の下でのエルサレムで自分が所有していたものは、我々の下で日々盗み略奪しているほどではなく、こ
れほどに良き日々を享受する事はできなかったのである。

それでも彼らは我々が彼らを捕囚していると文句をいうのだ。そう我等はユダヤ人達を所有し、捕囚し
ている。丁度私が自分のリューマチや「肺病」や、他のすぺての病や不幸を持ち続けたいように。誰が
自分の持つ金や財産やすぺての物を持参して迄貧しい召し使として待っていなければならないのか,私
はそれらの災いがユダヤ人とともに、そしてまた彼等と一緒に居たい者は誰でもエルサレムへ行ってく
れれぱと願う!我々が彼等を捕囚しているわけではない事は明らかなのだから、それ程偉大で高貴な聖
人達が、どうして我々に封してそれほどまでに怒るに値するのであろうか?我々は彼等がイエスの母、
マリアをさう呼ぶようには自分達の妻を売春婦とば呼ばないし、また我々は彼等が我等の主を呼ぶよう
には彼等の事を私生児などとは呼ばないのである。我々は彼等を呪わず、あらゆる種類の肉体的、精神
的な幸せが彼等の上にあるよう祈り、我々と一緒に暮らす事を許している。我らは彼等の子供を誘拐せ
ず、切り刻む事をしない。彼等の水に毒を入れる事をしない。彼等の血を渇望する事もない。何によっ
て我々はかかる神聖なる神の子達の恐ろしい怒り、妬み、そして憎しみに値するのであろうか?神が正
気とはおもえぬ無分別と荒れ狂う心を持って彼等を処罰したという事は我々がモーセから引用したとお
りである。かくしてユダヤ人達がエルサレム崩壊後の三○○年間にわが主やキリスト教徒、そして(ま
だその目や肌に揮きがある)子供達に流させた汚れのない血に対して仕返しをしなかったということ
は、我々の失敗であった。我々が彼らを殺害せず、彼らの全ての殺人、呪い、冒涜と恥辱に対してとが
めもせずに我らの間に住まうことを許し、彼らの学校、家、体、財産を守り、それによって彼らを怠惰
にし、彼らが我々から金銭や
財産を絞りとるのを信頼して保証し、手助けした。それに加へて我々をあざけり、つばを吐きかけ最終
的には彼等が我々に勝利し、その様な大きな罪によって我々全員を殺害し、我々の財産のすぺてを持ち
去る事を望み、日々祈っているのである。こうしたすぺての事は我々の失敗である。教えて欲しい。彼
等には我々呪われたゴイムを僧み、呪って我々の最終的で完全な、そして永遠の没落を求める大きな動
機がないのだろうか?
今や、我々はこれらの受け入れられない呪われたユダヤ人達をどう取り扱おうとしているのであろう
か。我々の間に彼らが存在し、彼らの内部のうそや冒涜、そして呪いについて知った後では、我々は彼
らの嘘や呪いや、冒涜の共犯者にならないようにそれに黙って悩んでいるべきではない。私たちは、消
す事のできない神のしずめる事はできないし、またユダヤ人達を改宗することもできない。我々は祈り
と敬虔さをもってその炎と激しい熱の中から数人でも救いだせるよう、大いなる慈悲を実践しなければ
ならない。復讐は我々に許されていない。復讐は我々が彼らに抱くよりも千倍も増幅して彼らの首にま
といつくであろう。私はあなたたちに私の本当の意見を述べる事にしよう。第一に我々は彼らの会堂と
学校を避け、また人々にそれらに対して、反対するように警告する。こうした事は、神とキリスト教会
の栄光のためになされるべきで

ある。そしてまた、我々がキリスト教徒であり、神の御子とキリスト教徒に封するそのような嘘や呪い
や冒涜を承知の上でそれに封して寛容なのではない事を神にわかっていただくようになされるぺきであ
る。

何故なら、我々が無知で寛容である限り(私自身もその事を知らなかった)我々をお許しになるであろ
うから。しかしながら我々がそれを知った今は我々の目と鼻の先で、その中でユダヤ人達がキリストと
我々を冒涜し、呪い、つぱを吐きかけ、恥辱をもたらす、そ

