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2010.11.02
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カテゴリ:花ごよみ
先日、息子の同級生のお宅から石榴をたくさん頂いた。熟れた石榴はその種が飛び出さんばかりになっている。丁寧にほぐしてそもままいただく。これが甘くてほんのり酸っぱくて美味しい。残ったものは、いつも焼酎に漬け込んで「石榴酒」としていただく。これも秋ならではの趣である。いつもご馳走様です。






Last updated  2010.11.02 17:39:14
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カテゴリ:花ごよみ
このあいだ、サークルの仲間でもある長老のお宅へお邪魔した時に「柿もってけ」と庭の柿をいくつかもいで、いただいて来た。家へ持って帰って食べてみたが、ほどよい甘さで美味しかった。柿に限らず、その土地で、その時にとれるものを食べるというのは体にも良いし、何より趣があるものです。Fさんのお宅は何代も続く農家のお宅。ひと昔前は庄屋さんだったと言う。80近くになる方だがいまだ勉強熱心で、実に頭のさがる思いだ。年齢をこえたおつき合いをさせていただいている事に感謝しています。いつもご馳走様です。






Last updated  2010.11.02 17:29:23
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2010.10.31
カテゴリ:子どもと遊び
土曜日、毎年恒例の「どんぐり山で自然観察会」の手伝いにいってきました。
あいにくの季節はずれの台風で団地の「集会室」でK先生の「オオタカのいる町」という自然観察のスライド講演とどんぐり山の木の幹を輪切りにしたものとどんぐりを使って独楽づくりを隣町の団地の子ども達としてきました。予定ではどんぐりで来年の干支、ウサギのフィギアを作る予定でしたが時間が1時間くらいしかなく独楽づくりで一杯一杯でした。それでも独楽を回した事もない小さな子ども達も参加していて輝く笑顔を見る事ができ、私自身も良い体験ができたと嬉しくなりました。
K先生のスライド講演もとても面白く、先生の勤めるA高校にオオタカが窓ガラスにぶつかって入ってきたという話題とその時の写真や身近に棲んでいる鳥や虫たちの鳴き声でそれを同定するゲームもあり大人が見ていても楽しい講演となりました。
そもそもこのK先生と出会った3年ぐらい前でしょうか、その頃私がはまりだした「鳥」がきっかけで、同じマンションに住むSさんに紹介してもらったのが最初で、その後色々と鳥の事や自然の事を教えて頂いている間柄です。「鳥がとりもつ縁」という…。K先生、本職は化学の先生ですが、自然に造詣が深く、町の公開講座で自然を担当してくれています。鳥の写真などはプロ顔負けの腕前で個展なんかもやったりしてます。山の達人でもあり、学校ではワンダーフォーゲルの顧問をしているそうです。この町には面白い先生が何人かいますが、その中でも秀逸の名物先生のひとりですね。
その後も趣味が人をよび、人が人をよび1本の樹に沢山の人が集いはじめました。ここへ越して6年目に入りましたが、来た当初は右も左も人も誰一人として知らずに「間違って、とんでもない所へ来てしまった…」と早々に次の引っ越しを考えていたのが嘘のようです。少しづつ地元の仲間入りをさせていただいております。






Last updated  2010.11.01 00:52:07
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2010.10.26
カテゴリ:ほんとうのこと
今日は朝一番で息子の音楽朝会があり、見に行って来ました。5年生ともなると歌も合奏もなかなか聴かせる技術は達者になって、それなりのものに仕上がっていましたが、肝心の本人達が「楽しんでいる」感じは今一つ伝わってきませんでした。頑張って練習をしてきた成果は出していたと思いますが、「やらされてる感」があったことは少し残念でした。

