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ここに1本の出刃包丁がある。
料理の達人に使わせると、それはそれは美味しい料理を作り万人を喜ばすことが出きる。 しかし狂人に渡すと無差別に殺人を繰り返す。 たった一本の出刃包丁が使い方により全く違うのだ。 科学はこの出刃包丁である。 生かすも殺すも出きる。 そもそも私は科学の目的は、自然の意に反して死なない人間を作ることだと思う。 宗教とは科学の使い方である。 宗教は本来は科学的である。 宗教に対峙するものが迷信である。 出刃包丁の使い方は道徳か倫理ではないのかと思われる方もいるだろう。 倫理や道徳とは出刃包丁で人を殺す場合は、正しい殺し方である。 料理をする場合は美味しい作り方である。 社会通念で正しいと思われているのが倫理や道徳にすぎない。 その証拠にヒットラーは沢山のユダヤ人を殺戮したが、それが道徳だと考える人が当時は多かったのだ。 出刃包丁をどのように使うかが宗教ではないのか? 倫理や道徳を超えた普遍的なものが私は宗教だと思う。 昨日に書いた立花隆がNHKで紹介したサイボーグ人間の出現は現実味を帯びている。 死なない人間がそんなに遠くない将来に生まれてくる。 最終的に生きたい人間を生かし続けるのかを悩む時代が来る。 今は死を受け入れようとするのが宗教であるが、本当の宗教は科学と共に進歩していく。 何故なら宗教は科学的であるからだ。 --------------------------- あー。スカッとした。 以前から思ってたが証拠がなくて困っていたのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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