そのようなユダヤ人達の建物にそうした事にもかかわらず我々が寛容であるなら、良く御存知の如く、
それはあたかも我々自身かそれをなしたか、あるいはもっと悪い事をなしたのと同様に大変な事になる
だけなのである。モーゼは申命記のなかいる。もしモーゼが今日生きているなら、彼はユダヤ人達の学
校や建物に火をつける最初の人間になることであろう。(聖書からの証言に従えば)第二にあなた達は
彼等が自分の家を栽々の中に建てるのを拒否せねばならない。何故なら、彼らは自分達の学校で行って
いるのと同様の事を自分達の家の中で行っているのだから。その代はりに、彼等が自ら誇っているよう
には我々の国の王侯などなのではなく、捕らえられて放浪の身の上なのだという事を思い知らすために
彼等をジプシーのように軒先か馬小屋に置いても良いであろう。休みなく血なまぐさい殺人を吠えた
て、神の御前で我々に不乎をこぼす彼等にふさはしく。第三に嘘と呪いそして冒涜が教えられる彼等の
祈祷書及びタルムードの全著作を彼等から没収すぺきである。第四に彼等のラビが説教をする事を禁止
せよ。彼等は貧しいユダヤ人達をモーゼの七、十一、十二の章句でとりこにし、その様な仕事への権利
を剥奪したのである。モーセはそれらの章句において、そうしなければ身体と魂を失うとして彼等のラ
ピ達に従うよう命じているのである。しかしながら、モーゼは明確に付け加へている。「主の律法に基
づいて彼等があなたに教える事柄に閣しては...」と。この事を不心得者達は見過ごしているのだ。そし
て、主の律法に逆らって彼等の恣意に貧しい人達が服従するのを利用して彼等にその様な毒と冒涜を降
り注いでいるのである。第五に街道でのユダヤ人の保護は廃止さるぺきである。何故なら彼等は貴族で
も役人でもないし、我が国にいる権利はないのだから。彼等は家の中にとどまるぺきである。現在我国
ではある金持ちのユダヤ人が十二頭だての馬車に乗っていると聞いている。そのユダヤ人はコハプ
(Star Bar Kochab)、「星の息子」この偽メシアは紀元一三二~五ローマに封するユダヤ人の最後の反抗
のリーダーであった。一になりたがっているわけである。彼は高利貸しを王侯や貴族達、地域住民、民
衆に封し営んでい

る。高官たちはこの件に関して黙認している。もしあなたがた、王侯及び諸侯の方々がこうした高利貸
し達に対してこの地に住み、街道を往来する事を禁じないならば私はあなた達に封抗するために騎兵を
集めたいと思う。何故なら、あなた方はこの書物を通してユダヤ人とは何者であるか、また彼等がいか
に扱はれるぺきか、そして彼等の行動が保護さるぺきではないという事がよくわかったであろうから。
彼らの醜悪な行為のパートナーになりたくなければ、あなた方は彼らを保護すべきでないし、またそう
することはできない筈である。あなた方がたとえ彼等の事をよく配慮してやったとしても、その結果は
良くてあなた方が減びるだけの話しなのである。第六にユダヤ人達にとって異国の土地において、自分
の国の中の主人公でもない場所においては彼等の高利貸しは禁止されるぺきてある。それはモーゼによ
って禁ぜられていたのであり、すぺての貨幣、銀、そして金は没収し、保管のために持ち去られるぺき
である。こうした理由から彼等はほかに収入はないのだから彼等が所有しているすぺでのものは高利賃
しによって(上述のごとく)我々から盗み略奪したものなのである。その様な財宝は次の如く使用され
るぺきである。即ち一人のユダヤ人が真に改宗した際にはいつでも、彼の人柄に応じて彼が自分の貧し
い妻子や老人や弱者達を養うために一、二あるいは三○○フロ(金銭の単位)が与えられるであろう。
不正に獲得されたかかる財産は、それが神の祝福を受けられるような正当な使用がなされぬ限り呪われ
たものとなってしまうからである。