子ども達に「自然観」という事を、もう一度良く考えて伝え直していかなければならないなあと考えます。これは、ひとえに経済優先の社会の流れの中で先人たちに消されてしまった価値観の一つである。もはや真っ当な「自然観」を伝えられる世代は殆どいないのが現状である。人生観であるとか世界観というものはこの「自然観」が土台になっています。『自然とは何か』『自然とはどういうことか』こういった事を伝えていきたいと思います。何故かというと、科学的な数量とか統計という裏付けは何もないが、このまま何十年もたったときに大変な事になる、いやもう既になっているのかもしれない、という危機感を直感で感じるからです。皆さんの中にも感じている方が多くいると思います。
そもそも老人や子どもが大切にされない社会というものに明るい未来はないでしょう。世の中の事は大概ほとんどの事は変化していくけれど、そこに『普遍的に変わらない自然』というものがあります。たとえば「空気」。これが無くなれば生物のほとんどは生きていけない。陸上でなく水中であっても呵り。「水」。これは唐突な科学変化などで出来上がるものではない。「土」。これも亦呵り。「太陽」。これが無ければ光合成を要する植物は全滅。大切な事は、これら極々あたり前にあるものに対して「ありがたい」と思う心である。
昔の人は、朝起きると今日も生きている事に感謝し、太陽に向かって自然と手を合わせて心をあらわしたものです。その背中を子ども達は見て育っていきました。「あんなに偉い父ちゃんも母ちゃんも、それより偉い爺さまも婆さまも、ああやって手を合わせて頭を下げている。」そうやって「自然観」というものが伝えられてきた時代が日本人の自然観をつくりあげてきたと言っても過言ではないだろう。感謝する心を大人や親の背中をみて成長してきたんですね。
人は有史以来、ひとりでは生きていけない動物であるが故に「社会」というものを作って共に働き、生きて来た歴史があります。日本では明治以降、諸外国を相手に大きな戦争も幾つかあり、価値観すら強制されてきた忌わしき時代も経て来ました。「自由」が良いと声高に叫び、欧米の経済観念を軸とした文化が一気に流れ込んだ時代があった。そして現在、我が子を殺し、子が親を殺し、保険金欲しさに平気で何人も殺して、果ては「誰でも良いから殺したかった」というような殺人とも自殺ともいえない犯罪があり、家庭の中は各々が別行動をして、ご飯を食べる時間もバラバラ、食べる場所も別々、一緒に食べない家庭が普通にあるようだ。ご飯中に携帯電話でメールをするのを止められない。小学生がネットで悪口を言われ果ては殺人。親はパソコンでネットゲームをしながら食べる。
素直に客観的に見て、明らかに「病んでいる」社会でしょう。そこには確固たる「自然観」が失われている事が大きな要因の一つと思えてなりません。仏教に五戒という戒め事があるそうです。生き物を殺してはいけない。他人のものを盗んではいけない。自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。嘘をついてはいけない。酒を飲んではいけない。「戒」というものは自分の意志で守るものらしく、「律」となると他人に守らせるものとなるようです。こよなく酒を嗜む私としては「酒を飲んではいけない」と言われたらちょっと辛いですが…。酒を飲んで暴れてはいけない、ぐらいにしてほしいです。冗談はさておき、なぜこのような「戒」が作られたのかと言えば、人は欲望の塊だと言う事を知ってるんですね。これを抑える事がとても難しいと。だからこそ自分を律して欲望のままに突き進むことを嗜めているんだと考えます。この「戒」をおかすと何が起こるのかというと、「心が荒んでくる」。心が荒むと、生きる喜びみたいなものがなくなって、どうでもいいや…ということになる。視野が狭くなり自暴自棄になる。

