高祖父がなくなった日付が2つあるのはなぜ?
- 郷土史研究家の知人に、すでに亡くなった郷土史研究家が残した「私の曽祖父から聞いた話の覚え書き」の内容について知っている事があるか尋ねられた。
- その内容は、子どもの頃祖母から聞いていた内容とほぼ同じものだったが、今まで聞いたことのない内容も含まれていた。
- この覚書の内容について春になったら数人で現地調査をする事になった。
- この話をきっかけに今まで曽祖父が本名でなく通称名で生活していたことが記録として分かった。
- また、曽祖父の父(高祖父)の死亡日が2つある事?が札板で分かった。
- 何故日付が2つあるのか疑問に思っていたが、ふと思いついた。陰暦はいつまで使われていた?
- 陰暦と陽暦の切り替えがいつか調べてみて納得。
- 旧暦の明治5年12月2日が新暦の明治6年1月1日と切り替えられたので旧暦で明治6年の3月○日に亡くなった高祖父の役所への届出は新暦で届け出て明治6年2月○日になったのだ。
- 東京から遠く離れた田舎町、明治のはじめのことだから政府の達しがすぐに伝わり庶民の生活をすぐに変えることはなかったのだろう。
子どもの頃から仏壇の奥に見ていたが、中を見たのは初めて。高祖父の没日の違う札板が2枚あった。