彼等はモーセを裏切る事さえする
いつでもユダヤ人達は、モーゼが異邦人に封し高利貸しを営む事を彼等に許可したのだと公言する。
(申命記二三:二○「異邦人には利息を取って貸しても良い。ただ兄弟には利息を取って貸してはなら
ない。これはあなたが入って取る地であなたの神、主がすぺてあなたのする事に祝福を与えられるため
である」。)さもなければ彼らに有利な章句は何もないのだ。彼等には以下のごとき解答が与えられて
いる。即ち二種類のユダヤ人又はイスラエル人が存在する。一つは神がモーゼに命じたごとく、モーセ
に導かれてエジプトを出てカナンの地に入った者達。彼等に封してモーゼは神の戒律を与え、彼等ば外
国に出ることなく彼等の国土でひたすらメシアの到来までその戒律を守り続けていた…もう一つはモ-
セのユダヤ人ではなく(ローマ)皇帝のユダヤ人である。彼等は統治者ピラトの時代のユダの地に起源
を持つ。ピラトが法廷の場で「キリストと呼ばれるイエスについて余はどうすぺきなのか」とユダヤ人
に尋ねた時、彼等は叫んだ。彼を十字架にかけよ!彼を十字架にかけよ!」ピラトは言った。「お前達
の王を十字架にかけるのか」と。仮等は叫ぷ。「皇帝以外に栽らは王を持た
ぬ」と。このやうな皇帝への服従を神はユダヤ人達に命じだことはなかったのであるが、彼等は自発的
にこれをなしたのである。その後すぐに皇帝が服従を命ずると彼等は反抗し、彼にはむかって今や臣下
である事を望まなかった。そこで皇帝はユダヤ人達を工ルサレムから追放し、彼の完全な領土の中に分
散させ、そこで彼等は従はざるをえなかったのである。現在ユダヤ人といふクズどもがいるのはこうし
た事情によるものである。彼等の事はモーゼは何も知らない。ユダヤ人達も彼について何も知ちない。
彼等はモーゼの一節も暗唱していないのだから。彼等はまずカナンの地に戻り、モーゼのユダヤ人とな
って彼の戒律を守り異教徒や異邦人達を平定せねばならない。そこで彼等は異邦人達が許容する限りに
おいて高利貸しを営めば良いのだ。

だが彼等がローマ皇帝の領土である外国にいてモーゼの教へに従おうとしないのであれば彼等は皇帝の
法を守り、モーゼの戒律に徒うようになるまでは、仮等より身分が上位の方達に逆らって高利貸しを営
むぺきではない,とうふのは彼等が所有すぺき土地、あるいはイスラエルの国とはカナンの反対側の岸
であるからてある。モーゼはエジプト人やバビロニア人あるいは他のどんな国民の下へ送られたのでも
なく、自ら申命記の中てしばしば述ぺているごとく、エジプトを出てカナンの地に連れて来られただけ
なのである。彼等は彼等がョルダン河の反対側に所有するとした領土においてその様な戒律を守るぺき
である。ほとんどモーゼによって作られた聖織者達、儀式、公国君主の権力に関する限り、それらはも
はや一四○○年以前に崩壊してしまったのであるが、その時代以前に存在したモーゼの律法もまた崩壊
し終わりをむかえた事は確実である。それ故皇帝の下でのユダヤ人達は皇帝の法によって扱われるぺき
であり、一四○○年間一人も存在しなかったモーゼのユダヤ人のように扱われるぺきではないのであ
る。彼等はモーゼによって自分達が高利貸しを許された自らの国土を持たず、ましてや外国の領土を持
たぬのであるから。最後に一若く頑強なユダヤ人達には(麦打ち用の)「からざを」や斧、踏みすき紡
錘が与えられて、アダムの子達に課せられているのと同様に、自分達のパンを鼻頭に汗して稼がせるぺ
きである。創世紀三:一九「あなたは顔に汗してバンを食ペ、ついに土に帰る。あなたは土から取られ
たのだから。あなたは塵だから、塵に掃る」彼等神聖なる民族がストーブの後ろにいて、怠けながら我
らのバンをむさぼり喰らい、さらに自分達がキリスト教徒のご主人様であるなどとホラを吹きつつ、我
ら呪われたゴイムをして額に汗して働かすぺきてあるなどと言う事を許しておくぺきではない。彼等の
怠借は彼等の過去からもたらされるものなのである。しかしながら、彼等が我々に奉仕させられたり、
働かされた時には、彼等は我々、我々の妻、子供達、召し使、家畜などを身体的に

傷つける可能性がある。何故ならその様な労働になれていない世界の高貴な王侯達、つまり有毒な苦い
姐虫どもは呪われたゴイム達の下で自分達を卑しめる事をするのには極めて不熟心であろうからであ
る。我々はフランスやスペイン、ボヘミア及びその他の場所での諸国民のユダヤ人に対する、ごくあた
りまえな知恵を採用しよう。これらの諸国民達はユダヤ人達が高利貸しによってむさぼり取った額を計
算させそれを平等に分配したのである。その上で彼等はそれらの国から追放されたのである。既に話し
たように彼等に封する神の怒りは非常に大きいので、穏やかな慈悲によってでは彼等はより罪深くなる
だけであり、ただ苛烈な仕打ちによってのみ少しはましになるのである。それ故彼等を追放しょうでは
ないか!