子ども達に、感謝するこころを伝えられる背中を持てる様、日々努力していきたいものです。






Last updated  2010.10.26 10:50:20
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2010.10.15
カテゴリ:家庭から宇宙へ
 人間関係に限界を感じている人は沢山いると想いますが、そんな時は、積極的に「関わらない関係」をすすめます。私自身、夫婦関係に限界を感じていた時にある人に相談して教えられたのですが、「関わらない事」という関わり方がある、という事。いつだったか養老孟司さんも何かの番組で「夫婦の関係」について同じような事を言っていました。「交わらない関係」とでも言うのでしょうか。起点だけは一緒なんですが、各々は決して交わらない。この起点は共有する「家族」とか「家」(帰る場所としての)だったりするんですね。たまに交わったりすると「犬も喰わない」事になる。言い換えれば「お互いを尊重しあう関係」とでも言えるでしょうか。関わらないといけない間柄でありながら、あえて「関わらない関係」とは?…。助言を受けた当初は何を言われているのか判らずに、以来しばらく考えてきましたが、相手のやっている事や相手の心の中の問題に対して「からまない」或いは「かきまわさない」という事と読みかえました。事の重大さにもよるでしょうが、些細な事であれば「放っておく」のが良いのです。
これは子育てやしつけにも同様の事が言えるのではないでしょうか。朝起きてから眠るまで、四六時中怒りまくっている親がいます。子どもは気力を失い、疲れ果てます。自己肯定感は一つの芽も生えてきません。子どもたちも学校で疲れて、家でも疲れて、習い事の梯子で疲れて、何だかひと頃の「企業戦士」を見ている様です。たまには心休まる家で、ボーとさせてあげましょう。
ひと昔前の子ども達は、暇が沢山ありました。子どもは暇があるから、沢山の冒険が出来るんです。(良い事も悪い事も…)子ども達に暇をつくってあげましょう。子ども達は暇のまんま過ごす事はあまり出来ません。暇が「遊びをつくる」といってもいいでしょう。時代が違うとか良く言われますが、幼児や小学生が塾に行っているのは「異常」な事だと思うんですよね。子どもは何時の時代も「無垢の子ども」です。管理しやすい「子育て」?なのか、共働きでお金に余裕があるけど、子どもと向き合う時間はない。そういう負い目からなのか。兄弟が少ないせいなのか。いろいろな理由があるんでしょうが、「誰々ちゃんは○○と○○を習っている」…じゃあ家も…とか考えていないだろうか。
特に今の学校では「学ぶ」ことの楽しさを中々教えられません。テレビで流行っている芸能人のクイズ番組のような感じでテストをこなしています。「当たった」「はずれた」という言葉を聞きます。肝心なのは「理解」することなんです。答えが「当たれば」良いのではありません。答えは間違っても、その過程に自分なりの工夫や新しい発見があれば素晴らしい事なんです。そう言う事は「学校では中なか教えてくれません」。学校で教えてくれないんだったら、『たまには』家で親が教えてあげましょう。(信頼関係が出来ていないと、素直に聞いてはくれませんがね…)






Last updated  2010.10.15 12:24:24
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2010.10.14
カテゴリ:花ごよみ
先日曜日に隣町に息子と自転車で出掛けた時に神社でアブラゼミの声を聴きました。自然の変化に少し戸惑い気味なんですかね。それでも秋はたしかな足音でやって来ています。雑木林のヘリでカラスウリを見つけて、もらって来ました。オレンジ色とまだ緑のシマシマのとが一緒に付いてました。緑と橙色のコントラストがとてもきれいです。






Last updated  2010.10.14 11:38:27
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2010.10.13
カテゴリ:花ごよみ
今の世の中、落ち葉で焼き芋をやるのにも消防署に連絡しなければ出来ません。ぜひ一斗缶を使ってやってみては如何でしょうか。落ち葉の灰は灰で使えますよ。






Last updated  2010.10.13 11:33:25
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カテゴリ:花ごよみ
部屋で人参の葉っぱの栽培をしています。同時にキャベツの芯でもやっていますが、楽しいですよ。葉っぱが生えたらいただきます。






