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2010.12.16
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カテゴリ:ほんとうのこと
 私が住むこの町での「地域」の崩壊は今に始まった事ではない。人口が増え、交通網の発達でひと昔前は住居地として選ばなかった地域に人口の流出が始まったのは、昭和四十年代前後、今から三十年ほど前からである。農家自体の変化も重なって雑木林にマンションが建ち、畑や田圃が住宅地に変わっていった。今なお企業誘致と人口の増加と住宅地の造成は続いている。「地域」の崩壊はこのころを発端としていると思われる。地域に住んではいるが、仕事は都会に出ていく人達には「仕事から帰って寝る場所」くらいの意識しかないのだ。昔からそこに住んでいる旧住民たちは、あまり思わしく感じなかったのはあたり前だろう。
 この地域のことは、奥さんの方が良く知っている。「子ども」という共通の問題があることが大きいが、地域や学校の事は奥さん任せという風潮が社会的にもあたり前だったという事実があるのだろう。(今でもそれは続いている感じは否めない)PTAなどに男性が出ていったら実にやりずらい事になるのだ。実際、私も子どもが一年生の時に役員をやった経験があり、たまたまその部は副部長も男性で、私たちは、おかしなシステムが三十年も続いている事に異論を唱え色々と新しい企画を考えて実行しようとしたが、企画書の段階でことごとく退けられた。『前例がない』という一点張りで終止し、まるで役所の対応と同じで辟易したことがある。「女の園」の女性を養護すれば、彼女たちは、たとえそれが間違った事であっても、変に荒波を立てて事を複雑にしたくない(右から左に受け流す術に長けているのか)「子どものためなら我慢しよう」という所から忍耐強く、現実的な判断をしているのかもしれないけれど…。会長は男性でなければいけないというのも妙に合点がいかないでしょ…。(そちらは「男の園」になっているわけで…)
 しばらく前に「子どもを守る」というシンポジウムに出席したが、その中で印象的だったのが作家の鈴木光治さんの意見だった。彼は作家という立場で家にいることが多かったせいで、子どもの学校のPTAなどにも出向いて行ったそうである。そこで男性も地域や学校の事に無関心でいるのはもったいないという事に気づき。男性もどんどん出ていくべきだという発言をしていた。
会社や外の社会を良く知った人(これは男も女変わらないはずだが)がこの不思議なシステムを見て感じた時には強い違和感を感じるに違いない。何が問題なのか、それをどうしたら改善できるかという「理想」に向かうきっかけもできると思う。地域や子どものことを丸投げで任された奥さんたちの苦労も少しわかったりもすることだろう。
 私には初めての経験で、(亡き父は会長などを長年やっていたけど…)そもそもPTAの目的とは何なのか、あるいはPTAって何?というところから学習していった。そしてPTAや子供会や或いは交通安全母の会などが存在しなければならない理由もうっすらと判って来た。これは自治区、自治会などの問題とどうやら同様であると。「子どものため」という大義の下に、要は「管理」しやすい環境を役所や教育委員会(文部省の指導の下)などが拵えたシステムと言う事なのである。それも全国的に…だ。まあ、始まりは良いとしても、じゃあ「子どものため」という大儀通りになっているのかどうかという事である。そして何が子どものためなのか…。穿った見方をすれば「学校のため」、「教育委員会のため」にすり変わっているのではないかという疑問すら沸き上がってくる。
 「地域の絆」が決定的な崩壊に向かっている現状からは、「地域に住む人のため」にも緩やかな改革が必要であり、来るべき未来を遠目に見遣りながら自分は地域に何が出来るのか、子どもたちの心に何を残せるのかを個人単位で考え、是々非々の議論がされる場をつくらなければいけないと感じます。「無関心」でいる事が一番良くない事だと言うことを、1人ひとりが思ってほしいと切望します。
 「無関心」でいることが「安全」という事ではないという事を…。





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Last updated  2010.12.17 01:43:43
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