我らの富で慈善をなす。
ユダヤ人達は多額の金を政府に与え、それによって政府の役に立っているといわれているとのことである。然り。しかしそれを彼等はどこから与えているのか。それらは彼等自身のものでなく、ユダヤ人達が高利貸しによって統治者の方達と臣下の方達の財産を奪いそれを与えているだけである!かくして統治者の方々はユダヤ人に取られたものを臣下の方達から取るのである。つまり、臣下の方達はユダヤ人達の為にお金を出さねばならず、お金を巻き上げられるという災難を被らねばならないのである。かうしてユダヤ人達は我が国のなかで自由に嘘をつき、悪態をつき、呪い、盗みつつ居座っている事ができるというわけなのである。彼等があらゆる種類の悪徳をなすぺく、この国に滞在して居る事をみすみす許しておくぺきではないのではなかろうか?
そしてまた我々が馬鹿にされ、仮等にお金を与えるために
あちこち鼻面を引きずり回される様子をやけっばちのユダヤ人違が高笑いしている事を。それらすぺてに加えて彼等は我々の汗と血によって金持ちとなり、一方我々は貧しくなって行き、彼等によって干らびるまて吸い取られつつあるのではないのか?もしそうした事が正しいなら、召し使、客、あるいは捕虜は年毎忙彼の主人に一○フロを与え、その代わりに千フロを盗んでいる事になる。召し使と客はすぐに金持ちとなり、雇い主と主人は短期間に乞食となるであろう。ユダヤ人達が、



たとえその様な金額の金を万が一にも自分たちの財布から役所与える事ができたと仮定しても、(そんなことはできない話しではあるが)仮等はそれによって自分たちの会堂で我らの主キリストについて嘘をつき、中傷し、つばを吐き、呪う事がおおっびらに保護される構利を我々から手に入れようとするのである。



そしてまた、我々の上にあらゆる種類の不幸-すなわち我々すベてが傷つけられ、我らのハマン(訳注--ユダヤ人達を減ぼそうとしたが、計画が露見してしまい、自分が作った高い絞首台で虚刑されたペルシャの大臣(エステル書))や皇帝、君主、諸侯、妻そして子供たちとともに減亡するのを望むのであり、且つまた、主キリストや全キリスト教界、我々の統治者の方々、我々の妻達、子供たちが哀れなまでに安売りされる事になるといったあらゆる種類の不幸が降りかかるよう彼等が望む事が保護されるのを手に入れようとするのである。裏切り者のユダヤ人達は我々よりもずっと聖人の価値があるかもしれない。そう、ただし、ユダヤ人達が年に一○萬フロを寄進してくれる事ができればのはなしてはあるが。

それでも我々は彼等が一人のキリスト教徒を冒涜し、呪い、つばをかける権限を持つ事を許したり、彼等に高利貸しを営む事を許してはいけない。そんなことをすれば我々は自分達をあまりに安値で
売り渡す事になってしまうではないか。全キリスト教界と我々全員が自分達自身の金によって買収さ
れ、また高貴な方々や領主の方々全員の頂点にいるユダヤ人によって悪口をいわれ、呪われ、軽蔑の笑いにさらされるといった事を我らが許すなどというのであれぱ、それは何と我々の許容の範囲を越えた事であろうか!悪魔とその使者にとってそれは何と楽しい事であろうか。それらの事態はまるで子豚に歯をむき出す雌豚のように彼等が我々を馬鹿にして鼻先でせせら笑うといった事になるかもしれない。だがそうした事は神の御前ではまさに天罰に値する事なのだ。


統治者の方々ヘの進言
ユダヤ人達を配下にお持ちの王侯、領主諸侯:要するに、もし私の進言をお聞きにならぬとあれば、皆さんはより良い「解決方法」を見つけるぺきであろう。つまり、それによって我々全員がユダヤ人という耐え難い悪魔的くびきから解放され、また我らの主イエスキリスト、その御母、すぺてのキリスト教徒そしてすぺての統治者の方々と我ら自身に封して、荒れ狂うユダヤ人達が神の御前でなしているあらゆる嘘と悪口、つば吐き掛ける行為、呪いに封し共犯者にならないで済む「解決方法」を。すなわちあなたがたはユダヤ人達に封して保護や安全通行手形や組合員の地位を与えてはならない。ましてやあなたがた及び臣下の方々の所持金や財産を彼等の高利貸しの元手とするのを許してはならない。
我々はい
まだに多くの自分自身の罪を背負っている。そして我々が神の恩籠と御働きに感謝する事を忘れたり、軽んじたりする事で日々その罪をさらに付け加えている。この上ユダヤ人などという卑しい外國人の悪徳をそれに付け加え、さらには我々の所持金や財産を彼等に与える必要など全くないのだ。