Last updated  2010.10.13 11:19:52
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2010.10.07
カテゴリ:親子共育
「虐待」という事を身を持って考えてきました。それは私のパートナーが「子どもが駄目な人」だからです。
子どもが生まれてすぐに判りましたが、産後うつと言うこともあるのかと思って、それほど深刻には考えていませんでした。その頃、小学3年生の姪もよく遊びに来ていました。その子に対しては、しっかり向き合っている姿を見ていたので大丈夫だろうと軽く思っていたのが勘違いだったのを後から気づきました。本人曰く「コミュニケーションが全くとれない」ことがイラだちの原因だといいました。「親の義務感」は強く感じていたようで「義務」という言葉をよく言っていました。産まれる前は、子どもの肌着や服、おしめなども精力的に自分で縫って仕立てていました。仕事は丁寧かつ徹底的で、とても感心していました。幸い、私が自営の仕事をしていたのと無類の子ども好き(子どもに共感するというか、子ども度が高いんです)でしたので、彼女も子どもを産んで育てるという事に不安がりながらも「一人で育てるんじゃないから、大丈夫」と思っていたようです。夜泣きをしていた時期は蒲団を被って何日も引き蘢ってしまったので、もっぱら私が面倒を見ていました。つらい時には話し相手にもなり、積極的に子育ても一緒にやってきました。
 話を聞いていくうちに、彼女の持つ「潔癖性」や「人間嫌い」そして根底に潜んでいた「自己否定感」にあると判りはじめたのは子どもが幼稚園にあがる前くらいでした。彼女の「しつけ」の中に「手を叩く」という行為がはじまりました。これが、けっこう強く叩くんですね。彼女が子どもの頃どんな育てられかたをしたのか、本人はあまり憶えていないようでしたが、もしかすると同じような事があったのかもしれません。「私がこの世に産まれて来た事自体が間違いだった」「私という存在を最初から消したい」と言うのをよく聞いていて、その度に「君は僕たちにとって必要な人間なんだ、大切な人なんだ」という事を心から言ってきました。彼女はとても頭の良い人です。高校も授業料免除で特待生で行くくらい、お勉強の出来る人です。もしかすると、それも災いしているんじゃないかと思います。「こうすれば、こうなる」という論理的に解釈出来ない事は、逆にあまり理解できないんじゃないだろうか。人間関係も自然の営みも「こうすれば、こうなる」が通用しない世界だということが、彼女の中でイライラの原因になるんですね。子ども、特に幼いうちは論理(頭で考えて)でどうなるものでもないんだという事が判らない。乳飲児は特に自然度や依存度が高いですから、理由もなく「泣く」こともなんかもある訳です。(本当は理由があるんでしょうが…)頭で考えていると、「理由もなく泣く事なんて、考えられない」ってなっちゃうんですよね。そんな時は手を握ってあげるとか身体をさすってあげるとか、抱いてあげるとか、おぶって散歩してみるとかで安心したりします。
 「目に見えないものが信じられない」と思っている人にはなかなか理解ができない深刻な問題です。深い山の中などに行くと「怖い」感じがする事がありますが、これなんかは特に理由があるわけじゃなく、何だかわからないけど「怖い」んですね。深い海に潜った時も同様に「怖い」感じがあります。この「感覚」は、多分自分自身の記憶ではなく、もっともっと古~い「生命の記憶」みたいなもんじゃないかな。そんな事を考えると母親のお腹の中にいる胎児であっても笑ったり泣いたりしてるんじゃないかと想像したりします。
 まずは「子どもを愛せない親(人)」も世の中には沢山いるんだという事を知る事です。これは、けっして恥ずかしい事ではないんだって事です。子どもを産んで親になったら「子どもを愛する」のがあたり前だという既成概念を捨てる事です。つらいと思っている人の子育ては、独りで抱え込んでいちゃいけない。身近な人がベストですが、誰でもいいからたすけを呼びましょう。話を聞いてくれる人を探しましょう。私も以前は「子どもを愛せない親」なんていないはずだと信じていた一人です。その思いが彼女の心をどれほど傷つけていたことか…。友人でもある「森の声」さんのブログや本から教えられて目からウロコが落ちたものです。






Last updated  2010.10.07 16:30:55
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2010.10.01
カテゴリ:カテゴリ未分類
四季のある日本に生まれて良かったと思う。夏は異常な暑さであったが、それでもしっかり秋は来るのである。町が都会化すると木の葉もゴミ同様の扱いを受ける。アスファルトに散っても土に変わることはない。落ち葉でさつま芋を焼いたら美味しいんだけど…。






Last updated  2010.10.01 12:38:00
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