我々が日々トルコと戦闘状態にあり、それゆえ我々は自分達自身の罪から免れて魂の成長と向上を計る必要が多いにあるのだという事を思い起こそうではないか。この事に関して私は一連の事態を暴露し、それに警戒をうながした者として自らの良心が潔白であり、何等やましい所は無い事を望むものである。牧師であり伝道士である私の親愛なる方々、そして友人の皆さん、私は皆さんが、教区民達に封して永遠の破滅に陥る事のないよう警告を発するという自らの役目を誠実に思い起こされるよう願うものである。あなたがたはその為にどうしたらよいのかよく承知されている筈である。すなわち教区民はユダヤ人に対して警戒の構えをとり、彼等を避けなければならない。しかし決して彼等を呪ったり個人に封して傷害を与えたりすぺきではない!何故なら彼等が不幸な事に一四○○年の間そうし続けてきたようにナザレ人イエス、マリアの御子息を呪う事とは、実は自分達自身を呪い侮辱し続けてきた事になるのであるから。こうした点であなたがたは統治なさる方々に封し、私が申したごとくにユダヤ人達を取り扱うよう促す事が可能であろう。この点に関し統治なさる方々が何等かの処置をなそうと為すまいと、すぺての人々が自分自身の中にユダヤ人達に対するそのような決意と見通しを持つことによって自分自身と自分の良心を大切にするぺきなのだ!


キリスト教徒の死を熱望する
一人のユダヤ人に会ったりその男の事を考える時にはいつでも、あなたがたは自分で自分に次のように言い聞かせるぺきである。見よ、自分が向こうに見る「口」は、毎週土曜日には、そのかけがえのない血によって私を救って下さったわが主イエス・キリストを呪い、忌み嫌い、そしてつばをかけ続けている。そしてまた神の御前で私や私の妻子達とすぺてのキリスト教徒が最も悲惨な形で刺し貫かれ、殺されるのを祈願し、呪っているのだ。彼等はもしそうできるものであれば我々の財産を所有しにやって来たいのだ。彼等は(自分達の習慣にしたがって)まさにこの今日といふ日において、イエスの名に封し地面につば吐き、多分、そのつばは彼の口やあご髭にかかっているのだが、まだ彼の顔のその辺りには、まだ十分につばが付く余裕があるのだ。かかる悪魔的な連中(口)と食ぺたり、飲んだり話したりするぺきなのであろうか?私はあのユダヤ人の中に住んでいるすべての悪魔達の仲間となり、キリストの貴重な血液につぱを吐きつつ、確実に多くの悪魔達の盧になってしまうのであそうか。神が私にそうさせないで下さる事を!と。
もし彼等が我々のようには神を信じないなら、我々はそうするように手助けする事はできないし、信仰を受け人れるように強いる事
もできない。しかしながら我々は彼等が故意に嘘や冒涜、呪い、そして恥をかかせんとする点において彼等を力付けてしまう事だけは避けなけれぱならない。そして彼等に庇護--肉や飲物、宿泊場所、そして近隣者としての親切--を与える事によって彼等の悪魔的な夢と大言壮語の共犯者になってはいけない。特に我々が彼等に対し友好的であったり、彼等に奉仕している所ではどこでも、彼等は神が彼等を主人にさせ、我々を召し使にさせたのだと得意になって、そして横柄に自慢するのであるから。

安息日にはキリスト教徒が彼等の火をつけ、彼等が望むものは何でも料理してやるのだが、この事に関して彼等はまるでなにか良い行いをしているかのように我々を呪い、つばを吐き、中傷するのである。しかし彼等は我々から盗んだ我々の財産をすっかり食ぺ蓋くしているのだ。ここ一四○○年の間、我々の疫病神にして害毒、そしてすぺての災難そのものであり続け、現在もそうであるユダヤ人達は、かかる絶望的、悪魔的であり、害悪を流す者どもなのである。

説教士の方達への忠告





とりわけあなたがた説教士の方達は、あなたがたの王侯や摂政の方々が神から課されたものとしての祈祷の義務を思い起こし、ユダヤ人達に労働を強制し、彼等が高利貸しを営むのを禁じ、彼等の神への冒涜と呪いを妨げるよう繰り返し主張しなければならない。それらの方々が、我々キリスト教徒の盗人やかっぱらい、殺人者、中傷する者ども、その他の悪魔的行行為を為すものを処罰しているのであるとすれば、何故にユダヤ人どもの中の悪魔の子達が我々に同じ様な悪行を働くのを放置しておくぺきなのだろうか?

我々はスペイン人達からよりもユダヤ人達からこそ多くの災いを被っているのではないか。こ
れらの者どもは彼等の主人達から台所、酒倉、たんす、金ぷくろをかっぱらい、それに加えて主人の方々を呪い、死をもってこれらの方々を脅迫するのである。そして我々はかかる響応をユダヤ人達からも同様に受けているのである。かくして彼等は我々から盗み、強奪し、我々の首に寄り掛かり、怠惰で怠け者の腹をだし、食ぺたり飲んだりの大食漠ぶりを発揮し、我々の祖国の中で安逸な日々を送り、その代償として我々の主キリストや教会、王侯、そして我ら全てを呪い、休むことなく我々を脅し、我らの死と災難を願うのである。われらキリスト教徒がかかる怠け者ども、神を冒涜する者どもをいかに金
持ちにさせ、その代償としては彼等が我々に封して望むあらん限りの呪い、中傷、不幸のほかに何も得ることがない有りさまを良く考えて見て欲しい。この点ては我々はめくらの犬同様である。

丁度ユダヤ
人達が彼等の不信仰の中にいるように、私達はかかる無慈悲な悪漢からの圧政を被っている事がわからず、感じもせずに彼等を我々の王に、貪欲
な専制者にしているのである。我々はしかしながら彼等の捕虜であり臣下てある。そしてそれでも彼等は我々に捕虜として捕らえられていると嘆き、当然の如く我々を馬鹿にするのである!しかし、もし統治者の方々が、ユダヤ人達を自国から追い立て、言われているように彼等をエルサレムの彼等自身の国へと移動させ、そこで今我々の中で行っているように嘘や呪い、冒涜、つばかけ、殺人、盗み、高利貸し、などあらゆるたちの悪い忌むぺき行為を行うよう彼等に強制せず、彼等のわがままを抑へないならば...。

もちろん彼等はこうした事が彼等にはなんの助けにもならぬというふりをする事ができた。何故なら何人もそのような忌むぺき事を行う自由を容認する権利をもってはいないのであるから。すぺての自由はそうした事によって失われるのである。あなたがた説教士や牧師達が熱心に、そして殊勝にもこうした警告を発し続けても、どの君主や臣下の方々もこれについて何も実行しないならば、その時は(キリス
トが言われたように)我々の靴から塵を払って次のように言おうではないか一私達はあなたがたの血に対して潔白である。

何故なら私はあなたがたの統治が厳格であるぺきにもかかわらず、いかに温情に満
ち、慈悲深いあぺこぺの世になっているかを知っており…経験して来たからである。その代わり、本来温情に満ち、慈悲深くあるぺき時にはやたらと厳格なのである。この世の王は十一代目のアバプ王(訳者注一列王記一六:二九)
の加くにこの世を統治する。同様に彼等は、われらキリスト教徒と人間に封する血に飢えた敵であるユダヤ人達に寛容であり、それによって天国を手に入れたいと願うっているかもしれない。

しかしながらユダヤ人達は我々哀れなキリスト教徒を捕虜とし、苦しめ、拷問にかけ、既に記したごとく、あらゆる災いを与えるのてある。すなはち彼等がわれらから奪った金銭を貯えている所ではどこでも、我らは苦しめられ、そしてまた、まことにお人好なキリスト教徒と見なされるという次第なのである。一方我々哀れな説教士達は何を為すぺきなのであろうか。第一に我々は主イエスが、主のお言を受け入れず、主を十字架にかけたユダヤ人達に関して「お前達は毒蛇てあり悪魔の子である」。と述ぺられた時の主の
お言が真実である事を我々は信じたいと思う。洗礼者ョハネもまた同様の事を言っているのだ!ユダヤ人達が良い状態になる事を望む支配者や慈悲深い聖者の方々は我々が主イエスキリストのお言を信じているのを許しておくような人達てはない。もちろんキリストはそんな慈非深い聖人達よりも良くすぺての核心を御存知なのである。

つまり、これらのユダヤ人達が毒蛇の子孫であり、悪魔の子供達以外の何
者でもないという事。そしてまた、彼等の父である悪魔と同じくらいに良き事を私達にもたらしてくれるであろうという事を。われらキリスト教徒は、あの者どもが我々に封してどんなに良い事をなしてくれたものかという事を聖書の記述の他にも自らこう
むった経験に基づいてずっと以前から、良く理解しておくぺきであったのだ。このような毒蛇や若い悪魔ども、すなわち我々及び主キリストの最悪の敵どもを宿泊させ、世話をし名誉を与えたがり、自らがののしられ、略奪され、盗まれ、つぱをかけられ、呪はれ、すぺての災いに見舞われてもよいと考えているもの達にはユダヤ人達が推薦されるぺきであろう。

もしこれで十分でなければ、彼を又ジョッキの
中に押し込めるかその様な神殿を這いずりまわらせ、礼拝させよう。そしてその後で我々の主と、主がわれらにもたらして下さった尊い血とを汚すために悪魔と悪魔の子供達を彼が慈悲深くも力付けてやった事を彼に自慢させてやろうではないか。かくして、彼は慈悲の行為にあふれた完壁なキリスト者となるであろう!かかる行為に封してはキリストは審判の日には彼にユダヤ人と共に永遠の地獄の炎というお答えを出されることてあろう。

粗野な言い方を許してもらえば、それはユダヤ人達の野蛮な呪いとい
い事に封して言われている。この点に関しては他の方達が多くを記しており、ユダヤ人達も彼等がそれによって故意に呪い、冒涜したいと願っているのであるから、それが呪いと呼ばれるぺきものであるという事は良く承知しているのである。この点につき、我々もまた明晰に、そしてキリスト教徒として霊的な表現て話す事としよう。我らの主、イエス・キリストは次の加く言われた。「私を受け入れるものは誰ても、私をお遣わしになった方を受けいれるのである。


彼等は新約聖書を冒涜する
あなた方は、「そうです。ユダヤ人達は新約聖書を受け入れないのだから、前章でキリストが言われたような事を信じないし、知らないのです」とでも言うのだろうか。私はこれに答えよう。「願はくば、ユダヤ人達がそれらのうちの一つでも知るか、信じてくれる事を」と。我々キリスト教徒は彼等がイエスを冒涜し、呪っている時、彼等は公然とその父なる神を冒涜しているのだという事を知っている。もし神が我々に今、または審判の日に次のように言われたとしたら、私達は何と答えたら良いのか教えて欲しい。「お前達はキリスト教徒でありながら、ユダヤ人達が公然と私と私の息子とを冒涜している事を知っており、またお前達は彼等がそ
うする事ができる余地を与えた。そしてまた彼等がお前達の国や町や家の中において、妨害も盧罰も受けることなくそうした事ができるように彼等を守り、庇護した!」と。

(原英訳書、訳者注--この後には、イエスの救世主としての御業に関する聖書の文章を引用した長い論述が続くが、それらは学術的、理論的性格の論述であるため、ここでは割愛する。)

徒って我々はかかる事態を冗談事としてすますわけにはいかないのだ。我々はこれに対抗する知恵を真剣に見つけだしてユダヤ人達から我々の魂を救出せねばならない。すなわち永遠の死より救出せねばならない。既に述ぺたようにこの知恵こそが、まず第一のものである。すなわち我々は彼等が会堂(シナゴーグ)を持つ権利を拒否する。ユダヤ人達がその内部において我らの創造主、そして父なる御
方をその御子息といっしょに長きに渡り冒涜し続けるような建物を我々が許しはしないという事を世間に知らしめるために…。そんな事を我々が知らずに黙認する事など断じてできないのだ。

第二に、彼等のすぺての書物、祈祷書、タルムードは没収されるぺきである。更にその一ぺージたりとも残されるぺきではない。それらは改宗するかもしれないのためにとっておかれてはならない。何故なら彼等はそれらすぺてを神の御子すなはち神御自身、御
父、天地創造主を冒涜する目的でのみ用いて、他のいかなる目的で用いる事もないのだから。

第三に、我々の領地においては彼等が神をたたえ、感謝する事、祈り説教する事は公然と禁止されるぺきである。そんな事は自分達自身の国においてか、我々キリスト教徒にそれが聞こえず、わからない所でさせようではないか。これに関する理由一彼等の神に対する讃美、感謝、祈祷、そして説教は彼等の心と口が父なる神をネーベル・ボリックと呼ぷ事に他ならないからである。そして神の御子、我らの主イエス・キリストをも彼等が同様に呼ぶからである。彼等が神の御子を呼ぴ、たたえるのと
同様に父なる神の名か呼ぱれ、たたえられるからである。彼等が沢山の美しい言葉を使い、神の御名を華々しく用いたとしても彼等が救われる事はないであらう。次のように記されているからである。「汝は主、すなはち神の御名をいたづらに唱へるぺきでばない」。丁度彼等の祖先がイスラエル王国時代に神の御名を用い、そしていまだにその御方をバールと呼ぷのが何の救いにもならないように。

第四に、我々の前では彼等が神の御名について話題にする事は禁止されるぺきである。我々は確固とした良心を持っており、そんな目にあう事には耐えられないからである。彼等の冒涜的な心と口が神の御子をネーペル・ボリックと呼ぷ
時、彼等は又、彼等の御父をも同じ名で呼んでいるのである。(我々キリスト教徒が他に解釈しようが無い、まさにその名前で。)我々は、神の御子が彼等にそう呼ぱれ、そうであると信じられている以上、その御父でさえそう呼ばれ、さう信じられているのだと考えるほかないのである。それゆえユダヤ人の口は、我々の耳の近くで神の御名をいう資格を持たないと考えるぺきである。そして、ユタヤ人がそれを唱へているのを聞いた者は誰でも為政者の方々に報告するぺきである。

この件において
は誰も慈悲深かったり、親切であったりしてはならない。何故なら、それは神の栄誉と我々全て(ユダヤ人も含む)の救済にかかわる事だからである。
もし、ある人達がいて、ユダヤ人達はそんなに邪悪な事を意図しているわけではないと言い出し、ユダヤ人達は父なる神を冒涜し、呪っているという事も知らないのだ。(というのは、ユダヤ人達は主イエスや我々キリスト教徒の悪口を言っているにもかかわらず、神を最も高く、そして美しく誉めそやしているのだから)というとすれば、その時には以下のように答えるぺきであろう。もしユダヤ人達がその事を知りたがらず、またその事が良い事だとは思わないのであれば我々キリスト教徒がその事を知っておかなくてはならない。

神は彼等がこうした事を知らざるをえぬようにほぼ一五○○年に
わたって伝道されるように取り計らって来たのであるからユダヤ人達は彼等が知らなかったのだと言い訳はできぬ筈である。神は又彼等にもそれを知る
ように要求されたのである。

何故なら一五○○年にもわたって神の御言葉を聞きながら私はそれを知りたくないなどといっている者は誰でも当然の報いとして、その人間には卑しい言い訳、すなわち七倍の負債がもたらされるであろうから。

彼らの救世主は「にせもの」である。
最後に私は自分自身に以下のごとく言い聞かせる。もし神が私に封しユダヤ人達が望み希望する救世主とは異なった救世主を与える事を望まないのであれば、私は人間でいるよりも雌豚になった方がずっと良いのだ!この事に関して私はあなたがたに幾つかの正当な理由を示す事にしよう。ユダヤ人達は彼等の救世主にコハブや世俗的な王になって欲しいと強く望んでいるだけなのである。その王とはキリスト教徒を虐殺し世界をユダヤ人のあいだで分割し、そうして彼等を金持ちの王侯とし、最後には他の王や彼の子供達と同様に死んでいくような世俗的な王にである。
もし、ユダヤ教の救世主が私という哀れな人間を私の精神的な損失にもかかわらず、救ってくれないのだとすれぱ、そして私の人生を雌豚のそれの十分の一も良くできないのだとすれぱ彼は私にとって良いものと言えるであろうか。私はいうであろう。わが主なる神よ、あなたの救世主を我が物とする者に与えたまえ、と。だが私は雌豚に変えて下さい。何故なら全く死んだ人間であるより生きた豚の方がましであるから。そう、キリストがおっしやったように「生まれなかったとしたら、それはその人の為にはましだったろうに」。

しかしながら、もし私が霊的に私を救済し給う救世主を得られるなら私は死を恐れる必要はないし常にそして永遠に人生に確信を持ち、悪魔や地獄をあざけり、神の怒りの前に身震いする必要もないであろう。その時には私の心は喜びで飛び跳ね、幸せに酔いしれる事であろう。そして私は神への愛の燈をともし、神に感謝し、神を賛美するのをやめないであろう。もしその時、神が私に金や銀や他の富を与えなかったとしても、全世界は私にとってバラダイスてあるだろう。たとえ私が牢獄に住まねぱならないとしてもである。その様な救世主を我らキリスト教徒は持っているのである。それゆえ
我々は圧倒的な心の喜ぴを以って父なる神に感謝しているのである。そのようなメシアをユダヤ人達は望まない。彼等にとって、そのようなメシアはどんな善い事も与えはしない。彼等は自分達の悪臭発する腹を満足させてくれ、また、牛や犬のように彼等と共に
死ぬような地上の楽園のメシアを所有しなければならないのだ。


彼等の神への冒涜と高利貸しを警戒せよ。
私の考えでは以下のような結論にならざるをえない。もし我々がユダヤ人達の涜神から潔白で、彼等の共犯者になってはならぬとすれば、我々は彼等と分離して住まねばならないし、彼等は我々の国を離れねばならない。かくして彼等は、もはや我々が彼等を捕らえていると嘆く事もできないし、神に嘘をつく事もできない。我々も彼等が涜神と高利貸しによって我らを悩ますと嘆く事もなくなるであろう。これが両者に封して安全を保証する最も手っ取り早い最善の方策である。
(この後にはキリスト教の教義に反するユダヤ人達のキリスト教に封する非難に聖書からの長い引用による反論が績いている。--英訳注)




© Rakuten Group, Inc.